新企画「カウントダウン・マガジン」vol.1
最も誤解しないはずの人たちが、惜しくも誤ってしまいがちなのが、長渕剛の評価である。
「いいかい、男はどんな時でも浮気のひとつくらい、誰でも持っているものさ。わからないだろうが」(「俺らの家まで」78年)とデビューした長渕。
「女の夢は、男の夢を応援する事であってほしい」(NHKの87年のインタビュー)と豪語する男、長渕。
「そんなことより俺はお前をベッドに引きずり込み、素っ裸のお前の胸にしゃぶりつく」(「I Love You」)長渕。
レスラーばりの筋肉を誇示し、素肌に革のベスト、変なアップリケ付きスリムジーンズの長渕。
長渕は、神経質で気難しくわがままで完璧主義で武骨ですぐ人を殴る蹴る、そして、蹴る蹴る蹴る。
中身や心といったって、それは、外見や肩書きと同じくらい表層的な事でしかないので、人は見た目がほとんどすべてだといっても強(あなが)ち、間違いではない。
その見た目、印象で、大抵の良識ある人たちは、長渕には用がないはずだ。
確かに、90年代以降の名声を獲得したあとの長渕がファースト・コンタクトだったら、そうなるであろう。
だが、あの頃の長渕はすげえカッコよかった。今では信じられないだろうが、ものすげえカッコよかったのである。
長渕クロニクル
第1期「フォーク」1978 - 1980
(孤高の黎明期、あるいは若き確信)
長渕は1956年9月7日生まれだ。痩せっぽちで、長髪で、透き通るようなきれいな声で、人生の悲哀を紡いでいたフォーク時代(1978〜80年)。とは言え、「神田川」やチューリップの湿っぽく、情けないフォークではない。吉田拓郎、友部正人直系の、ブルーズ〜ロックと表裏一体の、眼光鋭いフォークである。ディラン、ニール・ヤングである。新人のくせに生意気だと、くそのような業界からはじかれながらも、うんこでいっぱいの世間に逆流してでも、かたくなに自分の表現というものを信じ、生きた。世間的なヒット曲、「巡恋歌」「順子」「乾杯」。
第2期「ポップ、ロック化」1981 - 1984
(模索期、あるいは他者との折り合い)
ニューウェーブという時代性の影響下、フォークというアンダーグランドの聖典に必ずしも拘泥しなくなり、ポップ性、ロック性を増していった1981〜84年。“やつら”と同じ土俵で勝負すべく奮闘した。テレビに出ることもよしとした。ついには俳優としての表現にも挑戦。外部の作詞家ともコラボレーションを始める。それまでの透き通った美声を捨て、アルコールをのどにぶっかけて荒らして、しわのある、しゃがれた声を求めるように。世間的なヒット曲、「Goodbye青春」(ドラマ「家族ゲーム」主題歌)。
第3期「ロック期」1985
(完成前夜、あるいはロックスターの悲劇)
ポップ、ロック化の集大成として、『Hungry』をリリースした1985年。ここからはじまるのさ。世間的なヒット曲、「孤独なハート」(ドラマ「家族ゲーム2」主題歌)。
第4期「長渕剛」1986 - 1987
(完成期、あるいはジャンル“長渕”の金字塔)
フォークだ、ポップだ、ロックだ、芸能人だ、アーティストだ、チンピラだ、ラーメン屋だ。そんなことはどうでもいい。要は、“なに歌ってんの”ということ。実験的に背負い込んできた色々なものを、全部捨てた。残ったのは、ギターと己が声。『Stay Dream』(1986年)『License』(1987年)で、誰にも似てない、どこにも属さない、誰もなしえなかった、“長渕の音楽”を創造した。世間的なヒット曲、「Super Star」(ドラマ「親子ゲーム」主題歌)、「ろくなもんじゃねえ」(ドラマ「親子ジグザグ」主題歌)。
第5期「とんぼ」1988 - 1992
(とんぼ期、あるいはとんぼ)
「ろくなもんじゃねえ」がチャートの1位、『親子ジグザグ』が高視聴率を記録したことで、実質的に、目に見える形で、圧倒的なポピュラリティを獲得。“俺流”が世間で認められたことで、『Stay Dream』『License』の世界が、若干、違った立場(社会的追い風)で、ややハードに押し進められていった。それは「とんぼ」で確立された。ものすごい存在感でぶっちぎっていく。世間的なヒット曲、「とんぼ」(ドラマ「とんぼ」主題歌)、「しゃぼん玉」(ドラマ「しゃぼん玉」主題歌)「RUN」(ドラマ「RUN」主題歌)。
プライベートにせよオフィシャルにせよ、その言動からうかがい知れる事など瑣末なものだ。そのカッコよさは、何よりも作品において、わかる。
