小林秀雄アンダーライン

●小林秀雄「文学者の提携について」より抜粋
伝統は物だ
影によるたはむれに過ぎない
文学者の願ひ
詩人の苦しみ

●小林秀雄「維新史」より抜粋
 若し資料さへ豊富に出揃へば、どの時代の歴史も矛盾混乱が、その真相であらう。この矛盾混乱に眼を見張って、はじめて、そのなかに生き死にする人間の思想の尊さが解るのである。
 思想の敵が反対の思想にあると考えるのは、お目出度い限りである。思想が戦い鍛えられるのは、現実そのものの矛盾によつてである。言いかへれば、思想の眞の敵は己れ自身にあるのである。どの様な思想も安全ではない。

●小林秀雄「自己について」より抜粋
 自我とか自意識といふものが、どう仕様もなく気にかかつた。自己描写用に拙劣な小説家を独り傭ひ込んでいた様なものだ。青春は空費されたのか。恐らくそうだらう。誰でも自己を語る事から文学を始める。だが、さういふ仕事を教えてくれたルッソオは、自己告白を一番後廻しにした。
 自意識の過剰と言ふ事を言ふが、自意識といふものが、そもそも余計な勿体ぶつた一種の気分なのである。他の色々な気分と同様、可愛がればつけ上がるし、ほつとけば勝手にのさばるのだ。自意識の過剰に苦しむといふ事は、憂鬱な気分に悩むといふ事と全く同じ様子をしている。何かが頭のなかでのさばるのを、その儘放つて置く苦痛なのだ。太陽や水や友人や、要するに手ごたへのある抵抗物に出会へない苦痛なのである。ただ苦痛のさういふ明らかな原因には、気が付くか付かないかの二つに一つだ。だんだん気が付くといふ様な事は決してない。夢がだんだん覚めるといふ事はない。

●小林秀雄「藝術上の天才について」
 一方に現実の歴史の驚くべく無秩序が見えて来て、一方に作品の驚嘆すべき調和なり秩序なりが見えている、さういふ経験をする事が、天才の作品を調べる時に必要だと思ふ。
 どうしてこの様な現実の無秩序から作品の秩序が生れたか、それを理解する事が出来ない。ただ驚くだけだ。併し、この驚きは無駄ではないのだ。この驚きのなかで、僕等は、例へばドストエフスキイならドストエフスキイが、現実の無秩序の直中に生きて死んだその姿を合點するのです。彼の作品が生れたと覚しい現実の土台、歴史の諸条件、さういふものの僕等の理解し易い、限定された形のなかで、彼が実際に生き実際に死んだ筈はないではないか。
 謎は解けずに残ったわけですが、謎の上げる光は強さを増し、美しさを増す。

●小林秀雄「感想」より抜粋
*俺自身の為の註:読了後も前半の「孤独」は些か不明瞭に心に映ずる(10/23時点)
 嘗ては、さういふ瞬間が、何か自分の精神の破れといふ風に感じられ、罪は当方にある様に思はれたが、当方には何の罪もないといふ事が次第に解って来たからである。恐らくそれは言はば、自分の感じ得る孤独感といふものの限度である事を知り、従つて、この孤独感を自分の生活のうちで馴致する術も次第に会得したが為である。 過去といふものは無いのだ。過去とは過去と呼ばれる信仰の意味だ、この平凡な考へが、今更の様に僕の頭を刺激していた〜。誰もこの信仰の深さを測定できない、又、その曖昧な力を逃れ切る事は出来ない、従つて誰も孤独ではない。だが、誰でも自分の感じ得る孤独感といふものは持つている筈だ、持つていてよい、それは恐らく健全なことである。僕は博物館で襲われたあの孤独感を、其後、何か生き物の様に馴致して来た事を考へた。確かに厄介な生き物であつた。訳のわからぬ人生への無関心や侮蔑を語つたのも彼だつたし、自愛といふ感傷や自意識といふ贅沢を教えたのも彼だつた。だが、今はもう彼を手馴付けた、僕にとつて批評とは、この馴致した孤独感の適宜な応用に他なるまい、僕はそんな事を思つた。
                *
 彼(福澤諭吉)は世人にも見えていた同じものを、世人の眼より遥かに粘り強い眼力で見据えていた。
 世人は、現にある世相の騒乱の先きに、これを生んだ原因を見、原因が見えて了へば今度はその先きに問題の解決法が見付かる筈だ、といふ安易な筋を辿つたが、彼には原因はさういふ風には見えなかつた。恐らく彼にとつては、原因を見定めるといふ事は、現に在る世相の騒乱の動かし難い性格に、いよいよ眼がすわるといふ事に他ならなかつた。現に在る世相の騒乱が見えて来るといふ事は、恰も実体鏡を用ひて眺める様に現に在る世相の騒乱の抜き差しならぬ諸特色を浮き上がらせる様なものであつた。
 彼は、厳に見える世の中の状態は最悪と呼べる状態だぐらいはよく承知していたのだが、彼がもつとはつきり承知していたのは、問題を解決する鍵を現に見えている世の中の状態の外に探つてはならぬといふ事であつた。従つて、現実の状態が最悪であらうがあるまいが、問題の解決の鍵は現実の状態の外には見付からぬといふ彼の様なリアリストの信念にとつては、最悪の状態といふ様なものは存在しないのである。
 空想家は、己れの弱点を省みて、他人の美点に問題解決の鍵を求めたがるものだ。自分の弱点の利用法が納得出来る迄、自分の弱点を執拗に見詰める力を持つた人は少ないのである。
 彼は、観念上の原理を信じなかつた。併し、さういふものの力を知らぬ実際家でも、常識家でもなかつた。ただ明治初年といふ大過渡期に、さういふものに頼るのが甚だ危険な空想である事をよく知つていたのである。彼は、はつきり目覚めて、はつきり見る事の出来る「現にあるもの」を信ずれば足れりとした。烈しく揺れ動く当時の様な社会生活のうちにしつかりと根を下した本当に現実性を持つた観念なり思想なりが、何処に見えたであらうか。見えないものを信ずるわけにはいかなかつたのである。では、何が確実に見えたか。「一人にして両身あるが如」き混乱が見えた。この混乱こそ当時の日本人達だけが確実に知つているものであつた。彼は、この確実なものを議論の土台に選んだ。

