ロッキング・オンと俺

前回の続き

俺は増井修フリークだったので、
本書『ロッキング・オン天国』に書かれている事はほぼ知っていた事だが、知らなかった事は前述した詳しい収支と、それからもう1つは、「ロッキング・オン・ジャパン」創刊時の驚くべきエピソードだ。

渋谷陽一が創刊前に、社員に加えデザイナーや関係者を集めて行なった会議で、渋谷はBOØWYの「B.Blue」のPVを流し、「ここまで日本語が乗っているロックが発明されてしまったからには、もはや邦楽を別物として傍観していられない」という状況説明をする予定だったのだといふ。
(予定だった、といふのは、実際には誤って裏ビデオ「洗濯屋ケンちゃん」が流れてしまったらしい)

好調「ロッキング・オン」だけで充分成り立っていたのに、あえて「ロッキング・オン・ジャパン」創刊に踏み切った(雑誌の創刊はバクチ)のは、BOØWYの登場で日本のロックがマーケットにおいて洋楽を確実に駆逐することを予見しての事だったといふことだ。
(ロックが当たり前、むしろ古いみたいになっているいまからすれば、いかにも前時代的といふか、もはや神話のようなエピソードと思われるやもしれぬ)

ロッキング・オンとBOØWYは相容れない印象があるが、さすが渋谷陽一はいろいろ見抜いていた。
といふ事が分かった。

BOØWYは「ロッキング・オン・ジャパン」創刊後、雑誌が軌道に乗る前に解散してしまふが、その後も、COMPLEXや布袋寅泰への秀逸なインタビューを渋谷は行っている。



by ichiro_ishikawa | 2016-05-29 20:15 | 音楽 | Comments(0)  

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