自意識と俺


オフィスの喫煙所や喫茶店にて、俺がずつとケータイをいぢつてゐるからといつて、サボつてる、遊んでる、ふざけてる、などと思はれては困る。それらが事実だとしたら、懲罰が下つても弁解できぬほど長時間いぢつてゐるからだ。

以前も書いた通り、ゴトシで必要な資料や電子書籍、ゲラなどを読んだり、メールや原稿を書いたりしてゐるのであつた。俺は煙草を喫みながらでないと事務処理ができないのだ。

え? 誰も気にしてない?

故父は、人目を異様に気にする超自意識過剰な中学生の俺に言つた。
「お前のことなんて誰も見てねえが?」
1984年の夏の事であつた。


# by ichiro_ishikawa | 2016-08-10 10:52 | 日々の泡 | Comments(0)  

小林秀雄「戦争と平和」より抜粋


 空は美しく晴れ、眼の下には広々と海が輝いていた。漁船が行く、藍色の海の面に白い水脈を曵いて。さうだ、漁船の代りに魚雷が走れば、あれは雷跡だ、といふ事になるのだ。海水は同じ様に運動し、同じ様に美しく見えるであらう。さういふふとした思ひ付きが、まるで藍色の僕の頭に眞つ白な水脈を曵く様に鮮やかに浮かんだ。真珠湾に輝いていたのもあの同じ太陽なのだし、あの同じ冷たい青い塩辛い水が、魚雷の命中により、嘗て物理学者が子細に観察したそのままの波紋を作つて拡がつたのだ。そしふさういふ光景は、爆撃機上の勇士達の眼にも美しいと映らなかつた筈はあるまい。いや、雑念邪念を拭い去つた彼等の心には、あるが儘の光や海の姿は、沁み付く様に美しく映つたに違ひない。彼等は生涯それを忘れる事が出来まい。そんな風に想像する事が、何故だか僕には楽しかつた。太陽は輝き、海は青い、いつもさうだ、戰の時も平和の時も、さう念ずる様に思ひ、それが強く思索している事の様に思はれた。
 僕は冩眞を見乍ら考へつづけた。冩眞は、次第に本当の意味を僕に打ち明ける様に見えた。何もかもはつきりしているのではないか。はつきりと当たり前ではないか。戰に關する理論も文學も、戰ふ者の眼を曇らせる事は出来まい。これは、トルストイが、「戰争と平和」を書いた時に彼の剛毅な心が洞察したぎりぎりのものではなかつたか。戰争と平和とは同じものだ、といふ恐ろしい思想ではなかつたか。近代人は、犯罪心理學といふ様なものを思い付いた伝で、戰争心理學といふ様なものを拵へ上げてしまつた。戰は好戰派といふ様な人間が居るから起こるのではない。人生がもともと戰だから起こるのである。

# by ichiro_ishikawa | 2016-07-29 00:07 | 文学 | Comments(0)  

書くといふ行為

健康な奴は文を書かない、書く必要がない。
文を書くといふ不自然な行為に及ぶのは不健康の証左。
かうしたブログひとつとっても、更新が多い時、筆者はおよそ病んでいる。更新がないといふのは、調子がいいときだ。すべからく執筆といふ行為はガス抜きだらう。

# by ichiro_ishikawa | 2016-07-20 09:44 | 文学 | Comments(0)  

外国人の速さ

今日の日常観察レポート

都内のコンビニの店員のもはや9割は外国人だが、
彼奴らは概ね雑でぶっきらぼうでマナーが悪いけど、早いな。
つまり日本人は概ね丁寧で愛想いいがトロい。
俺はセッカチだから実をとり外国人に軍配をあげる。

今日の外国人は、接客中、終始左手で髪を押さえながら、全工程を右手だけで処理していた。タバコ購入認証の「タッチお願いします」も「ありがとうございます」も、「touchおしゃしゃいや〜」「あがとま〜す」とハナモゲラ染みていた。しかし俺の、促されると同時の画面タッチや、カード等の素早い出し入れを上回る速さで処理していたし、ハナモゲラも通じるので、問題なし。
銀行やホテルではまずいがコンビニは早さが命。なぜなら俺は急いでいるから。

