大澤信亮 「小林秀雄」連載開始

『新潮』7月号から大澤信亮 の「小林秀雄」という小林秀雄論の新連載が開始。
ズバリ「小林秀雄」というタイトリングは、当人小林秀雄による「モオツァルト」や「本居宣長」にならったものかもしれず、力の入れ具合が察せられるが、書きぶりは今のところそれらとは異なる。そこに大澤信亮はいない。従って小林秀雄もいない(まだ一回目だが)。足跡をどんなに細密に辿ってもそこにその当人が現れるとは限らない。
「モオツァルト」や「ゴッホの手紙」や「本居宣長」は、小林秀雄の肖像画なのかモオツァルトらのそれなのか分からない。そんな事になっているところが魅力で、小林秀雄が対象に心底惚れ込み、真に理解し尽くそうとしている、その嗜好の形式でも尺度の形式でもなく無双の情熱の形式をとった彼の夢を前にして、俺はまさしく、舟が波に掬われる様に浚われて了うのだった。
という経験をしているであろう大澤信亮が、その上で今後どう書くか、楽しみだ。

by ichiro_ishikawa | 2013-06-27 23:11 | 文学 | Comments(0)  

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