文語と俺


 俺が文語好きというのはカンのいい連中は気づいているはずだが、それはなぜかといえば、音とリズムが抜群に素晴らしいからだ。調べと薫りがものすげえいい。
 「ぞ・なむ・や・か・こそ」という現代では消滅した係り結びの助詞(こそはやや生きている)や、らむ・めり・まほしといった助動詞、あまつさえ、頗る(すこぶる)、須らく(すべからく)、畢竟(ひっきょう)、蓋し(けだし)といった副詞、さもありなむ、何をかいわんやといった慣用句…、語感そしてその意味、文句なしの秀逸さ、思わず発語してみたくもなる、日本人の叡智の結晶である。

石炭をば早や積み果てつ。中等室の卓のほとりはいと静にて、熾熱燈の光の晴れがましきも徒なり。(舞姫)

祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。(平家物語)

月日は百代の過客にして行きかふ年もまた旅人なり。(奥の細道)

いずれの御時にか女御更衣あまたさぶろひたまひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり・・・・(源氏物語)

 春はあけぼの。やうやうしろくなりゆく山ぎは、少しあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。
 夏は夜。月のころはさらなり、やみもなほ。蛍の多く飛びちがひたる、また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くも をかし。雨など降るも をかし。
 秋は夕暮れ。夕日のさして山の端いと近うなりたるに、からすの寝所へ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり。まいて、雁などの連ねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。日入り果てて、風の音、虫の音など、はた言ふべきにあらず。
 冬はつとめて。雪の降りたるは言ふべきにもあらず、霜のいと白きも、またさらでも、いと寒きに、火など急ぎおこして、炭持て渡るも、いとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も白き灰がちになりてわろし。(枕草子)

つれづれなるまゝに、日暮らし、硯に向ひて、心に移り行くよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、怪しうこそ物狂ほしけれ。(徒然草)

 中高で暗記させられたこれらの名文たち、歴史を暗記物に貶めるなど進学試験制度はいろいろ議論があるが、こうした「とりあえず丸暗記しろ、あとあと凄さが立ち上がるから」みたいなおしつけ教育は、強(あなが)ち間違ってもいないな。

by ichiro_ishikawa | 2009-10-20 19:56 | 文学 | Comments(0)  

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