何を急いでいるか?
わかりません。
「やばいこんなことしてる場合ぢやねえ」「早くしねえと」と常に得体の知れない何かに急き立てられていて、胃が痛い。おまけに右ひじに違和感があり、当然ドタマも腹もうすら痛い。最近は右肩があがらない。
暴漢に襲われたら、これまでは左ジャブとネリチャギでかわす用意があったが、殺られる可能性が拭えなくなっている。



# by ichiro_ishikawa | 2016-07-19 14:07 | 日々の泡 | Comments(0)  

老人と俺

30になった時、「もはや若者ではない」事に愕然としたのも今は昔、おっさんも通り越して初老に差し掛かっている。

bowieが過去曲をハウスアレンジでセルフカバーしたりするのを見ると、文語歌人が口語を取り入れてみせるのに近い哀しさを感じる。
それが成功してるか否かは問題ではない。「老人が新しい風俗なり流行を取り入れる」といふこと自体がどこか哀しさを纏ってゐる。

「今」に敏感に、流行と対峙していないと人は老ける一方で枯れていく。つまり現役感のある老人はいつまでも元気である。これは一面の事実だ。だが「元気な老人」といふのがすでに哀しい。
老人は老人らしく、「いかにも老人」だといふ老人になることを全うする方がいい。

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20代のマイケル・スタイプ

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30〜40代のマイケル・スタイプ

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今50代のマイケル・スタイプ





# by ichiro_ishikawa | 2016-07-19 09:29 | 日々の泡 | Comments(0)  

俺の鞄

俺の鞄には、いつどこでもゴトシが出来るやう、ありとあらゆるものが入ってゐて、重量10kg、総アイテム数50個なのだが、うち45個は滅多に使はない。右ひじの違和感と、右肩の「特定はしがたいが、ある部分が確実に痛い」という現象がこの10kgのせいなのかは、検証してみないと分からない。

とはいへ、いつなんどき何が必要となるか分からないし、2010年ハンコ事件のトラウマもあり、この50個常備といふのは必須なのであった。

しかしながら、そんな完璧なディフェンスにもかかわらず、あるものが必要なときに限って、「よりによってそれだけが入っていない、他のあらゆるものはあるのに」、という事がしばし起こる。

今日はハンケチがなかった。洗濯して新しいものを入れ忘れていたのだった。


# by ichiro_ishikawa | 2016-07-15 10:23 | 日々の泡 | Comments(0)  

アベマTV


サイバーエージェントとテレビ朝日が組んで作ったアベマTVのアプリが3か月で500万DLを超えたといふ記事が朝日新聞にあり、ためしにDLしてみた。

「いい番組があってもTVだと見ない、スマホなら見る」という仮説が当たったと藤田晋氏。
腑に落ちる。2010年以来、うちにはテレビがなく、PCかスマホでしか番組や動画は見ない。それで充分事足りてゐるどころか、そもあまり家に居ないので鑑賞は大抵スマホで、ずーっとYouTubeを見てゐる。もともと昭和の熱心なテレビっ子で、テレビを家から外したのも、あるとずっと見てしまうからなのだった。固定電話をもはや使わないように、番組・動画鑑賞ももはやモバイルなのだらう。

同氏は、「見たい番組を探すのは、レンタルビデオ店に行くようなもので意外に面倒。流れている番組を見るという気軽さも大きな武器」とも。
YouTubeやhuluで「観たいものだけを観る」全盛の今、「何となく視聴」の楽さは確かに見直される。

そこで早速アベマTVを鑑賞。まず使いやすさがいい。チャンネルの切り替えが極めて容易だ。肝心のコンテンツも、ざっと見たところかなり豊富でテレビ局が絡んでいるのでニュースが良い。アナウンサー志望の学生がキャスターだといふ。これも新鮮でよい。

