ポップミュージック・クラシック

ビートルズ前夜  
ブリル・ビルディング・ポップ 1958−64

ソウルの底にはポップがあった

 昨年、ピーター・バラカンの『魂(ソウル)のゆくえ』を再読したことがきっかけで、ソウル(ブラック)・ミュージックをもう一度きちんと丁寧に歩いてみようと、改めてその歴史を繙いていったとき、2つのことに思い当たった。
 ひとつは、ソウルのルーツはブルース〜R&B/R&R、そしてゴスペルにあると同時に、ソウルには、ポップという恐ろしく強い力が通底していると感じたこと。
 2つ目は、コースターズ、ザ・ドリフターズのようなソウル以前のポップ化したR&Bには黒幕がいる。ジェリー・リーバー&マイク・ストーラーという作詞作曲/プロデューサーチームの存在の力を思い知ったということ。

 白人音楽を中心とするポピュラー・ミュージックは、常に黒人音楽を盗用/吸収しながら発展していったことは周知の事実で、ことロックに言及するときブルーズ、R&Bをそのルーツとすることは多い。だが、ポップスは意外と看過される。ブラック・ミュージックはいつも尊敬の的であるが、ポップの偉大さにも同時に打ちのめされているこの衝動をどうしてくれようというのが、本稿の主旨だ。

50sポップシーン

 普通、「古き良き時代のアメリカ」という時、それは、第二次世界大戦での勝利を経て、物質面での生活がグワッと向上した1950年代のディケイドを指す。音楽の世界においては、ポップ大隆盛の時代だった。えてして生活が充実すると、享楽に走る。内省は陰を潜める。時代を反映しがちなポピュラー音楽にあって、こと50年代当時の音楽は、その享楽を貪って生まれたとも言える。
 だがパーティーがそんなに長続きしないことは今も昔も変わらない。不満分子というやつはそんななか、現れる。
 50年代半ばに来て、腑抜けたパーティミュージックに飽き飽きしていた不良たちが、続々表舞台に文字どおり躍り出て来た。
 メジャーシーンにおいて、エルヴィス・プレスリー、エディ・コクラン、バディ・ホリーといった白人の不良たちがビートを強化させ、リトル・リチャード、チャック・ベリー、ファッツ・ドミノらがブラックグルーヴを爆発させた。
 ロックンロールの誕生だが、徴兵制度やら飛行機事故やらペイオラ疑惑やらで一度、ロックンロールは社会につぶされる。
 その間隙を縫って現れたのがブリル・ビルディングのポップだ。ロックンロールの嵐が去ったその土壌で、ティン・パン・アレーを中心とするポップスが巻き返しをはかる。その時、ポップスの職業作家たちは、ニューヨークのブリル・ビルディングという音楽出版社がひしめくビルの中(および周辺)で、ひたすら曲作りに勤しんでいた。ブリル・ビル・ポッブとはそこで作り上げられた音楽の総称/俗称である。
 ここで重要なのは、ロックンロールの嵐が去った後もその鋭角なナイフは若者たちの心にグサッと刺さったままだったということで、彼ら職業作家たちは、そんなリスナーと同世代の若者で、ロックンロールの魔法に憑かれてしまった人間たちであった。つまり、そこで量産されたブリル・ビル・ポッブとは、メロディーとハーモニーの強化を図った、ロックンロールの別の形だった。
 つまり、このブリル・ビル・ポップの音楽について何かいうとき、それがエルヴィス・プレスリーを筆頭とするロックンロール・ミュージックが爆発した直後に量産されたという時期的なものについて意識的でなければ大事な部分を見落としてしまう。

