エセー「酒と俺 2」


俺が無類の酒好きであることは、どうやらあまり知られていないようだ、
というか、むしろ下戸、と大きな勘違いをしている輩が実に多いのは、意外なことだ。
小林秀雄や池田晶子が酒好きなので、彼らへの憧れから見栄を張っている、と思われているのも実に心外なことだ。
なぜ、そうした誤解が生まれるか。
おそらくは、酒の席でも俺が常にウーロン茶やコーヒーを飲んでいる、
という、事象の表面しか見ない、明らかに思考放棄な怠惰な人間が多いという、単純なことに過ぎまい。
俺が、ウーロン茶やコーヒーを飲むのは、ウーロン茶やコーヒーが酒と同様に好きであることもそうだが、何より、酒を飲むと1/2の確率で後頭部の奥がピキピキ痛みだすため、そしてこの痛みが普通の人ならその場でのたうち回るであろうほどの尋常でない痛みだからである。

一方、俺が、物質、眼に見えるのもの全般を軽視していることはよく知られることだ。
とはいえ、「俺」は、この脳を中心とする、社会便宜上、石川一郎と名付けられた物質となぜか常にともに「いる」。だが、この物質が、実は「俺」にはすごく邪魔であり、できれば切り離して、ただ「俺」だけで在りたいという強い欲求がある。
眼を瞑り、前後左右上下不覚の状態、この俺を「俺」と呼んでいる「これ」だけで「在る」状態、いわば「存在」だけである状態、がいい。
俺が、世でのあらゆる行為の中で「眠る」というアクションが最も好きなのもそういうことだ。
また、海で波にさらわれると、それに近い状態になることを知って以来、毎年海に行っては、波にさらわれ溺れているのも、実はそういうことだ。
その「存在」自体を、「俺」と呼ぶと混乱するならば、シンプルに「魂」と呼んでも「精神」と呼んでもいい。「ソウル」、「スピリッツ」と。

ところで、酒は「スピリッツ」というじゃないか。
つまり、人類は、酒を「精神」と同じもの、少なくともその例えと見なしてきたのだ。
酒とは精神であったのだ。
そんなわけで、物質としての俺を1/2の確率で常に悩ませるこの酒を、俺は愛してやまない。

by ichiro_ishikawa | 2009-04-19 00:36 | 日々の泡 | Comments(0)  

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