感想「村上春樹インタビュー」


 新潮社の季刊総合誌『考える人』最新号に、編集長・松家仁之氏による村上春樹へのロング・インタビューが掲載されている。同誌の創刊者でもある松家氏は今回で編集長を退くとのことだが、彼の執筆しているメルマガはテーマが気が利いているばかりでなく非常に示唆に富む内容で、いつもうなりながら読んでいたので、非常に残念だ。
 文章というのは怖いもので、その人の全人格のきわめて重要なものを露呈する。こういう文章を書く人ならテーマの視点がいいし、掘り下げ方や何より信念が信用できる、などということが如実に分かる。たとえば、編集後記を読めばその雑誌が自分と合うかは一発で分かる。
 メディアに露出しない村上春樹がインタビューに応じたのも松家氏の人格への信頼というのがあったからだと察する。インタビューは二泊三日で行われたという。
 インタビューに応じることになった村上氏による返信、

 The author should be the last man to talk about his work.

 という、前提を確認するような前置きから、インタビュー記事は始まる。この言葉がとても重要だ。これがなかったら読まなかったとさえ言える。

 最新作『1Q84』が全盛期のジャンプ(1981〜83)並みに売れている村上春樹の人気の理由は、俺があれこれ言うまでも無く分かりきっていることだろうが、一つ言えば、熟読再読を要請しない、あの分かりやすさにある。それでいて、あの主人公のクールさタフさ、セリフまわしや洒落た比喩が、そして「何かを隠している」雰囲気が、漠然と何か深い思想を有している感を出しているから、「読書した」「文学に入った」恍惚感を読者に与える。純文学以下、Jブンガク以上という、プチ知的なサブカル好き大衆の心をつかむ絶妙な位置に君臨し続けている。
 だが、その「分かりやすさ」というものが曲者で、それはイージーということではない、ということが重要だ。月並みな言い方だが、ポップなのであろう。それは大衆的という意味ではなく、もっと創作における態度、技術に踏み込んだところの意味で、たとえば、難解でアバンギャルドなものよりもポップなものを作る方がハードでタフな精神力を要する、というポップである。シュガーコーティングでない、本質からくるポップだ。

 このインタビューでもまず遺憾なく発揮されていることは、説明のうまさ、分かりやすさだ。話の筋が論理的、比喩が上手い、ということもあろうし、それは小説でも顕著だが、それは瑣末なことだ。本質は、ものを徹底的に考えた末のギリギリの言葉だけを吐いているというシンプルさにある。つまり簡潔なのだ。
 冒頭に掲げた言葉通り、小説の内容や作者の意図というもの(これが一番つまらない)が明かされるわけでは必ずしもないが、作者の文学的教養、生活態度、趣味嗜好といったものが多く語られるとき、村上春樹という人間の底深さ、創造者としての理想や覚悟の座り具合を感じることが出来た。村上春樹が作品中に書かずに我慢していたものが見えたような気さえした。それはこれまでの作品の読みが甘かったということでもあろう。
 そのポップネス、思想の分かりやすさ、というところが隠してしまっている村上春樹の本質を見極めるのも、ヒマな俺にはいい時間つぶしになるやも知れない。現役バリバリの一流作家の書いた『1Q84』、文庫に入ったら買おうと思う。

by ichiro_ishikawa | 2010-07-21 23:30 | 文学 | Comments(0)  

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