60s、ロック夜明け前にポップあり

 ポップスとは、職業作家たちが曲を量産し、適当な可愛い子ちゃん歌手などのアイドルをマリオネットとして唄わせるもので、それをロックがぶち壊した、という図式は非常に分かりやすい。つまりポップスのアンチとして、日本においてもベストテンなど歌番組主導の歌謡曲へのアンチとして、ロックが花開いたという説明がある。だがそれはとんだお門違いだ。
 ポップの重要性に注意するのは良いことだ。ジョン・レノンはビートルズとしてアメリカを初めて訪れた時に、キャロル・キングとジェリー・ゴフィンという同世代のソングライターチームを表敬訪問したというエピソードから分かるように、アメリカのR&Bがそうであるとまったく同じ位相で、アメリカのポップスは、実は、60年代に花開くロックンローラー全員の尊敬の的だった。50年代前半から巻き起こり一度は死んだロックンロールが一過性のものに終わらなかったのは、そのエモーション、アティテュードをポップが受け継いだことにあった。彼らソングライターは職業作家の体で語られることが多いが、それはキャロル・キングやニール・セダカが代表するように彼らは同時にパフォーマーでもあったのだが、たまたまてめえが自演するよりもアイドルに唄わせたものの方が「ヒット」したというだけだ。50年代に勃興したロックは、彼らによるポップという洗練をへて60年代に花開くのである。
 勢いで突っ走り爆発したロックンロールが、西洋音楽の教養と若いエネルギーを兼ね備えた若者たちによってメロディの質を飛躍的に高めた。ブルーズにおける個(私)の発露と、ガリッと弾くギターの生の手触り、R&Bの強力なリズム、そしてポップスのメロディ、そうしたものを大西洋の彼岸でしっかりと吸収した上で、爆発したのがビートルズ、キンクスを始めとするブリティッシュ・ロック・グループであった。

 というわけで、黄金のアメリカンポップスを確立させた彼ら若きソングライターたちの偉業を辿ってみたい。生誕年にも注目。ちなみにエルヴィス・プレスリーが1935年、ジョン・レノンが1940年。

■ジェリー・リーバー(1933生まれ)&マイク・ストーラー(1933生まれ)
c0005419_12311843.jpg作詞作曲家/プロデューサー・チーム。コースターズ、ドリフターズを輩出した黒人音楽マニアの白人2人組。フィル・スペクターの師匠にあたる。ブラックのゴリッとしたテイストはそのままに、メロディをよりキャッチーに、サウンドデザインをキッチュに深化させたといえる。(写真中央はキング)

→手掛けたすげえ曲この3曲
♪「Hound Dog」Elvis Presley(1956)
♪「Jailhouse Rock」Elvis Presley(1957)
♪「Love Me」Elvis Presley(1957)
♪「Don't」Elvis Presley(1958)
♪「Love Potion No. 9」The Clovers(1959)
♪「On Broadway」The Drifters(1963)


■フィル・スペクター(1940生まれ)
c0005419_12321030.jpg作詞作曲家/プロデューサー。音を重ねまくり、エコーを多用し、奥行きのある独特のモノラル・サウンドデザインを確立させた。ガ−ル・グル−プを見る眼あり。だが身長160cm。

→手掛けたすげえ曲この3曲
♪「Every Breath I Take」Gene Pitney(1961)
♪「He's A Rebel」The Crystals(プロデュース。作曲はGene Pitney)(1962)
♪「Be My Baby」The Ronets(1963)
♪「Da Doo Ron Ron」The Crystals(1963)
♪「Then He Kissed Me」The Crystals(1963)

■ニール・セダカ(19390生まれ)&ハワード・グリーンフィールド(1939生まれ)
c0005419_12323325.jpgアルドン・ミュージック所属の作詞作曲家チーム。ニール・セダカはパフォーマーとしても優れ、アイドル的存在だった。ド・キャッチーなメロディは秀逸。(写真はニール・セダカ)

→手掛けたすげえ曲この3曲
♪「Stupid Cupid」Connie Francis(1958)
♪「Oh! Carol」Neil Sedaka(1959)
♪「Calendar Girl」Neil Sedaka(1960)
♪「Where The Boys Are」Connie Francis(1961)
♪「Breaking Up Is Hard To Do」Neil Sedaka(1962)

■ジェリー・ゴフィン(1940生まれ)&キャロル・キング(1942生まれ)
c0005419_1233115.gifアルドン・ミュージック所属の作詞作曲家チーム。キャロル・キングは71年の名作『タペストリー』の存在感の大きさから、70年代のシンガー・ソングライターとして見られることが多いけれど、ビートルズ以前の偉大なるメロディメイカー。

