抜き書き「人生の色気」


[色気・エロス] 
※便宜上分類&文字サイズ拡大 for 読み手=てめえ(以下同)

 不祝儀の場の年寄りの振舞いに、男の色気は出るものなんです。

 差異の中にエロスがある。差異を破壊するにしても、乗り越えるにしても、エロスが力になるわけです。人道主義なんかじゃ、何のエロスも生まれません。

 個室が徹底してくると、個室の中で人が衰えてしまうんです。いざ個室を持ったら、やる気にならなくなるとか。人間は、運命的なものに対する緊張があるかないかで、生命力が強くなったり弱くなったりします。緊張が抜ければ、生命力が弱まるものです。

 いま、女性の顔が荒れているでしょう。あれは男が悪いんです。女を求める男が少ないからですよ。

 恋愛小説のポイントは、やはり、関係が深くなったと感じる境目です。

 一緒に物を食べることは重要です。僕らの頃は、物を食べるとお里が出るという感覚でした。各々が自分のお里を宿しているから、裸になるようなものです。食べているうちに羞恥と違和感が味わえる境があるんです。

 似たもの同士くっついていれば、男女の性的な欲望も衰えますよ。

 馬の骨同士が交わっているところに自由があるわけです。そうでなければ、人類は滅びるようになっています。

 男女の引力は、ある男の特異なものとある女の特異なものが引っ張り合って生まれるものです。

 同じ人間だけれど、異種のものが引き合うわけです。

 人は嫌いというところがなければ、好きになりません。この女とだけは寝たくない、という場合に限って、むずかしい関係になるものです。

 表現というのはエロティックな行為ではありませんか。同種ではなくて、異種交配を求めてしまうんです。最初のうちは、読者も想定できるし、ある一つのイメージに導かれて、筆は進みます。ところが、ある節目があって、イメージも絶えてしまえば、読者も思い浮かべられないところにく来る。いったい、何に向かって自分は書いているのか。その節目で次に突っ込んでいく原動力が、エロティックな異種交配への欲望なのかもしれません。

 異種交配は生存への欲求です。生存というのは、自分の個体を超えた生存ですよ。

 男女の交わりの一番の恍惚は忘我と変貌です。つまり、顔が変わってくる状態です。これは、人間にとって最も恐ろしいことだし、また、一番よく知っていることでもあります。普通の生活をしていれば絶対に表に出ないような顔を隠し持っていることを、本能的に知っているんです。だから、あの最中、あんただれ? と突然問われたら。どうにも答えようがなくなることもあります。
 匂いにしても、いろんな匂いを発散し得るわけです。人間の匂いは、無数の体内細菌のバランスの系によって生まれるものでしょう。ある時、その系が変わる可能性もあるでしょう。交わるということは、相手の細菌を入れるということです。新しい系と接触することによって、一時にせよ、何かが変わっているはずです。
 同棲した男女が別れる時、お互いつらくてしようがなかったから、別れてほっとしたはずなのに、心の問題は別として、しばらく、またつらいというんです。別れた相手が恋しいのではなくてつらい、一人で寂しいんじゃなくてつらい。これは、同棲していた男女二人が、細菌を混ぜ合わせて系を作っていたからですよ。


[表現]

 言葉の中にも、振舞いや身のこなしの要になるような何かが、すとんと落ちるような形で隠されていて、その場所に気づいて粘るか、すぐに逃げ出すかで、だいぶん違うと思います。すとんと落ちたところに踏みとどまれば、本人の認識力というより言語そのものの力が、人間本来のあり方を引っ張り出してきてくれるんです。

 歳月の積み重ねが人を重んじなくなり、あまり感じ分けない様になると、表現の幅が狭くなります。

 一里というのは、体に直接結びつく数え方だったんです。ゆっくり歩いて一時間、ああ一歩きしたな、くたびれたという距離が一里。

 デジタルの時計とアナログの時計では、使っている感じがちょっと違うでしょう。だれかと待ち合わせの時間が四時だとして、数字で出てくると、待ち合わせの四時までの時間が消えてしまいます。

 感情の触れ幅が小さくなっているのではないか。反応の仕方が浅くなり、感情も振り子が振れるように動くのではなく、点から点に移動するように変化します。

 どうにも停滞したところから小説をどう展開するか、これは書いている人間の予測の外のことなんです。次の展開は、いままで書いた言葉の力に任せなければいけません。だから、じっと待っているんです。

 世の中が忙しくて時間の流れが速すぎるせいか、若い作家が尽きたところでじっくり粘ることができなくなっています。強引に考えて次へ持っていくと、無理があるだけ、どうしても通俗に流れるわけです。通俗の方が長年培われた型がある分、表現が楽でしょう。
 もちろん、通俗にはたくさんの知恵が含まれており、自分の創意などよりはるかに優れている場合も多い。ですから、通俗に流れること自体、悪いとは言えませんが、どうしても、安易さと紙一重の関係にあります。

 粘って、待つ。

 小説は、ある出来事のいきさつを書くジャンルです。

 矛盾の中に入ろうとするのが、表現なのかもしれません。


[生きる全体]

 面白いことを追う為には、面白くないことにうんと耐えなければいけません。

 苦しさを耐えることはできるけれども、人に好かれていないと思うのは、やはりきついです。

 人の強さは、辛抱できるかどうかではなく、情の薄さに耐えられるかどうかが肝心なんです。

 どこの馬の骨か分からない同士、という気持ちが大切だと思います。それが自由を保障するわけです。

 人がサスペンデッドな状態、宙づりの状態に耐えられなくなっているんです。難しい問題は、たいがいサスペンデットです。判断が下せない期間が長くなります。その猶予に耐えられないから、決まりきった概念、用語、符号が与えられることを求めるんです。


[読書]

 読んでもちっとも頭に入らないけれど、何となく嫌な感じがするという心地が、読書の醍醐味なんです。

 読書は、自分を見つけることもできれば、自分を離れることもできるという、不思議な効用があります。

 自分の中にないはずの何かに触れ、共鳴する事も、本を読む功徳でしょう。

 読んではめくり、読んではめくり、うつらうつらと読んでいるものが、意外に頭に入っています。夢うつつで何度も同じ行をたどるような読書が、しみ込むように入っているんです。こちら側の五感が開いている時と閉じている時があるんです。

by ichiro_ishikawa | 2010-01-09 03:19 | 文学 | Comments(0)  

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