エセー「twitterと私」


 昨今、twitterなるものが流行しているらしいが、という書き出しは、いかにもジジくさい。わざと皮肉を込めてやっているが、あまりうまくないかもしれない。twitterなるものが流行しているらしいが、流行しているという時点で、それはきっとくだらないものだろうと私は決めつけるものである。人並みに周りから勧められもするが、もうこれ以上新しいツールを私は欲しないので用無しだ。どういう面白さがあるのかは、人づてに聞きかじった概要から判断しているが、つべこべ言わずやってみるのが一番正確だろうとは思う。
 とはいえやらないのだが、察するに、人からのハッとするつぶやきとの出会いに、いちばん妙味を感じるのではないか。ある人がこんなことをつぶやいてきたら、絶句するしかない。

 哲学は、統一性(ユニテ)に到着するのではない。統一性(ユニテ)から身を起こすのだ。

あるいは、

 あの経験が私に対して過ぎ去って再び帰らないのなら、私の一生という私の経験の総和は何に対して過ぎ去るのだろう。

 その後、何ごとも手につかなくなってしまうだろう。敏感な人ならば発狂しかねない。

by ichiro_ishikawa | 2010-02-15 00:03 | 日々の泡 | Comments(1)  

Commented by 流行過多 at 2010-02-15 08:59 x
twitterはWikipediaでは「ゆるいつながりが発生するコミュニケーション・サービス」と書いてある。やはり用の無い代物だ。
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