→手掛けたすげえ曲この3曲
♪「Will You Love Me Tomorrow」The Shirelles(1960)
♪「Every Breath I Take」Gene Pitney(1961)
♪「The Loco-Motion」Little Eva(1962)
♪「Up On The Roof」The Drifters(1962)
♪「One Fine Day」The Chiffons(1963)
♪「I Can't Stay Mad At You」Skeeter Davis(1963)

■バリー・マン(1939生まれ)&シンシア・ウェイル(1937生まれ)
c0005419_12332720.gifアルドン・ミュージック所属の作詞作曲家チーム。フィル・スペクターと組むこと多し。ややマイナーコードのメロディがいい。(写真の白いワンピースはキャロル・キング)

→手掛けたすげえ曲この3曲
♪「Uptown」The Crystals(1962)
♪「On Broadway」The Drifters(1963)
♪「Unchained Melody」The Righteous Brothers(1965)
♪「Who Put The Bomp (In The Bomp, Bomp, Bomp)」Barry Mann(1961)

■ジェフ・バリー(1939生まれ)&エリー・グリーンウィッチ(1942生まれ)
c0005419_1233504.gifトリオ・ミュージック所属の作詞作曲家チーム。フィル・スペクターと組むこと多し。ポップ職人とは彼らをいう。

→手掛けたすげえ曲この3曲
♪「Be My Baby」The Ronets(1963)
♪「Da Doo Ron Ron」The Crystals(1963)
♪「Then He Kissed Me」The Crystals(1963)

■ドック・ポーマス(1925生まれ)&モート・シューマン(1936生まれ)
ヒル&レインジ所属の作詞作曲家チーム。徴兵から帰還後のエルヴィスを支えた。「Save The Last Dance For Me」などR&B要素が濃い。やや大人びたサウンドが特徴。

→手掛けたすげえ曲この3曲
♪「Surrender」Elvis Presley(1961)
♪「(Marie's The Name) His Latest Flame」Elvis Presley(1961)
♪「Save The Last Dance For Me」The Drifters(1966)

■オーティス・ブラックウェル(1931生まれ)
作詞作曲家。初期エルヴィスを形作ったといっても過言ではない、本稿唯一の黒人。

→手掛けたすげえ曲この3曲
♪「Don't Be Cruel」Elvis Presley(1956)
♪「All Shook Up」Elvis Presley(1957)
♪「Return To Sender」Elvis Presley(1962)

 これらブリル・ビルディング・ポップを聴いていて思うのは、黎明期のロックンロールよりメロディとアレンジが洗練され、曲自体は初期ビートルズと変わらないということ。『ア・ハード・デイズ・ナイト』ぐらいから、ビートルズは独自の進化を辿ることになるが、同じポップなメロディでも、アメリカン・ポップはやはりカラッと明るいのに対し、イギリスものはやはり陰というかうすらひねった感じがある。日本においてイギリスの歌ものがヒットしやすいのは、やはり同じ島国気質によるのだろうか。アメリカの移民気質、大陸気質のザクッとした感じはイギリス人や日本人にはなかなか出せない。アメリカン・ロックは偉大だと思う瞬間だ。
 また、当時は45回転のシングル盤が主流だったため、1曲の中で悠長に曲を展開している時間はなく、イントロ一発でリスナーを掴み、かつ飽きさせないことが必須であった。そのため、溢れるほどのさまざまな音楽的アイディアが1曲の中にぎっしりと詰まっている。1曲のパワーが強大なのはそうした事由にもよる。

 追伸的にいえば、当時のアメリカンポップスの隆盛は、日本における70年代後半から80年代前半にかけてのポップシーンに似ている。それ以前の優れたミュージシャンたち、主に、大滝詠一、松本隆、細野晴臣らはっぴいえんどの面々を始めとするロックアーティストたちが一斉にアイドルたちに曲を書き始め、画期的なポップソングを生み出した。とすると、やはり20年遅れでアメリカを追う日本という構図が真実味を帯びてくる。さしずめ今なら1985年。アメリカではヒップホップが勃興し隆盛を極めていた時代だった。同じくアメリカを「偉大なる他者」とするイギリスは、鋭い批評性でもって独自の動きを作り出すのとは非常に異なる。

by ichiro_ishikawa | 2005-03-23 15:37 | 音楽 | Comments(0)  

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