この日は当の藤田晋自身が面子に入っている麻雀を通勤時ずっと見てしまった。損した気分だ。面白かったけど。
局終わりでためしにチャンネルを変えると、ナイツの土屋伸之が司会でリリー・フランキーをゲストに迎えたトークという、超ハイクオリティな人選の番組があった。
久しぶりに見るリリーは相変わらず全発言秀逸。
雑誌のグラビアはもはや観るだけでは飽き足らず、嗅ぐといふ。シアンとマゼンダが強いなとか、凸版印刷だなとか、インクの種類や印刷所までも匂いでわかるといふ。

結論。やはり時間の無駄。すごーく暇か(そんな時は殆どないだらうが)、どうしても見たい番組が放映される場合のみ、見る。


# by ichiro_ishikawa | 2016-07-12 10:50 | 日々の泡 | Comments(0)  

腹痛と俺

なぜ俺の腹は常に痛いのか。
おそらくは17歳の時に患った大腸炎が完全には癒えてないのだ。そのとき腹に住み着いた小人が、爾来バターナイフを内側からシャーッ、シャーッと滑らし続けているわけだ。
腹が痛いといふのは実に憂鬱なものだ。常に不安に苛まれている。乗り物に長時間乗れない。いや長時間どころか、四谷から飯田橋駅に行くのに、市ヶ谷で降りることだってある。
また、何だかんだ言って最も好きな料理であるところのカレーを食すと、ほぼ100%腹を下すといふのは、実に不幸なことではあるまいか。この際見せしめにトイレで食ってやる、と思ふほどである。ごく稀に痛くならない時があるが、あまりのレアさに、痛くないといふことを意識しすぎて結果痛くなってくるのであった。

さらに、偏頭痛持ちときている。これは激痛ではなく鈍痛で、激痛もイヤだが鈍痛は鈍痛でしんどいものがある。常に薄ら痛いのである。

常時ドタマが薄ら痛く、かつ腹がキュルキュル締め付けられている生活。

手当てとかないのだらうか。バファリンやビオフェルミンやストッパなどの現物支給ではなく、いやそれはそれでありがたいし、もらう権利もあるのだが、そうではなく恩給的なもの。

いま深夜2時。無論、これはトイレで書いている。
早く寝たい。



# by ichiro_ishikawa | 2016-07-12 01:24 | 日々の泡 | Comments(0)  

電子書籍と俺

いつもケータイをチコチコ見ている様はあまり格好いいものではないし、アタマ悪そうに見えるが、俺は移動中や茶店での休憩中、ずっとケータイを見ている事が多い。
フェイスブックやインスタグラムやラインやツイッターやメッセンジャーの類いは基本見ない。
たまにニュースは見る。
大抵は、メール返信や文書作成やスケ管理の類いのゴトシである。
そしてもうひとつが、実は電子書籍を読んでいるのであった。

文學の類いは紙の本でなければイヤだが、全ての本が文學ではない。情報系や実用系、これらは大抵電子書籍で読む。紙は再読熟読玩味を要するものか、書棚にキープして置きたいもの、背表紙が美しいものに限る。
だが全ての本がさういふものでもない。

さうした類いのものとして、池上彰や佐藤優や齋藤孝らがいる。本棚に収めると景観を著しく損ねるし、何より彼らを読んでいる自分がたまらなく嫌である。しかしながら、俗世間を渡るために知っておきたい、押さえておきたいこと、といふものが浮世には多々あり、さうしたことをしばし彼らはうまく書いて(話して)あるにはあるので、読まざるをえない。意外とよかったりする。
が文士としてそれを公言するわけにはいかない。

そんなとき、電子書籍といふのは実に便利である。生活において必要で、一冊30分で読めて、再読せずとも記憶にとどまる、そして買ったり読んだりしていることを人に知られたくない、そんな本は電子書籍に限る。


