養老“唯脳論”孟司「無思想の発見」はいい

新書がちょっとしたブームなのか。
 「バカの壁」を皮切りに、「さおだけ屋はなぜ潰れないか」、「国家の品格」、「下流社会」、「千円札は拾うな」、「超バカの壁」など、新書が軒並み大ヒットしている。
 新書は、そも手軽に物事の概要をざっと捉えるにはもってこいの媒体だけれど、ここまでヒットしているというのは近年まれに見る現象だ。大学生から一般のサラリ−マンまで幅広い層に読まれているということだろう。最大の要因はタイトルにあると思われる。
 どれも“おやっ”と思うキャッチーさがある。それで立ち読みでパラパラとページを繰ってみると、身に覚えのある(社会生活に役立ちそうな)フレーズがポンポンと飛び出してくる。「これは楽だ!」というわけである。
 そういう人は、いかに「情報」が生活に役立つかこそが重要であり、情報誌でも読むように一度読んだらすぐに忘れて、「現実」なる生活にさっと戻ってゆくのだろうが、出版社にとってはどう読まれようが売れれば勝ちだろうし、著者にとっては読者の0.1%でも思索の喜びを感じてもらえたらこれ幸い、といったところだろう。 
 一方、普段から思索癖のある輩にとって、新書はあまり必要ではないらしいのだけれど、近年上梓された本は、そうした層も取り込んでいる感がある。言われている内容が、易しく、あるいはやや扇情的に書かれてはいるものの、その本質は深いからだ。
 特に、新潮社のベストセラー3冊「バカの壁」「超バカの壁」「国家の品格」は深い。
 養老孟司は、そも深い思索家だけれど、「国家の品格」もそんなに負けてはいない。
 だが、これは編集者がすごいのだろう。
 タイトルの秀逸さ、本文の分かりやすさ。「超バカの壁」に至っては、編集者による養老の口述筆記である。著者色よりも、編集者色がプンプン臭ってくる。気持ち悪い。

 そんな中、あまり売れていない新書がある。
 内容は一番凄いのだけれど、売れていない。
 それは、同じ養老による、ちくま新書「無思想の発見」だ。
 内容の本質は「唯脳論」や「バカの壁」と同じにもかかわらず、売れていない。その原因は様々あるだろうが、おおまかに言って、タイトルと文章にあると言えよう。タイトルは文学的にすぎるし、内容は事象そのものに特化し過ぎだ。それでも、「世間」「世間」とやたら出してくるところなど、「生活」=「現実」の一般読者に対する十分な配慮はなされている。が、やはり一般の“楽に考えたい”派には受け入れられないだろう。“楽に考えたい”派は、サラーッと読みたいのだ。そこが週刊誌も出している新潮社とちくまの差か。

 売り上げだけで判断するのは市場史上主義ならともかく、ファンキーでリズム&ブルーズなロックンローラーにはあってはならないこと。ここで声のボリュームを大にするが(といっても3ぐらい)、ここ最近の新書では、「無思想の発見」がトップだ。これは売り上げに対して金銭的な利害関係のない、どの出版社にも属していない自分が言わねばならない。
 どういいか。
 知らぬ。小林秀雄や池田晶子、茂木健一郎、あるいはプラトン(ソクラテス)的なところを、日本の生活にどっぷり漬かった理科系の科学者が、伝えるべき読者をはっきりと想定した上で綴っている、といったところかも知れぬ。
 そんなものは、他にもけっこうあるぜ、というムキもあろう。それはあろう。だから、本書が唯一と主張するのではないし、唯一かどうか、そんなに読書家でもないから知らないのだが、近年の著作で、行動範囲が江東区と港区に限られている中年男性の手に届く範囲で見た限り、最もすごい、とだけ言いたい。

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by ichiro_ishikawa | 2006-02-21 17:16 | 文学 | Comments(1)  

Commented by ナターシャ at 2006-02-21 20:54 x
声を大にして3ぐらいってこつは、つらつら書かれている口調は
ぼそぼそ言われているんだな。一般的に声を”大”というときはやっぱり2フレットくらい上がるから、普段は1だ。
声小さいなぁ。
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