日々の全行動の内訳
俺の日々の全行動は、以下のごとし。
1. 行住坐臥、身体維持活動(食事、睡眠、運動、排泄)10時間(42%)
2. 生活事務処理(掃除、整理、交際)2時間(8%)
3. ゴトシ 10時間(42%)
4. 趣味、娯楽(1〜3以外のすべてのこと)2時間(8%)
そのうち、3のゴトシは以下のように内容分類できる。
a. 調べる、インプットする、整理する(取材含む)
b. 考える、構築する
c. 事務処理(会議、折衝含む)
このうち仕事場で行ふものはcの事務処理であり、10時間中の8時間はこれに充てられる。傍目に「働いている」と認知されるのはこの事務処理だけである。
つまり、aとb、特にbといふ、より重要なゴトシは、仕事場以外で行ふ類のことなので、傍目には「見えない」。
しかもこれらは10時間のうち2時間しか充てられない。それを超える場合は行住坐臥、趣味、生活事務処理の時間を削つて充てがうことになる。ただ充てがうにも物理的限界がある。
ところで、ゴトシの質はそのa、bにかかつてゐる。2時間ないしプラス幾ばくかの時間の中で、これを如何にこなすかにかかつてゐる。ここに最もエネルギーを注力するし、ここが本番である。
しかし前述のやうに、傍目には何をしているかはわからない(見えない)。たとへばスマホで原稿やゲラを読んでゐるときそれは、タレントのブログを読んでゐるのと外見は同じだし、考へてゐる動作などもはたから見れば、ゴトシのことを考へてゐるのと競馬予想をしてゐるのは同じ光景である。他者との交際についても、ゴトシとしての折衝も、ただの友人とのだべりも見ためは一緒である(場や服装や口調で違いはみて取れるにしても)。
つまり何が言ひたいのか。
結局、さういふ意味で俺が最も重要なゴトシ「考へる、構築する」をしてゐるのは、通勤中だつたり紫煙を燻らせてゐるときであるといふことだ。逆に言へば、仕事場では、別にたいしたことをしてゐるわけではない。ふざけてゐるわけではないが、極言すれば、遊んでゐるやうなものだ。
通勤電車に揺られながら目を瞑つてゐる、カフェエにて紫煙を燻らせながら空を見つめてゐる俺は、猛烈に一番重要なゴトシをしてゐる俺であるといふことに気づくのはよいことだ。
以上。
by ichiro_ishikawa | 2017-06-23 20:53 | 日々の泡 | Comments(0)