センスや演奏力、その先

 スタイリッシュでアーティー、短髪にスーツ、アンダーグラウンダーで、シニカルなジョーク・ユーモアに富んで、音はシャープでロッキンでひねくれたポップ、みたいなロックが好きだった。そもロック原体験はそうしたロック、殊にイギリスのロックだった。ということは以前に確認済みだけれど、最近は真逆に向かいつつある。
 泥臭く、いなたく、ボサボサ髪にほこりまみれのブルージーンズ、大らかなジョーク、アートやシーンに無頓着で、音はブルージーでハードロッキンで無造作、みたいなロックを好んで聴く。いわゆるスワンプでサザンなアメリカン・ロックだ。フォークやカントリーもいい。また、ジャグ・バンド、ジャンプ・ブルーズ、ブラック系スウィング・ジャズもいい。
 どうしてこういうことが起こっているのかを分析したい衝動に駆られたので、うまくいくとは到底思えないが、とりあえずやってみる、歩いてみる。
 月並みに年を取ったということだろう。だが、その答えはあまりにも稚拙にすぎる。というか答えになっていない。問いは、どうして年を取ったのかということなのだった。あるいは、年を取るとどうしてこうなるのか、という分析なのだった。

 若い時分に、ジャズ好きの友人と口論になったことがある。当方の当時のロック参考文献はロッキノン、先方は特にナシ、強いていうならば『ギター・マガジン』『プレイヤー』。当方は、ハード・ロック、ジェフ・ベックからイングヴェイ・マルムスティーン、長髪マッチョ袖無しベストに革パン系ミュージシャンに対して毒づき、楽器はヘタでも関係ない、要はセンスだ、みたいなことを主張。逆に彼はロッキノン系ミュージシャンを嫌悪。曰く「楽器もろくに弾けないくせに、センスはいい、なんて虫酸が走る」。
 というような双方の主張の元、激論が交わされ、結局気が付くと私の拳は血まみれ、バーカウンターの向こう側では死んだようにのぴた友人がいた。以来、彼とは会っていない。
 センスというのは曲者だ。センスがいいミュージシャンはなぜか楽器が下手。楽器がうまいミュージシャンはなぜかセンスがない、みたいな公式は、結構あたっている。演奏のうまい下手は、客観的な尺度がありそうだ。ただしセンスの善し悪しとは——。要は個人の趣味じゃないか。好きずきを他者と議論することほど不毛なものはない。だがやはり、好きずきを超えたセンスというものはあるのだった。それは何か。

ここで私は小林秀雄の言葉を思い出す。

 好きずきで評するのも、一定の尺度に従って評するのも、どちらにせよ同じように容易いことだ。生き生きとした嗜好と瑞々しい尺度を常に有することだけが容易ではないのである。嗜好と尺度は2つのことではない。

 齢を重ねた今はじめて、この言葉がスッとはまるのを感じる。「楽器は下手だがセンスがいい」や「楽器は上手いがセンスが悪い」という現象はない。「いい音楽」「悪い音楽」だけが存在する。センスを売り物にしているミュージシャンほどセンスと頭が悪いというのは不思議だ。黙っているミュージシャンほどセンスがいい。最近お気に入りの、スワンプでサザンなアメリカン・ロックは、とってもセンスがよく演奏も上手い。というか、少なくともセンス云々、演奏力云々などは、本人たちは意識したこともないはずだ。ジャンルやシーンなどにも皆目眼中になく、ただ愛する音楽に没頭している、その姿が今の自分には心地よい。

 生き生きとした嗜好と瑞々しい尺度を常に有する精神だけが、センスや演奏の上手い下手を超えた、いい、悪いを判断しうる。

by ichiro_ishikawa | 2005-05-25 16:02 | 音楽 | Comments(0)  

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