無私の精神


 文藝春秋から1967年に上梓された小林秀雄「無私の精神」の初版本をAmazonにて880円でゲットン。いい装丁。
 この中のタイトルトラック「無私の精神」、初出は1960年1月の讀賣新聞。小林の作品は実はすべてに「無私の精神」「中庸」という裏タイトルがついているのだが、表にズバリ「無私の精神」とつけられたこの短文も実に味わい深い。他のインテリゲンチャ、殊にいわゆる批評家連中とは一線を画す点がこの「無私の精神」、「中庸」の精神なのだった。

 それにしても1967年はすごい年だ。ロックの世界でのリリースをざっと洗うと、Buffalo Springfield Again/Buffalo Springfield、The Velvet Undergroud & Nico/The Velvet Undergroud & Nico、Surreallistic Pillow/Jefferson Airplane、The Doors/The Doors、Strange Days/The Doors、Don’t Look Back/Bob Dylan (Documentary film。ディランは1966年7月にオートバイ事故を起こしたためこの年はアルバムリリースはない)、Are You Experienced?/The Jimi Hendrix Experience、Axis:Bold As Love/The Jimi Hendrix Experience、Sgt.Pepper's Lonely Hearts Club Band/The Beatles、Magical Mystery Tour/The Beatles、Their Satanic Majesties Request/The Rolling Stones、Disraeli Gears/Cream、A Whiter Shade of Pale/Procol Harum、The Piper at the Gates of Dawn/Pink Floyd、The Who Sell Out/The Who、Mr.Fantasy/Traffic……ものすごい年だ。こんな名盤が次々と売り出された、その時に生きていたらどんな事になってしまうのだろう。そして日本では「無視の精神」と来たもんだ。

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小林秀雄「無私の精神」
『小林秀雄全集第12巻 考えるヒント』2001新潮社/『讀賣新聞』1960.1(抜粋)


 私の知人で、もう故人となったが、有能な実業家があった。非常に無口な人で、進んで意見を述べるというような事はほとんどない、議論を好まない、典型的な実行家であった。この無口な人に口癖が二つあった。一つは「御尤も」という言葉、一つは「御覧の通り」という言葉である。だれかが主張する意見には決して反対せず、みんな聞き終わると「御尤も」と言った。自分の事になると、弁解を決してしない、「御覧の通り」と言った。この口癖には、何んとも口では言えぬ感じがあり、また、ある言いようのない魅力があった。私は、彼の仕事の実際については、知るところが殆どなかったが、彼と一緒に仕事をしていた人達の間には、彼の口癖は無論よく知られていたらしく、彼の仲間の一人が、あの人の「御尤も」と「御覧の通り」には、手も足も出ない、と私に語った事がある。彼には、人を説得するのに、「御尤も」と「御覧の通り」のふた言あれば足りたわけになる。

 私は、よく彼の事を思ひ出しては感ずるのだが、ひと口に実行家と言っても、いろいろある。しかし、彼の場合の様に、傍から見ていても、それとはっきり感じられるのだが、並み外れた意識家でありながら、果敢な実行家でもある様な人、実行するとは意識を殺す事である事を、はっきり知った実行家、そういう人は、まことに稀れだし、一番魅力ある実行家と思える。考へる事が不得手で、從ってきらいで、止むを得ず実行家になっている種類の人が一番多いのだが、また、そういう実行家が、いかにも実行家らしい実行家の風をしてみせるものだ。この種の退屈な人間ほど、理窟など何んの役にも立たぬ、といつも言いたがる。偶然と幸運による成果について大言壮語したがる。一般に、意識家は実行家ではないといふ俗見の力は、非常に根強いものだと思う。あれもこれも、心に留めて置きたい、ある場合も逆の場含も、すべての条件を考えたい、だが、実行するには、たった一つの事を選んで取り上げねばならない。そういう悩みで精神が緊張していないような実行家には、興味が持てない。子供の無邪氣とは、自ずから異なるからである。

 実行家として成功する人は、自己を押し通す人、強く自己を主張する人と見られ勝ちだが、実は、反対に、彼には一種の無私がある。空想は孤独でも出来るが、実行は社会的なものである。有能な実行家は、いつも自已主張より物の動きの方を尊重しているものだ。現実の新しい動きが看破されれば、直ちに古い解釈や知識を捨てる用意のある人だ。物の動きに順じて自已を日に新たにするとは一種の無私である。

by ichiro_ishikawa | 2009-10-22 19:37 | 文学 | Comments(0)  

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