山下久美子著『ある愛の詩』

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山下久美子著『ある愛の詩』(幻冬舎)読了。
2002年に出ていたのだが、今初めて読んだ。
何故当時読まなかったかと言へば、
ズバリ、忙しかった。
それと、ゴシップや告白といふものを、好かないからだ。そも幻冬舎が嫌ひなのだ。
何故今読んだかと言へば、
何か一周したと言ふか、
布袋ファンであり、布袋と出会う前からの今井美樹ファンでもあり、かつ山下久美子ファンであった俺は、彼らのプライベートに触れることは、してはならぬ事のやうに感じていた。
のだが、別れを対象化した山下久美子を、時を経て少し対象化できたからである。




布袋寅泰著『よい夢よ、おやすみ』(1994年、八曜社)がBOØWY後から1993年までの布袋自伝で、布袋の作品と併読することでその期間の事はあらかた分かっていたが、山下久美子目線でその頃の事を見ることになった。

ハイライトは2つ。
BOØWY『Just A Hero』から『Guitarhythm IV』期の舞台裏(レコーディングの合間の布袋の足取りなど)といった貴重なロック史の一部が明るみに出たこと。

もうひとつは、
布袋が自宅の地下スタジオのピアノで一晩で一気に書き上げたという、よく知られた「Pride」誕生秘話があるが、その完成直後のデモテープを当時の妻、山下久美子が盗み聴きしてしまっていた、というエピソード。おそらく布袋自身、本書で初めて知ったことだらう(読んでいれば。たぶん読まない)。


しかし、ハイライトの開陳はそのぐらいにして、
本稿を起こそうと思った理由と、骨子は、以下のことである。

本書『ある愛の詩』では、当然のことながら『よい夢よ、おやすみ』での布袋目線では綴られなかった事が多々書かれており、新しい発見が散見される。
だが、いちばん重要なのは、布袋目線で語られていた同じ事を、山下久美子目線でも語られるのを読むにつけ、物事の両面といふものがよくわかったといふことだ。


1987年BOØWY解散、1990年complex解散、1996年離婚と、布袋は10年間(25歳〜34歳)で3度も途轍もなく大きな別れを経験しているといふ事を改めて思った。
その10年は、布袋の才能が大爆発した時代だった。

氷室京介、吉川晃司、山下久美子。
どれも途轍もない個性の持ち主。
当の布袋がまた途轍もない。

別れの理由の本質は三者とも同じようなものだ。
そも、その別れと同じ理由で出会っているのだった。

人間は対等を求めあうが、対等では生存しあえない。どこかで従属関係ができあがらなければ、共存はできないのだと思い知った。

才気あふれる売れないバンドのギタリストと、ロックの女王の名をほしいままにしていた大物シンガー。そんな「釣り合った」関係が、音楽シーンを塗り替えて億を稼ぐ元BOØWYのギタリストにしてギタリズマーと、大物シンガー、という関係へ変わる。
ギタリズムからよりポップなフィールド、そして世界を目指すギタリストに釣り合うのは、そんな才能へのリスペクトといふ形でハナから登場したポップシンガーであった。


布袋と山下久美子(氷室京介然り、吉川晃司然り)は互いにあまりにもロック過ぎた。
ロックは孤独を全うするものだから別れは必然である。別れをはらんで出会い、そして自ら欲するかのごとく別れたのであった。


先日、本ブログで山下久美子の事を綴り
布袋との1986〜1988が最高傑作で以下、惰性といふ意味の事を書いたが、
それは、まさしく私生活での絶頂期でもあった事が分かった。それは夫婦といふより恋人同士の関係なのであった。
が、いまそう書いたことを反省している。
作品至上主義としては間違いないのだが、
「ああ、人生…」といふ、もののあはれを重んじる俺としては、そう言い切ってはいけなかった。


これからの山下久美子のギグはすべて行かねばならぬ。

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by ichiro_ishikawa | 2016-05-24 23:31 | 音楽 | Comments(0)  

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