中庸といふこと

 いくら弱っても泣き言、繰り言のたぐいを一切言わない、屈強な精神力の持ち主として有名な俺だが、さすがに参ることもある。そんな夜、俺は、小林秀雄をひもとく。
 今日は(も?)、中庸、ということについて思いを巡らせた。

 小林秀雄は、デビュー作でいきなり中庸だ。
 何々主義みたいな意匠をまとって別の何々主義を批判してああだこうだ喧しい連中を、全員、片っ端からクロスカウンターでのめしたあと、こうつぶやく。

 私は、今日日本文壇のさまざまな意匠の、少くとも重要とみえるものの間は、散歩したと信ずる。私は、何物かを求めようとしてこれらの意匠を軽蔑しようとしたのでは決してない。ただ一つの意匠をあまり信用し過ぎない為に、寧ろあらゆる意匠を信用しようと努めたに過ぎない。
「様々なる意匠」(1929年、小林秀雄、27歳)

 これが中庸、である。

 さらに、20年後、孔子の『論語』に出てくる「中庸」という考えについて独自の考えを述べる。それは、おそらく、そうでしかない、孔子の真意に達している。

 両端にある考え方の間に、正しい中間的真理があるというような、考え方ではなかったのである。(略)様々な種類の正しいと信じられた思想があり、その中で最上と判定するものを選ぶことなどが問題なのではない。凡そ正しく考えるという人間の能力自体の絶対的な救助とか、回復とかが目指されているのだ。そういう希いが中庸と名付けられているのである。
「中庸」(1952年、小林秀雄、49歳)

 小林秀雄は、終生、一貫して、「無私」「中庸」であった。その信念は全くぶれない。

収録文庫「Xへの手紙・私小説論」(新潮文庫 580円)
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 ところで、もうすぐこの俺も40歳。で、俺の座右にはいつも小林秀雄全集なわけだが、小林秀雄が40歳の時書いたものは、なんと最高傑作と名高い、「無常といふこと」なのだった……。40歳のとき、無常といふことを書くの、すげえ分かる。
 ちなみに、時は1942年。太平洋戦争の最中であったことに思いを致してみるのは良いことだ。

収録文庫「モオツァルト・無常という事」(新潮文庫 500円)
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by ichiro_ishikawa | 2011-05-31 01:14 | 文学 | Comments(2)  

Commented by カミノシンケン at 2011-05-31 01:32 x
競馬予想は信念ブレブレじゃねえか…?
Commented by ichiro_ishikawa at 2011-05-31 12:27
競馬予想も無私・中庸の精神で、とんでもない回収率をキープ中。
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