エセー「Lonesome G.W. Blues」


 全く何もすることがないGWというのは何年ぶりか。
 春は曙、朝は早くに俺は起き、家の裏に大きく広がる、東京のリュクサンブール公園こと小金井公園を散歩する。今までまったく縁のなかった午前の陽光というものを全身に浴びながら、草むらに寝そべって空を眺める。太陽が徐々に高くなっていくのを確認する。地面が動いているということを実感することは難しい。あれは、実は太陽が動いている、という発見をしてしまった。この目で見た。ニュートンに寄稿しよう。
 部屋に戻ってレトルトカレーを食べると、ストレートアヘッドなビー・バップを大音量で聴きながら、とうに死んだ詩人の言葉を眺めては抜き書きをしてみる。
 繁華街には出る気にもならない。書斎とリスニング空間を誂えた部屋は遂に我が基地として完成しつつあり、周辺は空が広く、緑に溢れている。洗濯機を直しにきた初老の修理工も「環境が抜群だねここは!」と驚嘆したのに気をよくし、自分で豆を曳いた珈琲をご馳走する。
 黄昏時になると再びリュクサンブールへ。キャッチボールをする親子を見ながら、あのオヤジ、おそらく俺と同年代だな…、俺はいったいどこで間違えたのか…などと思いに耽ると、煙草を地面に突き刺し、夕陽を背に「5月の午後」を口笛で吹きながら家路につく。
 夕飯はレトルトハヤシライスかカップ麺か。3コンロのシステムキッチンはお湯を涌かす為だけにある。
 無事な生活だ。他者との化学反応はないが、ない方が俺はいい。何も得られないが、損なわれることもない。こんな暮らしの末、眠りについてそのまま目覚めることがなければ、それに越したことはない。
 願わくは花の下にて春死なむ その如月の望月のころ。
 旧暦の如月は今の三〜四月、桜は完全に散り、薄紅から活力漲る青緑へと街のトーンは装いを新たにしている。来年まで持ち越しだ。

 だが、こんな晏如とした日々がそう続くはずもない。またすぐに、俺は愚物の群れに飛び込まねばならない。GWが始まった瞬間にGW最終日という未来が存在する。カインド・オブ・ブルー、それは、寂しい、そして哀しい、いっそ優しいセレナーデ。



by ichiro_ishikawa | 2010-05-03 19:19 | 日々の泡 | Comments(0)  

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