翻訳に挑戦「カインド・オブ・ブルー」


 今日4/22は、51年前に、『カインド・オブ・ブルー』のM4.「All Blues」とM5.「Flamenco Sketches」が、ニューヨークの教会を改造した「30丁目スタジオ」で録音された日らしい。
(M1.「So What」、M2.「Freddie Freeloader」、M3.「Blue In Green」は3/2。レビューは高野雲の快楽ジャズ通信参照。ここも音楽的な部分が詳しい)

 ロック・ファンにも愛聴者の多い、言わずと知れたマイルス・デイヴィスの名盤で、超独特なムードがものすげえ。キャノボー・アッダレイ (as)、ジョン・コッツレイン(ts)、ビル・エヴァンス(p)、ウイントン・ケリー(p/on 2)、ポール・チェンバース(b)、ジミー・コブ(ds)といった全員がピンをはれるオールスターキャストをマイルス(tp)が、目だけで仕切っている(想像)。

 この独特のムードが「カインド・オブ・ブルー」と名づけられたわけだが、これは翻訳が難しい。厄介なのが、「ブルー」の訳だ。これはいつもほとほと厄介で、「It's All Over Now, Baby Blue」など、babyとともに、訳しようがない。つまり日本語がないのではないか。
 ここはブルーを訳さず、外来語的に取って、「ちょっとブルー」「ある種ブルー」がベターか? あるいは意訳して、「まあブルー」?
 しかしこれは逃げだ。「鯖(さば)」の漢字の説明で、「魚片にブルー」と言う、ブルーを日本語として血肉にしている長嶋とかならともかく、多くの日本人にとってブルーはやはり英語なのだ。
 無理やりやってみると、『カインド・オブ・ブルー』の場合のブルーは、オブの後だから名詞ということは確実で、つまり青、憂鬱、だから「ちょっと青」「ある種、青」「ちょっと憂鬱」「ある種、憂鬱」となる。どれもいまいちピタッと来ないだろう。  
 だがもうひとつの問題は、ブルーには青も憂鬱もあるが、青には憂鬱という意味はないし、逆もまた然り、という事だ。マイルスがブルーにどちらの意味も持たせたのだとしたら、これはもうお手上げだが、しかしそれでは「勝手に翻訳家」の名が廃るので、あえてここは、憂鬱、を採りつつ青をも想起させる言葉を迎えよう。
 ズバリ意訳で、「クラウディ・ハート」、としようか。


by ichiro_ishikawa | 2010-04-22 18:57 | 音楽 | Comments(0)  

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