かつてデイヴィッド・ボウイの奥さんは言った。デイヴィッドと共にふだん生活をしたり、ひざを突き合わせてじっくり語り合うよりも、彼の作品や1時間のステージと向き合う方が、彼の本質を知る事ができる。
作品でみる、ものすげえカッコいい長渕ベストテン。
ドラマ編
第5位
「家族ゲ−ム2」(1984年、TBS系)
長渕は、三流大学に何年も通う家庭教師・吉本にふんし、落ちこぼれ中学生と、マザコン高校生の兄弟に、活を与える。
第4位
「家族ゲ−ム」(1983年、TBS系)
長渕は、三流大学に何年も通う家庭教師・吉本にふんし、落ちこぼれ中学生と、陰を持つエリート高校生の兄弟に、活を与える。
第3位
「親子ゲーム」(1985年、TBS系)
長渕は、元暴走族で女好きなラーメン屋の雇われ店長・保(たもつ)にふんし、捨て子のマリオとグワッとかかわっていく。
第2位
「家族ジグザグ」(1987年、TBS系)
長渕は、元暴走族で女好きな定食屋の雇われ店長・下別府(しもべっぷ)勇二にふんし、元恋人との間に生まれていた子・勇と再会。勇とオニババな母とグワッとかかわっていく。
第1位
「とんぼ」(1988年、TBS系)
ハメられて組織を追われそうなヤクザ・小川英二にふんし、舎弟のツネ(哀川翔)とともに、しがねえ世の中に逆流していく。途中、チンピラ(寺島進)の耳をそぎ落とし、金八先生のプロデューサーでもある番組プロデューサーと確執。
これまで、強くもねえのに粋がってる気難しい若造だったのが、このドラマ以降、暴力的な資質は昔から変わっていないにもかかわらず、本人の社会的な地位が向上してしまったため、「マジでこええ人」と認知されるように。
アルバム・カウントダウン
第10位
「Bye Bye」(1981年)
4作目にして、フォークという、若き自分を根っこから支えてきた音楽の形態に別れを告げたことで、いっそうフォークが輝きだした。「碑」「二人歩記」「さよなら列車」「道」である。そう、フォークとはブルーズであった。「プア・ボーイズ・ブルース」「賞金めあての宝さがし」「銀色の涙とタバコの煙」「ほこりまみれのブルージーンズ」と、フォーク/ブルーズの佳曲が並ぶ。「Bye Bye忘れてしまうしかない悲しみに」は、友部正人への別れのラブレターともいえよう。
ベストトラック
「Bye Bye忘れてしまうしかない悲しみに」
ハイライトトラック
「碑」「二人歩記」「さよなら列車」「道」「プア・ボーイズ・ブルース」「賞金めあての宝さがし」「銀色の涙とタバコの煙」「ほこりまみれのブルージーンズ」
第9位
「時代は僕らに雨を降らしてる」(1982年)
ポップさをグンと増した。なんと言っても、「交差点」「愛してるのに」のラブソング2連打はやばい。これはやばい。いよいよやばい。「どしゃぶりレイニー・デイ」「夢破れて」と、名曲ぞろい。
ベストトラック
「愛してるのに」
ハイライトトラック
「時代は僕らに雨を降らしてる」「どしゃぶりレイニー・デイ」「交差点」「夢破れて」
第8位
「JAPAN」(1991年)
長渕35歳。紅白歌合戦に初出場し、ベルリンのフランス聖堂から、前代未聞の3曲熱唱。サブちゃんを怒らせた。NHKのスタッフを“たこ”呼ばわりし、NHKと袂を分かつ。MCの松平アナの質問に全く答えず(86年の徹子の部屋でもそうだったが)、段取り無視。松平アナは帰りに荒れ、タクシーの運ちゃんの後頭部を蹴った。「アイ・ラヴ・ユー」は、バブルで浮かれる女の前で三つ指をつき舌の先を転がすような玩具のような男、及びその女への痛烈な批判ナンバー。
ベストトラック
「炎」
ハイライトトラック
「俺の太陽」「しゃぼん玉」「炎」「アイ・ラヴ・ユー」「何ボの者(もん)じゃい! 」「親知らず」「ベイ・ブリッジ」「シリアス」「東京青春朝焼物語」「マザー」
第7位
「JEEP」(1990年)
苦節11年、89年の「昭和」で、ついに誰もが認めるNo.1になった長渕が、まだまだ有り余るパワーで作り上げた傑作。全曲超名曲。「お家へかえろう」のヒットスタジオでの熱唱はすごかった。「西新宿の親父の唄」は、「北の国から」でおなじみ“やるなら今しかねえ”。「浦安の黒ちゃん」は、長渕のドラマを支えた脚本家・黒土三男へのラブレター。
ベストトラック
「海」
ハイライトトラック
「女よ,GOMEN」「流れもの」「友だちが いなくなっちゃった」「電信柱にひっかけた夢」「海」「カラス」「お家へかえろう」「しょっぱい三日月の夜」「浦安の黒ちゃん」「西新宿の親父の唄」「ジープ」「マイセルフ」
第6位
「ヘビー・ゲージ」(1983年)