# by ichiro_ishikawa | 2016-07-07 12:59 | 日々の泡 | Comments(0)  

回想1978〜1984


小学校時代(1978年4月〜84年3月)の趣味は、映画とプロレスとジャンプと歌謡曲とサッカー。
これが5大趣味であった。

歌謡曲はこれまで散々書いているから割愛。

当時プロレスは新日本プロレスと全日本プロレスの2団体のみ。国際プロレスは途中で潰れた。確か12チャンで中継していたがいつの間にかなくなり、ラッシャー木村とアニマル浜口、寺西勇は「はぐれ国際軍団」として新日のマットでヒールとして活躍を始めた。
新日は10チャン金曜夜8時から、全日は土曜夕方の6時から4チャンで毎週中継があった。
『プロレス大百科』を熟読して、それこそ神様カール・ゴッチから、AWA王者バーン・ガニアやかぼちゃ爆弾ヘイスタック・カルホーン、人間発電所ブルーノ・サンマルチノ、ニックボック・ウィンクルといったそれ以前のレスラーも研究し、また「少年サンデー」で連載されていた「プロレス スーパースター列伝」も愛読。活字とテレビから様々な情報を吸収していた。

よく地元の千葉公園体育館に、父あるいは、母が勤める美容院の車狂のチーフ(店長。母はチーフと呼んでいた)に、スポーツカーをかっ飛ばしながら連れて行ってもらっていた。
幼少時分はタイガー・ジェット・シンが全盛で、シンは毎度サーベルを振り回しながら客席を練り歩いて入場してくる。
ある日、共に観戦中の傍らの父が、フォークを握りしめ(なぜか持っていた)、
「あの野郎ぶっ飛ばしてやる!」
と殴りに行こうとするのを、
「やめて!(殺されるから)」と本気で制止した。
当時はレスラーの入場時、客が悪役レスラーを触りに行く風習があり、我々もご多分に漏れず毎回キチガイのように触りに行っていたが、弟は、スタン・ハンセンにムチでしばかれ、アドリアン・アドニスには「crazy!」と殴られた。レスラーが客を殴っても良い時代であった。

猪木がホーガンにアックスボンバーを食らって脳しんとうを起こした時、俺はチーフと蔵前国技館でそれを観戦していた。現場は、猪木がいつまでも起き上がらないことで異様な空気になっていた。「イチバーン!イチバーン!」と連呼していたホーガンも、場外でダウンしている猪木を途中からは心配そうにリング上から見守り始めた(後日週刊誌の取材でホーガンは、あのとき猪木の心臓がストップしてると聞きチビりそうになったと述懐)。
何がどうなっているのかよくわからなかった俺は、チーフに「猪木どうしたの?どうしたの?」としつこく聞くも、リングアナウンスに聞き入り状況把握に精神を集中していた彼に「シッ!」と遮られ、軽くショツクを受けた。チーフは「シッ!」などと制する人ではなかったし、俺も「シッ!」と言われるガラではなかったのだ。以来、俺はチーフとギクシャクし始めた。俺が無邪気な子供から思春期に向かうきっかけとなったのが、このアックスボンバー脳しんとう事件であることは、記憶に留めておいてもいい。


ジャンプもまたそのチーフ、明かすと、「ビューティヨコタ(横田美容室)の横田さん、がジャンプ、マガジン、サンデー、チャンピオン、キングの5大少年誌、それぞれ週刊、月刊と全部買っていたので、それを母に持って帰って来てもらい、貪るように読んでいた。
ジャンプに至っては、その全盛期の81〜83年は、「読む用」に加え「保存用」として自らも購入。ページを繰ることなく新品のまま保存していた。いつか高値で売れると踏み、踏み続け、実家の数多の引越しにも負けず、未だに捨てないで持っている。
「ジャンプ捨てちゃえよ」が親の口癖だった。
ちなみに巻末の読者コーナーにもしばしば投稿。「ジャンプ海賊ワールド」に1回、次に始まった「ジャンプ放送局」に2回掲載された。コミックスにも収録されているが、千葉市が東京都と誤植された。

