ピーター・バラカン「アメリカン・ルーツミュージック探訪」

 1月8日、東京都写真美術館2Fカフェ・シャンブルクレールで、ピーター・バラカンの講演「アメリカン・ルーツミュージック探訪」が行われた。2回連続の第1回。今回は、「1920年代から30年代まで」ということで、その時代のアメリカ音楽のレコードを流しながら解説していくというもの。全34曲。
 その美術館で行われている写真展『明日を夢見て アメリカ社会を動かしたソーシャル・ドキュメンタリー』にちなんだ企画だ(写真展については、新世界ニューヨークというブログに詳しい)。去年から、ちょうどルーツミュージックを繙いていた矢先、しかもピーター・バラカンの著作が筆者をしてそうせしめた直接のきっかけだったということで、すぐさま駆け付けた。写真展の方は、19世紀後半から20世紀前半のアメリカの風景、特に南部とニューヨークの展示で、時代、場所的にまさにルーツミュージックが生まれ発展していった、その視覚的事実の羅列だったわけだ。メンフィス、テュペロの民家の写真があって、「ここでエルヴィス・プレスリーは黒人と精神的なファックをしていたわけか…」と、写真の前でしばらく佇み、当時に思いを馳せていた。テュペロの農村をエルヴィスと一緒に駆けずり回った。

 講演で聴くことが出来た音楽は、ブルース、フォーク、カントリー、ジャズといった様々なテイストがブレンドされていて、一口に語るのが憚られる、未分化なものが多い。音楽的には未熟だけれど(もちろん、今から見れば、ということ)、その荒削りなザックリとした質感が実に刺激的だった。また、当時はまだ電気楽器がないから、アコースティック・サウンドなのだが、ビートが強く効いていて、のちにリズム&ブルースに発展していくそのルーツであるということがよく分かった。

 アメリカン・ミュージックというのは、簡単に言えばアフロ・ビートとヨーロッパの民族音楽の融合だ。そもアメリカという国は、ヨーロッパとアフリカの幸福な出会いによって生まれた。
 音楽の歴史的な部分に強く惹かれる。それは、その時々の音楽好きたちの心の有り様がリアルに明かされるからだ。彼らは、異物との出会いによって強い内省を起こし、異物を必死に模倣し、やがて凌駕していく。音楽に限らず表現においては、この、他者に驚く、という事態が必ず起こる。歴史を繙いていくと、なぜ彼らがそうした音楽を作り出したのか、作り出したい衝動に駆られたのか、そういう気持ちを共有できる。これがスリリングだ。
 アメリカのヨーロッパ移民とアフリカ移民がお互い触発し合い、ブルース、ジャズ、ゴスペル、カントリー、フォークを生み、リズム&ブルースへと発展させていく。そんなR&Bに驚いたビートルズらイギリス人。逆にビートルズに驚いたボブ・ディラン。バッファロースプリングフィールドが「分かった」日本人は、はっぴいえんどを作った。こうした長い長い音楽の歴史が、確実に、今につながっている。
 ジャンル別けという行為は面白い。それは、マーケティングの手段としては格別騒ぐことはないのだけれど、前述したような、ミュージシャンが味わった他者への驚きを感じてみる、という意味ではとても刺激的なのである。いいものはいい、音楽に理屈はいらない。確かにそうなのだけれど、その芳醇な音楽を深く味わってくと、なぜいいのかを考えて自分を納得させずにはいられなくなるし、他人に伝えるためには理屈、すなわち言葉によって、その「いい、というそれ」を整えていくという行為がやはり必要なのだ。

 要は、音楽を抱きしめたいのである。ルーツを繙き、歴史のつなぎ目に思いを馳せることで、それは少しは達成できる。
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→The Definitive Charley Patton
(録音1929.06.14 - 1934.02.01)
バラカンが紹介した曲にThe Masked Marvel名義の「Mississippi Boweavil Blues」があったが、The Masked Marvelとは、このチャーリー・パットンのこと。早速購入、聴いた。すごくいい。これを聴いてベック(・ハンセン)の凄さもまたわかった次第。

by ichiro_ishikawa | 2005-01-11 21:33 | 音楽 | Comments(2)  

Commented by 盗聴エディ at 2005-01-14 15:20 x
秀雄の「言葉」がおもしろかった。なんか思いの馳せ方が近いですね。
ロックンロールブックとロックンロールニュースと考えるヒントが最近やばい!!
Commented by jasrin at 2005-12-22 13:30
なるほど!勉強になります。
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