このあたりから、長渕はテレビへ進出する。フォーク・シンガーとして硬派、純潔を守り、メインストリームとは一線を隠して活動してきた長渕だったが、結局はたからみりゃ、あんたもあたいもミソクソ芸能人。十把一からげ。ならば、俺は俺のやり方を変えずに、やつらと同じ土俵に上って勝負してやろう。そういうことではなかったか。
ベストトラック
「ドント・クライ・マイ・ラヴ」
ハイライト・トラック
「わがまま気まま流れるまま」「おいで僕のそばに」「すべてほんとだよ!! 」「いかさまだらけのルーレット」「—100°の冷たい街」「僕だけのメリークリスマス」「午前0時の向こう側」「僕のギターにはいつもHeavy Gauge」
第5位
「ホールド・ユア・ラスト・チャンス」(1984年)
80年代という浮かれたポップ化の波をいいように受け、とんでもない、長渕の音楽を完成させた。悲しみの権化、長渕、ここにあり。「SHA—LA—LA」は、ウッチャンナンチャンが劇団の名にした。
ベストトラック
「カム・バック・トゥ・マイ・ハート」
ハイライト・トラック
「SHA—LA—LA」「タイム・ゴーズ・アラウンド」「カム・バック・トゥ・マイ・ハート」「孤独なハート」「スローダウン」「ファイティングポーズ」「ホールド・ユア・ラスト・チャンス」
第4位
「昭和」(1989年)
「とんぼ」の大ヒットで、その地位は不動のものになった。64年も続いた昭和が終わり、長渕はこの世の無常を歌にした。
ベストトラック
「シェリー」
ハイライト・トラック
「とんぼ」「シェリー」「激愛」「ネヴァー・チェンジ」「裸足のまんまで」「明け方までにはケリがつく」「昭和」
第3位
「ハングリー」(1985年)
85年の音がする。この時期はニール・ヤングでさえ変な赤い肩の広いジャッケッツを着ていたぐらい、おかしな風潮に抗うのは無理だった。エコーのかかったスネアドラム、キラキラしたシンセが鳴り響く。とはいえ、そうした時代性を持ちながらも、すげえブルースロックが充溢しているところが本作の肝である。
ベストトラック
「明日へ向かって」
ハイライト・トラック
「ハングリー」「スタンス」「生意気なパートナー」「久しぶりに俺は泣いたんだ」「勇次」「逆転ブルース」「太陽へ続くハイウェイ」
第2位
「ステイドリーム」(1986年)
長渕が30歳にして遂に到達した頂がここに。全編アクースティックギター1本で紡がれたこれらの楽曲の尋常じゃない緊張感はどうだ。神経質ロックの金字塔である。主調低音は怒りではない。哀しみだ。いずれにせよ、この目だ。俺は、この目を信用している。
ベストトラック
「ステイ・ドリーム」
ハイライト・トラック
「レース」「だん・だん・だん」「風来坊」「俺たちのキャスティング・ミス」「ハロー悲しみよ」「少し気になったブレイクファスト」「ユー・チェンジド・ユア・マインド」「わがまま・友情・ドリーム&マネー」「ひとりぼっちかい? 」「スーパー・スター(LP特別ヴァージョン) 」
第1位
「ライセンス」(1987年)
長渕とは、要は、悲しみだろう。悲しみ、を辞書で引くと、長渕とあってもおかしくない。長渕の悲しみは、愛が永遠のものではない、という悲しみだ。なぜ俺は君に別れを告げなくてはならないか。そこをこそ歌う。
ベストトラック
「パークハウス701 in 1985」
ハイライト・トラック
「泣いてチンピラ」「プリーズ・アゲイン」「ろくなもんじゃねえ」「He・la-He・la」「シッティング・ザ・レイン」「花菱にて」「ライセンス」「何の矛盾もない」
補記
長渕を聴くことは、1993年以降、めっきりなくなった。けれど、深く傷ついたとき、悲しみに暮れた時、どんな励ましや、ポジティブ・シンキングも歯が立たないとき、長渕に手が伸びるのだった。この得体の知れない悲しみが、長渕にあってこそ、共有されていた、と知ることは、当時、の悲しみからの唯一の脱却であった。そんな、恩のある人を、作品が、言動がつまらなくなったから、ぐらいで見捨てる気にはなれないのである。
by ichiro_ishikawa | 2005-11-06 22:54 | 音楽 | Comments(10)
最終形態だと思いますわ。
ちなみに俺のベスト3は3位JAPAN 2位LICENSE 1位 STAY DREAMですね
あなた? アイドル時代のチューリップしか知らないんじゃない?まあ俺はそんな好みでもないが 少なからず長渕も影響うけてるよ、当人に
聞いてみなさい、 語るんならもっと勉強しなね。