玉置浩二(安全地帯)



ワインレッドの心(1983)




恋の予感(1984)




悲しみにさよなら(1985)




碧い瞳のエリス(1985)




プルシアンブルーの肖像 (1986)





じれったい(1987)with アマゾンズ




「キ・ツ・イ」(1988) with アマゾンズ



「いっそセレナーデ」(from「キツイやつら」1988)




「夏の終わりのハーモニー」with 井上陽水、タモリ




「飾りじゃないのよ涙は」with 井上陽水、中森明菜



# by ichiro_ishikawa | 2016-09-24 17:43 | 音楽 | Comments(0)  

ジャンプの全盛期(決定稿)

主観を排して客観的事実を記すと、ジャンプの全盛期は1980〜1984年で、85,86は惰性、1987年で終わるわけだが、1980〜1984年とはDr.スランプの第1話〜最終話の掲載年にあたることが発覚、つまりジャンプとはDr.スランプであり、鳥山明である。以上。

# by ichiro_ishikawa | 2016-09-12 20:47 | 日々の泡 | Comments(0)  

コステロ来日公演2016 Detour

エルヴィス・コステロの伝記を覚束ない語学力で、
すこーしずつ読み進めていた中、来日公演Detour、鑑賞。

人見記念講堂という会場が怪しいと思つてゐたが、
なんと、バンドなしアクースティック公演だつた。
渋すぎる。

コステロの魅力はなんと言つても声なので、
音響もわりとよく、声のものすげさを堪能できたことは収穫だつたが、
やはりドラム、ベース、キーボードにコステロ自身のジャズマスター・ギターといふ、
ジ・アトラクション的編成でこそ、
その名曲群はより輝くといふ事が逆に確認された。

かつ、ものすげえディレイをかけたジャズばりの歌唱法と、ディランほどでないにしろ崩しまくりのメロディが楽しめない場面もあつた。特に美メロ名曲「everyday I write the book」のほとんど別曲に仕立てたアレンジはいただけなかつた。500はある名曲レパートリーの中から折角演つてくれただけに悔やまれた。

とはいえ最大の難点は、今回のメインの見所でもあつたらしい、コステロが自らのヒストリーを語りながら、楽曲もその関連で放たれるといふ、そのMCが、ほとんど意味を掴み取れなかつたことだ。外人客が要所要所で「ha! ha!」と笑つてたところなど全滅。てめえの英語リスニング力のなさは否まないが、コステロ独特の早口と、おそらく秀逸なウィットのまぶされた語彙が難しいのだ。これはモリシーとかマイケル・スタイプの難しさと同種だ。

余談だが、イギリス人(アメリカ人も)はどこの国に行っても自国語の英語で普通に話す。
日本人はどこの国に行ってもその国の言語を話そうとするはず。郷に入りてはの精神だ。
戦勝国と敗戦国の違いか? まだ引き摺つてるんだな。

アンコールの最終曲は、「 (What's So Funny 'Bout) Peace, Love And Understanding」。



大量にある名曲の殆どが自作だのに、一番の代表曲がニック・ロウの曲であるといふのは面白い現象だ。


# by ichiro_ishikawa | 2016-09-09 15:07 | 音楽 | Comments(0)  

俺の運

人間には2種類しかない。
運のいい奴と悪い奴だ。

俺は紛れもなく後者なのだが、
思ひ起こすと、第1回フジロックに象徴されるやうに、野外イベントに行けばほぼ雨が降り、たまに意を決して休日に出掛けるとやはり雨で、日常においても通勤時の家〜駅間、駅〜会社間のみ雨が降ってくるといふ雨男の最高峰に位置し、一方、コンビニで傘を買ふと大抵晴れてくる晴れ男でもあるという分裂症を患つてゐる。
曲がり角に差し掛かると90%以上の確率で対向車がやってくる。外でトイレに駆け込むとほぼ先客あり、もしくは紙がない。
有名なところでは、ドタマと腹が常時薄ら痛く、iPhonは1分に1%減るヴァージョンをつかまされている。

とはいへ「一個人の運総量一定の法則」といふ普遍的事実に照らし合はせるに、
生来45年の現時点での幸運(+)・不運(-)をカウントすると、マイナス5万である(たとへばコンビニで傘を買ふと晴れてくる、といふのは0カウント)。

といふことは、この先あと40年でどんだけの幸運に見舞われるんだつていふ。楽しみだ。

しかし死の直前に5億円が転がり込んだ場合、これはどうカウントされるのか。転がり込んだこと自体はプラス5万でこれまでの分と相殺されるが、それを使ふことができないという事態はマイナス3万だらう。それでは差し引きトータルマイナス3万だ。
だとすると違う幸運が舞い込むといふことになる。大いに楽しみだ。




# by ichiro_ishikawa | 2016-09-08 19:00 | 日々の泡 | Comments(0)  

自意識と俺


オフィスの喫煙所や喫茶店にて、俺がずつとケータイをいぢつてゐるからといつて、サボつてる、遊んでる、ふざけてる、などと思はれては困る。それらが事実だとしたら、懲罰が下つても弁解できぬほど長時間いぢつてゐるからだ。

以前も書いた通り、ゴトシで必要な資料や電子書籍、ゲラなどを読んだり、メールや原稿を書いたりしてゐるのであつた。俺は煙草を喫みながらでないと事務処理ができないのだ。

え? 誰も気にしてない?

