朝日新聞「小林秀雄」

小林秀雄の講演テープ、45年ぶり発見
活字化禁じた志


 文芸評論家の小林秀雄が11年半をかけて完結させた『本居宣長』の執筆を始めたころに、宣長について語った講演テープが見つかり、4月に「新潮CD小林秀雄講演」の第8巻として刊行される。講演は昭和40年11月27日、国学院大学日本文化研究所の学術講演会として行われた。主催者によって録音もされていた講演がなぜ45年ぶりに見つかり、公表されることになったのか。その背景には、講演記録(音源)をそのまま活字にすることを固く禁じた小林の強い意志があった。

 小林は「私の人生観」の冒頭で講演を好まない理由を「自分の本当に言いたいことは、講演という形式では現わすことができない」といい、今回見つかった講演でも「こういうところで話すのは気が進まないが、角川くんが頼む頼むとうるさく言うから」と話して笑いを誘っている。

 同研究所の資料庫に保存されていたテープを発見した石川則夫国学院大教授(日本近現代文学)によると「角川くん」とは角川書店創業者の角川源義のこと。他の講演者の話は資料が残っているが、小林だけ記録がないため石川教授が調べたところ、当時の報告書に「例年であれば、研究所紀要に講演内容が掲載されるのだが、このたびは、特に仲介の労をとられた角川氏の指示に従い、それを行わないことになった」とあった。

 生前の小林を知る新潮社の担当編集者、池田雅延さんは「角川さんから講演を依頼された際、録音と活字化を断った上で引き受けたのに違いない。だから、テープの存在などとても話題にできなかったのでしょう」と話す。小林は録音されていることがわかると途中でも講演をやめることがあり、活字にするのも自分で手を入れない限りは認めなかったという。

 なぜ、そこまで活字化を禁じたのか。その理由を小林自身が語った言葉が「新潮 小林秀雄追悼記念号」(83年)のなかで、国民文化研究会理事長(当時)の小田村寅二郎氏によって紹介されている。

 小林は「僕は文筆で生活してゐます。話すことは話すが、話すことと書くこととは全く別のことなんだ。物を書くには、時に、一字のひらがなを“は”にするか“が”にするかだけで、二日も三日も考へ続けることだつてある。話したことをそのまま活字にするなどといふことは、NHKにだつて認めたことはないし、それはお断りします。録音テープを取るのも困る」と言い切ったという。

 小林の文章を書く覚悟と信念がしっかりと見える言葉だ。

 一方で、池田さんは「引き受けた講演については、頭の中で徹底的に原稿を書いて推敲(すいこう)していた。それをとぼけたようにつっかえたり忘れたふりをしたりして話していた。書くということをしてみないと本当に自分が何を言えるのかわからないから、書くという行為を伴わない言説はすべて作品以前のものであるという信念があった」という。

 新潮社では講演CDをシリーズ化しているが、これは「死の直後、当時の担当編集者が、遺志に背くのを承知で遺族に『散逸させてはならない』と説得して同意を得たから」という。ただし、小林自身が手を入れたもの以外は、講演内容を活字化することは、今もしていない。(都築和人)

※asahi.comより転載

by ichiro_ishikawa | 2010-04-04 02:22 | 文学 | Comments(0)  

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