人生の重力と表現


ミュージシャンに限らず表現者はみなさうなのかもしれぬが、全盛期といふものがある。平均2、3年、長くて5、6年だらう。
ミュージシャンの場合、20代半ばから30代前半にそれは訪れる。それ以降は結婚や子供の誕生、家計の切り盛り、親の病気や介護や死、自身の老いといつたいはゆる人生の重力といふやつに強力に引つ張られながら、その表現の仕方と内容が変化していく。さうすると表現の質は、ジャンルにもよるが、たいてい下がることになる。

しかし、さうした人生の重力に逆らはず、むしろ寄り添いながらしなやかに表現を続ける場合、その質はキープされ、ともすると新境地の様相も呈していく。
加齢とともに新たなステージに向かふといふのが、ベテラン以降のよい歩みである。
一方、さうした人生の重力に抗つて青き抵抗を続ける場合、大抵は潰れる。稀にさうすることで天才的な芸術作品を生む場合があるが、これは100年に1人級の、天賦の僥倖の類であり意図的に遂行できるものではない。

以上のことは概ね事実であるので、よき新人が出てきた場合、一抹の無常観にも似た思ひを抱きながら見守ることになる。

この秋に知つたゲスの極み乙女。。ここ一ヶ月でその全作品を聴き倒してきたが、デビュー時から最新シングルに至るまで、見事にハイクオリティな作品を生み続けてゐることがわかつた。小藪一豊、野性爆弾くっきー、tricot中嶋イッキュウに現代音楽家の新垣隆を加えた新バンドのプロデュースも頗る楽しみで、傑作が生まれることはまづ間違いない。

しかしあと2年だらうと思つてしまふ。ゲスの才能が枯渇するのではない。誰しも人生の重力に負けて行かざるを得ないといふことである。今がよければよいほど、落ちていくことは必定であり、その哀しみも先取りできてしまふ。
さうした哀しみを抱きながら生きていくのは不幸なことだが、必然的事実なだけに、歳をとると無視もできなくなつてくるのだつた。

始まつたものは必ず終はる。生まれたものは必ず死ぬ。さう決まつてるのに、あたかもさうではないやうに、あるひはそれに抗つて生きていく。ああ、人生…。






by ichiro_ishikawa | 2017-10-15 12:32 | 音楽 | Comments(0)  

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