感想「寂聴のエセーに小林秀雄が登場」


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 2月14日の日本経済新聞、瀬戸内寂聴の連載「奇縁まんだら」第123回で、小林秀雄が登場。寂聴が一緒に九州へ講演旅行をしたときのエピソードが書かれている。

 小林秀雄は「美男として定評があった」。白洲次郎を夫に持つ白洲正子が傾倒しきっていたというから余程だ。なにせ、やはり美男の中原中也から恋人を奪った男だ。しかも 「とにかくすべての作家に仰ぎ見られているような評論家の親分であった」。講演旅行は、同行していた司馬遼太郎でさえ緊張し近づくのを避け、編集者たちも「かりかりに緊張して」いた、という。
 ここまでは、十分頷ける。小林秀雄は、日本の歴史全部の中でも最も偉大な、それこそゲーテとかトルストイのクラス、いやそれ以上の大存在なのだ。
 だが、問題は次だ。

 講演旅行へ行く前に、河豚を食いに立ち寄った下関の料亭で小林は、河豚がなかなか出ないことに業を煮やし、「早く河豚を出せ!」とキレた。さらに博多のバーでは、ヘネシーを頼むも、バーテンがよかれと思いもっと高級な酒を出すと、「ヘネシーといったら、ヘネシーを持って来い!」とまたキレた。バーで一行は口も利かず黙々と呑んでいたという。
 ひとり寂聴だけが打ち解け、今は骨董の鑑定で食っているという話題になり、「先生はそんなに目利きなんですか」と寂聴が聞くと、「俺がいいと言えば、その品は、よくなるんだ」と吐いた。

 これだけ読むと、すげえいやなジジイ、孤高のロック文士が聞いて呆れる、となるに違いない。
 ピリピリした緊張感が充満するのは分かる。小林のあの文章を読んでいれば、必ずそうなるはずだ。だが、このキレ方はどうなのか、と。
 しかし、よく考えてみると、違うのである。

 河豚を頼んでいるのに河豚が出てこない、ヘネシーを頼んでいるのに違う酒が出てくる。これはものすごい理不尽な事態だ。こんな易い事務事項が理不尽なのは堪らない。それに対し、躊躇なく一喝したまでだ。しかしこう立て続けに理不尽な状況に見舞われて翻弄される小林秀雄の図というのも面白いが、もう状況の方が小林にビビッているとしかいいようがない。
 また、「俺がいいと言えば、その品は、よくなるんだ」にしても、「そんなに目利きか?」という質問に対して、それではどう答えるべきか。「いやあ、それほどでも」とニヤけて謙遜するか。「目利きです」と傲岸不遜に断言するか。
 目利きかどうかは自分は知らぬ。人が決めることだ。ただ、いいものを俺はいいという。つまり、それが鑑定という場である以上、鑑定者がいいといったらいい品となる。
 すごい当たり前だ。ちょっとびっくりした。そりゃそうだ。
 そう思い至ると、「俺がいいと言えば、その品は、よくなるんだ」との言葉は、傲慢でも独断でもまったくなく、ただ事実をそのまま告げているだけという事が分かる。

 あれだけすごい文を書く人だ。言葉ひとつひとつ、人生の局面局面で、研ぎに研ぎ澄まされたギリギリの物言いをする。ものすごく当たり前なことを、実生活においても当たり前に、よそ見せず簡潔な言葉で語っていた小林秀雄。ますます惚れる。

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字もかっけえ。

by ichiro_ishikawa | 2010-02-15 21:31 | 文学 | Comments(0)  

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