「Dr.スランプ」の終了と共に斜陽を迎えるジャンプだが、鳥山明が次回作はカンフーマンガを描く、ついてはキャラクターを読者から公募するという告知があった。
ジャッキーチェン及びクンフーファンにして、大の鳥山ファン、かつ漫画家を目指していた(正確には「最悪の場合、漫画家になればいい」と、考へていた)俺は、これ幸いとばかりに応募。
当時流行っていた映画「少林寺」のリー・リン・チェイ(現ジェット・リー)をモデルにした「少 林寺(しょう・りんじ)くん」といふキャラクターを考案した。
それが何を隠そう、クリリンとなって本編に登場するのであった。額の6個の点々こそなくなっていたし、そのままのネーミングがより秀逸な名前に変わっていたものの、あれは紛れもない「少 林寺(しょう・りんじ)くん」である。
ジャンプからは謝礼も連絡もない。鳥山明からもない。
ちなみにキン肉マンも募集していて、これは俺はボツになったが、「バッファローマン、どこどこの誰々さんの作品」などの応募結果が公示されていたが、ドラゴンボールに関してはなかった。
鳥山明の何百億といふ印税のうち100万でいいから貰ふ権利はないか? 時効か? 物証は、ない。

これが、これまでもしばし周囲に俺が漏らしていた、「クリリンは俺が考へた」説の真相なのだが、水島新司の「野球は俺が考へた」と同種の放言ととられがちなのは心外である。

サッカーは「キャプテン翼」の連載開始と同時に学校の特設クラブに入り、12チャンのダイヤモンドサッカーを観て研究し、読売クラブの試合をしょっちゅう観に行っていた。4年生で始めたときは同学年が4人しかおらず、5年に上がった時は遊ぶ時間が勿体ないと思ひ一旦辞め、6年で再入部。しかし5年の時に同学年の奴らが30人ぐらい入部していて、6年時にそいつらに追いつけず(「5年からやっている軍団」という強固な連帯から弾かれたことが大きい)2軍で終わったが、2軍ではセンターフォワードだっため、1軍でバック(DF)やハーフ(MF)をやるより、ひたすら点取り屋として動けたから、結果面白かった。


さて、いよいよ本題。
本題は実は映画なのであった。これを書こうとしてブロムを開いたが、思わず当時の記憶がブワーッと蘇り前置きが長くなった。しかもその前置きも、これからの話には特にリンクしない。

映画館まではまずチャリで駅に行き、電車に乗って2駅先の千葉といふ駅に出る必要があった。
千葉駅界隈には京成ローザ、京成ウエスト、千葉劇場、千葉東映の4館があった。
電車賃は子供料金で120円ぐらい、映画は800円で、必ず同時上映の二本立て、パンフレットは300から高いもので500円といふ時代で、メシ代入れて2000円で行って帰って来れた。それはそれはしょっちゅう観に行っていた。
弟と共に鑑賞することも多く、それが高じていま彼は映画監督を生業としている。80年代後半からの香港映画の衰退と共に俺の映画熱はやや冷めていったのだが、彼はその後も香港の映画専門誌「銀色世界」を海外から定期購読したり、「香港電影通信」といふファンジンを取り寄せ、さらに洪家班といふサモ・ハン・キンポー(洪金寶)率いる武術指導グループにまで入ろうとしていた。

当時はジャッキー・チェンの全盛期で、1984年の2〜3月には『プロジェクトA』(A計劃)を、劇場で4回観に行っている。つまり同時上映の『猛獣大脱走』も4回観ている。

1984年3月、小学校を卒業し、4月から別の町の中学校に入学する直前の春休み。
近所に住む小学校の友人が、確か夕方ごろ訪ねてきて、親か誰かから映画のチケットをもらったから行こうぜと言ふのであった。
そいつはクラスの嫌われ者で俺しか友達がおらず、学校帰りうちに寄っては玄関先でただジャンプを読んで帰るといふ男で、そいつと行つても面白くないのだが、ただで何か映画を観れるし、別の中学に進むのでまあ最後ぐらい、と付き合ってやった。

俺はそれが何の映画かも確かめることもなく、そいつと千葉駅まで繰り出し、その映画を観に行った。

それが何を隠そう、あの伝説の『すかんぴんウォーク』だったのである(ちなみに同時上映は、あの『うる星やつら2 ビューティフルドリーマー』であった)。

続く。

# by ichiro_ishikawa | 2016-07-06 01:38 | 日々の泡 | Comments(0)