エセー「ブログについて」


 ブログというと日本では公開日記の意味となっていて、つまり、仲間同士の間でしか価値は発生しておらず、「媒体」や「コンテンツ」としての外部一般に向けての価値には乏しい。
 だが、アメリカを中心とする欧米では、「媒体」や「コンテンツ」としての一般的価値を有しているものがたくさんあり、ブロガーという人種が経済効果にも多分に貢献している。
 私は英語はしゃべれないが読めるため、海外ブログをわりとよく読む方だが、そうした良質のブログの共通点は、読んで何かしらの身になることは当然の助動詞として、最も大事な点は、筆者が誰か分からずとも、文章が良い、という、これまた極当たり前の事に過ぎない。

 本ブログは立ち上げの際、そこら辺を意識していたわけでは全くないが、公開日記にはしたくない、してはならないという自己規律は無意識のうちに働いていた。大した目的もなく、新しい事を実験的になんとなく始めたというのが真相だが、英語は使わなければ、どんどん錆びて行くように、文章というのも書かなければ書けなくなる、という恐怖と、書く=考えるという考えがあったため、書いていないと思考力も錆び付く、という不安もあった。スポーツではギリ食っていけないことが判明したとき、思考力を磨かなければ飢え死にする危険があった。結果、2004年から6年続けていてともにアップしているかは怪しいところだが、ダウンはかろうじてまぬかれているのでは、と、てめえに言い聞かせて慰めている。

 しかしつくづく、書くとは、考えるということだと身に染みている。ちょっと考えた事を書こうと思うと、全く書けない事に気づく。それで筆を進めながら思考を深める。否、そこで「初めて」考え始める、という、書くという行為はまったくそのような事態になっている、という事に気が付くのであった。
 よって結構文章を量産している昨今は、とみにいろいろ考えているわけだが、そんな時、ふと、高校時分から顔を合わせるたび言われ続けているマザーの言葉が頭を過ぎる。

「お前は考え事ばかりしてるから…」

 してるから、何だ? 先が気になる。肯定的なことでないのは確かだ。
 B型のファーザーがぶしつけに答えを出す。

「本なんて読んでばかりいるからノイローゼになるんだよ」

 誰がノイローゼだ? それは大前提でそこからの議論なのか? 

 無条件で愛してくれるはずの両親でさえこの否定観で、いわんや他人をや。
 とはいえ、てめえでもふと思う。考えて……どうすんだ?
 分かりません。
 下手の考え休むに似たり、というフレーズを街で聞くとギクッと振り返ってしまう38歳、初雪。

by ichiro_ishikawa | 2010-02-01 22:45 | 日々の泡 | Comments(2)  

Commented by 大宰府天満宮 at 2010-02-02 02:49 x
ずっと書いてりゃ、いずれ雪解け水のように考えは溢れ流れ、思索の春が訪れるに違いないと信じたい。
Commented by 努力 at 2010-02-02 13:11 x
「ただ年月長く倦まずおこたらずして、はげみつとむるぞ肝要」です。
全てに言える事ですね。
名前
URL
削除用パスワード

<< 感想「或る女の一生」 試論「私が億もらってもいい理由」 >>