それはうまく口では言えないやな

 夏休みもクライマックスに近づいているというのに宿題には全く手をつけず、「勝手に自由研究」の一環で、小林秀雄全集未収録作品を集めては片っ端から読んでいるが、今の気分に合致していて面白かったものを下記に抜粋する。別の所でも書いていた(すぐ出ない)実業家の知人に関する、軽めのエピソードだが、小林秀雄の核に触れている重要な一節だ。

 昭和34年11月30日、NHK第二放送の教養特集で放送された池島信平(当時文藝春秋新社編集局長)、嶋中鵬二(当時中央公論社社長)との鼎談「文壇よもやま話」。この鼎談は、後の昭和36年4月に青蛙書房から刊行された『文壇よもやま話 上巻』に収録され、長らく絶版になっていたが、昨年の2010年10月、唐突に中公文庫に入った。ベタ起こしに近く、本人もそんなに推敲していないのか、文章としていささか読みにくいが、その分、収録時の生々しさが再現されていて、これはこれでよろしい。



 僕はね、よく考えるんだけどね、……もう死んだんだけど、僕の知人だった人に実業家があったんだよ。親しくしてたんだ。非常に有能で立派な人だったがね。僕は面白いと思ったのはね。人がいろんな意見を述べるでしょう? いろんなことを言うとね、「ごもっとも」ッて言うんだよ、「ごもっとも」ッて。また、反対のいろんな意見を言う奴が来ても、「ごもっとも」ッて言うんだよ。それから今度ね、自分が喋る段階になると、「ごらんのとおり」ッて言うんだよ、「ごらんのとおり」ッて。何にも弁解も、説明もしねえんだよ。それが癖みたいな人があったけどね。あ、成る程なア、こういうことがあるんだなあッて、まだ、覚えてることがあるけどね。その……いろんな意見ッてね、いろんなことを言ってみてもね。皆ごもっともだろう? だけど君、違うんだよね、本当のことは違うんだよ。それが、いろいろ実地に当たって仕事をして来た人は、いつでも実地ッてものを考えてるでしょう。実地ッてものは、つまり材料が沢山あるわけだろう……その中からあれだなッていうものはチャンと判ってるわけだな。それはうまく口では言えないやな。だから口でいろいろ意見を言う奴は「ごもっとも」なんだよ、みんな。だから「ごもっとも」っッて言ってるんだよ。さて、今度は自分が説明しようと思っても、あれだなッてことは、あんまり材料を沢山知ってるから、うまく言えないんだよ。だから「ごらんのとおり」なんだよ(笑)。「ごらんのとおり」ッ言ってるんだよ。で、僕はね、やっぱりね、批評のコツってのはそういうもんじゃないかね。僕はそういう風に思うがね。
 つまり材料が沢山なくちゃだめよ。だからホラ、新聞の政治論文でも、文化論でも、なんでも材料が実に貧弱なのよ。だから後は言葉で誤摩化さなくちゃならないでしょ? だから空論ばかり吐くわけだろ? ところが材料が沢山あると、これは中々ものは言えないもんだよね。あんまり沢山矛盾した材料があるでしょう? それをじいッと眺めているとだね、材料の中の方から、なんか結論が自然と浮かんでくるもんだよね。で、それは巧く言えないもんだよね。で、こいつをキャッチしてる奴ね、こいつをキャッチしてる奴は、あんまり喋らんだろ? 「ごらんのとおり」ッて言ってるよ。……僕はね、この頃、ジャーナリズムというものが非常に僅かな材料をもって喋っているということと、それから沢山材料を持ってる人は喋らんということを思うね。喋らん人達はジャーナリズムに顔を出さないんだよ。で、こいつらがね、僕は日本の文化の原動力だと思うよ。この「ごらんのとおり」ッて言ってる奴がね。


 上記の知人は、小林秀雄自身のことでもあろう。
 小林秀雄は、何とも言いがたい悲しみを胸に、様々なる意匠すべてを「ごもっとも」で済まし、後年は、ただ「ごらんのとおり」と言うことだけに専念した……。

by ichiro_ishikawa | 2011-08-14 22:19 | 文学 | Comments(0)  

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