九州北部と京都と俺


ここ1ヶ月で、佐賀、京都、長崎、京都2、福岡を商用で回つた。それぞれ周辺も巡り、細かい土地土地の歴史や文化などを垣間見ることにもなつたが、その巡業で発見したことは、

・どこも同じ
・外国でさへも

といふことだ。
細かく見れば全部違ふし、その細かいところでの差異や独自性といふのはあるけれど、人間が生まれて生きて死ぬといふ見地から大局的に本質的に見れば、どこも同じだ。
つまり、生き死にや暮らしぶりは血も含めた環境に強く左右されるし、どこでどう生まれて生きて死ぬか、その内容はすべて個別だけれど、その形式自体は同じだ。
内容がすべて個別といふことは形式が同じだといふ認識が強まるほど際立つ。



by ichiro_ishikawa | 2017-12-11 11:33 | 日々の泡 | Comments(0)  

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