雑記「征夷大将軍実朝」


 先日、柳田国男の弟子、折口信夫(釈迢空)の弟子・岡野弘彦による実朝の和歌に関する講演を聞き、鎌倉時代初期の詳細年表を眺めていると、小林秀雄「実朝」を改めて読みたくなり、そういやとばかりに太宰「右大臣実朝」にも行って、さらには新潮古典文学アルバムの「金槐和歌集」、橋本治の古典に関する文庫群に手を伸ばし、吉本隆明「源実朝」はいいか…とパスしていたそんな折、政権交代が世で起こったらしいという噂を聞くにつけ、実朝の政治手腕、文化趣味、そしてその根底というか原因だか結果だかしらぬが、その人格というものに思いを致している昨今だ。

 実朝に関する小林の批評はこの世のものとは思えぬ美しさを放って今なお光り輝いているが、「モオツァルト」といい「無常といふこと」といい「徒然草」といい、世では未曾有の大戦真っ只中の40代前半、小林はひたすら古典の美に沈潜していた。一方、鎌倉初期、身内の殺し合い、政権闘争、混乱の最中において、ひたすら万葉、古今、新古今の歌人らの魂に深く浸っていた実朝。とはいえ小林は大戦から眼を背けてはいなかったし、実朝もバシバシ政治的英断を下しまくっていた。ただ、両者共に、古典すなわち古人のソウルを「今ここ」に蘇らせることをこそ本線として生きていた。

 小林は長寿を全うし、実朝は鶴岡八幡宮参拝の帰り、甥の公暁に27歳で惨殺された。
 小林は文の世界に居て、実朝は政治の世界にいた。小林も世が世なら刺客によって殺されていただろう。小林はその作品群が、逆説的、文学至上主義的という、ものを考えぬ世の誤解、批判に常にさらされていたが、ペンは命までは奪わない。文筆家としての生命も、一度もぶれることのなかった無私の精神という信念からなる作品が、結果として世間の批判を返り討ちにする形となって、永らえた。
 実朝は、文を全うしたが武に倒れた。キリスト然り。太宰が描こうとした実朝はキリストだ。実朝=将軍家をイエス様と置き換えて読めば、舞台を鎌倉時代にすえた聖書に思える。

 文学云々のような絵空事より、食うか食わぬかの一大事が先決だ、という考えは、常に命の危険にさらされていながら、文学的真理を第一とし世間=人と人とが交わる場において実践していた実朝の前ではそれこそ絵空事だ。食うか食わぬかの一大事が先決という考えこそ、戦争の温床であり、あらゆる不幸の源である、という言葉は手垢にまみれすぎて世人、一顧だにしないが、手垢にまみれているという事はどの時代の誰もがやはり気にしていたということで、そこでそれらに代わる新しい何かを生み出す必要はない。そうした古来、口に上りまくって美しく染め上がった古典というものに、じっと身を沈めてみることはよいことだ。
 という心持ちになる事も、ある。

by ichiro_ishikawa | 2010-06-07 16:54 | 文学 | Comments(2)  

Commented by bon at 2010-06-10 00:30 x
小林秀雄の「実朝」  私も大好きです。
Commented by ichiro_ishikawa at 2010-06-10 11:11
小林秀雄の「実朝」  私も大好きです。

なんという美文。
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