長渕剛 1987年大阪城

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60年代にボブ・ディランが、そして70年代にT-REXやデイヴィッド・ボウイがフォークからロックへ転向したやうに、
78年にフォークシンガーとしてデビューをした長渕も80年代に入るとフォークからロックへとその音楽形態を変へて行つた。
表現の核自体は少しも変化してはゐないし、
単にアクースティックギターをエレクトリックギターに持ち替えただけに過ぎないが、
理由のひとつは、シーンがパンク/ニューウェーブを経てポップ化していつた時代の流れの影響で、
それは形態としてのフォークが、当時にあつては前時代的になつてしまつたからだと言へる。
また時代のポップ化はMTVの登場や好景気といつたメディアや経済環境の変化の要素も大きく、
それは表現者を、その表現をより遠くへ拡声する方向に動かしていく。

しかし長渕本人はさうしたロックへの転向によるポップ化、及びその浮ついた土壌に対して、強烈に違和感を感じることになる。

そんな中、辿り着いた境地がアルバム『ステイドリーム』(1986)であり、その完成を見たのが『ライセンス』(1987)である。

そしてそれを象徴する、伝説のライブが1987年大阪城公演だ。
アクースティックギターとピアノ、浜田良美のコーラスだけで、円形センターステージ周囲360度客席のライブは、うはべのロック/ポップを超えた、きわめてロックであり、つまりディラン的フォークでもあり、長渕当人としてはフォークでもロックでもない、単なる「俺の歌」といふことだつた。



ポップ化した『ハングリー』(1985)の楽曲を演らうと、フォーク時代の「順子」(1980)をアルペジオでつま弾かうと、
強力なロックとなっているのである。

以降、これまでを総括した『ネバーチェンジ』(1988)、『昭和』(1989)、そして平成の世にあつて『JEEP』(1990)、『JAPAN』(1991)、『キャプテン・オブ・ザ・シップ』(1992)とティーンエイジのソウルを熟成させて行く。

by ichiro_ishikawa | 2016-11-08 09:50 | 音楽 | Comments(0)  

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