背表紙と俺

 大震災で俺のCD棚は崩壊し、多くのケースがわれ、ディスクが破損した。
 以前、外付けHDが壊れ20000曲のデータが失われた事は既に嘆き済みで、データの儚さを知ったものだが、ディスクもまた実に脆いものであった。
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 同じく本棚もあらかた倒壊したが、本一冊一冊は全く無事である。多少の破損はあるものの読むには全く支障はない。たとえそれが八つ裂きになっていたとしてもその復元が容易な事は、癇癪をおこして一度自ら引きちぎってしまった段平からの「あしたのために その1」を見事つなぎ合わせ、ジャブを会得したジョーの例が立証済みだ。
 本の耐久力のすげさに感心する。
 そんな中、あまり報道はされていないが、東北に多い紙の工場が被災し、紙の調達がままならず、出版に支障が生じている。さらに物流難で配本もままならない事態だ。というと、やっぱり電子書籍じゃね? という思考放棄・右へ習え体質のイージーな輩が多く出没するが、電子書籍なんて本じゃねえ。まあ野球に対しての野球盤みたいなものだ。野球盤は野球盤ですげえ面白いが。

 この震災で倒壊した本棚の中、唯一被災を奇跡的に免れていたのが、我が家では、小林秀雄全集ならびに池田晶子コーナーであった。
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 滅茶苦茶になった我が部屋の中、唯一すっくと屹立し、たじろがない小林秀雄と池田晶子。その背表紙を眺めていたら、涙が止まらなかった。男は背中ですべてを語るものだが、本は背表紙がすべてを語る。

by ichiro_ishikawa | 2011-03-24 01:19 | 文学 | Comments(0)  

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