保守と俺


 いつもロック、ロックとうるせえ俺は一見、進歩的な人間と見られることが多いが、実は、常識というものを尊重している、保守的な人間だ。
 ここで常識、保守というと、言葉というものに深く思いを馳せたことがない人には絶対に誤解される。その誤解を解こうとも思わないし、そもできないのだが、まず、ここでいう常識とは、いわずもがな、小林秀雄や池田晶子がいうところのそれだ。
 では、保守とは何か。保守党、保守政権、保身といった言葉からすぐ想起される受動的な意味ではないのは明らかだが、では何かと問われるとうまく答えられずにいた。まあ実際問われた事はないけれど、もし問われたらどうしよう、説明できねえ、と若干おびえてはいた。

 そんな中、福田和也の新刊が出たことで、「東京の流儀」というタイトルも良かったのでろくにチェックせず、すぐにAMAZONで買ったが、GQ JAPANの連載をまとめたものと知ってやや後悔したのもつかの間、一読して、媒体はダメだけれど、作家はすげえという例がここにある、という事実を目の当たりにした。
 そこで、保守についてのナイスな定義があったのだった。

 かつて、福田恆存先生は、「保守とは、横町の蕎麦屋を守ることだ」と看破された。
 つまりは、毎日、とは云わないまでも、日常に通う店、つまりは自分の生活スタイルを保持すること、そのために失われやすいものにたいして、敏感に、かつ能動的に活動する精神を、保守という。

by ichiro_ishikawa | 2008-12-03 05:07 | 文学 | Comments(0)  

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