マニフェスト「覚悟」
売れているか売れていないか、有名か無名か、でしか物事を判断できない人がいる。
いろいろ考えに考え抜いた末に、偽悪ぶってそうブッているのならまだいい(よくないけど)。心底そう思っている人がいるから始末に負えない。それじゃあ、発掘や発明なんて出来ないな。必然的に常に二番煎じじゃないか。
売れている人やもの、有名になった人やもの、それら自体は確かに凄いという事もあるやもしれぬ。だが、売れているから、有名だから、それはいいという人、その人自体は別に何の価値もない。至極当然。なのにそういう人に限って、「売れていないもの無名なもの」より、「売れているもの有名なものについて行く自分」を優位に置いているのは不可解極まりない。
21世紀の今どき、そんな汚物がまだ存在しているとは思わなかったが、実際いる事に俺は驚いている。いずれにせよ、そういう人は何も出来ない人だし、最終的には滅びる。
自分の中に生き生きとした嗜好と溌剌たる尺度がないから、そうした世間の作られた評価でしか物事を判断できないのだ。
誰が何と言おと俺はこれがいい、好きだ、と断言できないのは、覚悟がすわっていないからで、信念やプライドをもっていないからだ。つまりてめえの頭で考えられないからだ。
信念を通す事は覚悟がいる。責任を伴うからだ。これはこうだ、全責任は俺が取る。そんなことを言える人間が少ない。俺は幼少のときからそう言えて生きてきた。大抵は間違っていたため泥を嘗めてばかりだが、正解するために人の考えに闇雲に乗って判断するよりは、てめえの頭で考えて間違う方を、俺は選ぶのだった。
こういうのは、能力でなく人格の問題だ。だてにロックロック、文学文学言ってないのだ。それはロックや文学というものが、本質的にそういう覚悟で成り立っているもので、それにやられるという事自体、そういう本質を価値としている事に他ならないから、当たり前の事だ。
「てめえらとは覚悟が違う」。俺は部屋に小林秀雄の字を真似て筆ペンでこう書いた書を掛けてある。
by ichiro_ishikawa | 2010-07-11 02:44 | 文学 | Comments(1)