故父は、人目を異様に気にする超自意識過剰な中学生の俺に言つた。
「お前のことなんて誰も見てねえが?」
1984年の夏の事であつた。


# by ichiro_ishikawa | 2016-08-10 10:52 | 日々の泡 | Comments(0)  

小林秀雄「戦争と平和」より抜粋


 空は美しく晴れ、眼の下には広々と海が輝いていた。漁船が行く、藍色の海の面に白い水脈を曵いて。さうだ、漁船の代りに魚雷が走れば、あれは雷跡だ、といふ事になるのだ。海水は同じ様に運動し、同じ様に美しく見えるであらう。さういふふとした思ひ付きが、まるで藍色の僕の頭に眞つ白な水脈を曵く様に鮮やかに浮かんだ。真珠湾に輝いていたのもあの同じ太陽なのだし、あの同じ冷たい青い塩辛い水が、魚雷の命中により、嘗て物理学者が子細に観察したそのままの波紋を作つて拡がつたのだ。そしふさういふ光景は、爆撃機上の勇士達の眼にも美しいと映らなかつた筈はあるまい。いや、雑念邪念を拭い去つた彼等の心には、あるが儘の光や海の姿は、沁み付く様に美しく映つたに違ひない。彼等は生涯それを忘れる事が出来まい。そんな風に想像する事が、何故だか僕には楽しかつた。太陽は輝き、海は青い、いつもさうだ、戰の時も平和の時も、さう念ずる様に思ひ、それが強く思索している事の様に思はれた。
 僕は冩眞を見乍ら考へつづけた。冩眞は、次第に本当の意味を僕に打ち明ける様に見えた。何もかもはつきりしているのではないか。はつきりと当たり前ではないか。戰に關する理論も文學も、戰ふ者の眼を曇らせる事は出来まい。これは、トルストイが、「戰争と平和」を書いた時に彼の剛毅な心が洞察したぎりぎりのものではなかつたか。戰争と平和とは同じものだ、といふ恐ろしい思想ではなかつたか。近代人は、犯罪心理學といふ様なものを思い付いた伝で、戰争心理學といふ様なものを拵へ上げてしまつた。戰は好戰派といふ様な人間が居るから起こるのではない。人生がもともと戰だから起こるのである。

# by ichiro_ishikawa | 2016-07-29 00:07 | 文学 | Comments(0)  

書くといふ行為

健康な奴は文を書かない、書く必要がない。
文を書くといふ不自然な行為に及ぶのは不健康の証左。
かうしたブログひとつとっても、更新が多い時、筆者はおよそ病んでいる。更新がないといふのは、調子がいいときだ。すべからく執筆といふ行為はガス抜きだらう。

# by ichiro_ishikawa | 2016-07-20 09:44 | 文学 | Comments(0)  

外国人の速さ

今日の日常観察レポート

都内のコンビニの店員のもはや9割は外国人だが、
彼奴らは概ね雑でぶっきらぼうでマナーが悪いけど、早いな。
つまり日本人は概ね丁寧で愛想いいがトロい。
俺はセッカチだから実をとり外国人に軍配をあげる。

今日の外国人は、接客中、終始左手で髪を押さえながら、全工程を右手だけで処理していた。タバコ購入認証の「タッチお願いします」も「ありがとうございます」も、「touchおしゃしゃいや〜」「あがとま〜す」とハナモゲラ染みていた。しかし俺の、促されると同時の画面タッチや、カード等の素早い出し入れを上回る速さで処理していたし、ハナモゲラも通じるので、問題なし。
銀行やホテルではまずいがコンビニは早さが命。なぜなら俺は急いでいるから。

何を急いでいるか?
わかりません。
「やばいこんなことしてる場合ぢやねえ」「早くしねえと」と常に得体の知れない何かに急き立てられていて、胃が痛い。おまけに右ひじに違和感があり、当然ドタマも腹もうすら痛い。最近は右肩があがらない。
暴漢に襲われたら、これまでは左ジャブとネリチャギでかわす用意があったが、殺られる可能性が拭えなくなっている。



# by ichiro_ishikawa | 2016-07-19 14:07 | 日々の泡 | Comments(0)  

老人と俺

30になった時、「もはや若者ではない」事に愕然としたのも今は昔、おっさんも通り越して初老に差し掛かっている。

bowieが過去曲をハウスアレンジでセルフカバーしたりするのを見ると、文語歌人が口語を取り入れてみせるのに近い哀しさを感じる。
それが成功してるか否かは問題ではない。「老人が新しい風俗なり流行を取り入れる」といふこと自体がどこか哀しさを纏ってゐる。

「今」に敏感に、流行と対峙していないと人は老ける一方で枯れていく。つまり現役感のある老人はいつまでも元気である。これは一面の事実だ。だが「元気な老人」といふのがすでに哀しい。
老人は老人らしく、「いかにも老人」だといふ老人になることを全うする方がいい。

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20代のマイケル・スタイプ

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30〜40代のマイケル・スタイプ

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今50代のマイケル・スタイプ





# by ichiro_ishikawa | 2016-07-19 09:29 | 日々の泡 | Comments(0)  

俺の鞄

俺の鞄には、いつどこでもゴトシが出来るやう、ありとあらゆるものが入ってゐて、重量10kg、総アイテム数50個なのだが、うち45個は滅多に使はない。右ひじの違和感と、右肩の「特定はしがたいが、ある部分が確実に痛い」という現象がこの10kgのせいなのかは、検証してみないと分からない。

とはいへ、いつなんどき何が必要となるか分からないし、2010年ハンコ事件のトラウマもあり、この50個常備といふのは必須なのであった。

しかしながら、そんな完璧なディフェンスにもかかわらず、あるものが必要なときに限って、「よりによってそれだけが入っていない、他のあらゆるものはあるのに」、という事がしばし起こる。

今日はハンケチがなかった。洗濯して新しいものを入れ忘れていたのだった。


# by ichiro_ishikawa | 2016-07-15 10:23 | 日々の泡 | Comments(0)