●小林秀雄「野澤富美子『煉瓦女工』」より抜粋
 才能といふものは、ほんたうに人間が育つて来ると重荷になるものだ。楽に使つた自分の才能が楽に使へなくなるものだ。さういふ時機が必度来て才能とは何物であるかを教へてくれる。この時機を知らない人は、自分の才能に食はれて終る。

全集第7巻(1940〜1945)のうち、文庫にもなっている作品は飛ばして読んでいるが、以下その一覧
■1940.8:オリムピア(Xへの手紙・私小説論)
■1940.10:マキアヴエリについて(Xへの手紙・私小説論)
■1940.11:文學と自分(考えるヒント3)
■1941.2:島木健作(作家の顔)
■1941.3:歴史と文學(考えるヒント3)
■1941.3:林房雄(作家の顔)
■1941.4:匹夫不可奪志(Xへの手紙・私小説論)
■1941.6:川端康成(作家の顔)
■1941.6:アランの「芸術論集」(西洋作家論)
■1941.7:パスカルの「パンセ」について(Xへの手紙・私小説論)
■1941.8:オリムピア(Xへの手紙・私小説論)
■1941.6:川端康成(作家の顔)
■1941.6:アランの「芸術論集」(西洋作家論)
■1941.7:パスカルの「パンセ」について(作家の顔)
■1941.10:カラマアゾフの兄弟(ドストエフスキーの生活)
■1942.4:当麻(モーツァルト・無常という事/真贋)
■1942.5:「ガリア戦記」(Xへの手紙・私小説論)
■1942.6:無常といふ事(モーツァルト・無常という事/真贋)
■1942.7:平家物語/「先がけの……(モーツァルト・無常という事/真贋)
■1942.8:徒然草(モーツァルト・無常という事/真贋)
■1942.11:西行(モーツァルト・無常という事/真贋)
■1943.2:実朝(モーツァルト・無常という事/真贋)

●小林秀雄「伝統」より抜粋
 古を惜しむといふ事が、取りも直さず、伝統を経験する事に他ならないのである。従つて、この感情を純粋にし豊富にしようと努めることが伝統といふものをしつかりと体得するただ一つの道だ。
 或る藝術作品の性質を、歴史的にはつきり限定出来たとしても、その藝術が、多くの時代々々を貫いて生きて行く、日に新しい意味を持つてよみがへるのは、一体どういふわけなのか、その事を少しも説明しやしない、さういふ大事な點も忘れ勝ちになるのであります。

 僕等が自覚せず、無意識なところで、習慣の力は最大なのでありますが、伝統は、努力と自覚を待たねば決して復活するものではないのであります。僕等は習慣を見失ふ様な事はないが、伝統は怠惰な眼を掠めて逃げるものだ。

 感傷とは模倣といふ行為の意識化し純化したものなのである。救世観音の美しさは、僕等の悟性といふ様な抽象的なものを救ふのではない、僕等の心も身体も救ふのだ。僕等は、その美しさを観察するのではない、わがものとするである。そこに推参しようとする能力によつて、つまり模倣といふ行いによつて。

 詩人はある考へを詩で述べるのではない。又、ある一つの考へを言葉でどうにでも言ひ現すといふ様な事をしているのでもない。ある動かすことの出来ぬ詩といふ言葉の建築を作るのであつて、彼の考へとは、その建築の姿そのものに他なりませぬ。

 藝術家といふものは、決して自由な人ではない。常にどうにもならぬ制約と戦つている人間です。更に言へば、その戦のなかに、眞の自由を発見している人間です。

 表現以前にある個性といふ様なものは、全くの空想である。藝術家は、材料と取り組み、己れを空しくしてある形を作り上げてみて、はじめて己れの個性といふ様なものが、出来上がった形に現れるのを悟るものです。その現れたものが最初にあつたのではない。

 伝統の発見といふ事は、藝術家が極めて立派な材料を発見したと感ずる処に起る。人間の精神の自由が材料の必然と統一しているといふ美しさが、ある動かし難い文化の形として感じられた時に起る。さういふものが新しい創造の材料となる時に、その形が動かし難い規範として見えて来るのである。規範として映る時、材料といふものの制作に対する抵抗は最大となる。この抵抗に自覚と喜びをもつて服従出来た時に、はじめてその人は新しい伝統の形を作り得るのであります。

●小林秀雄「文藝月評XXI」より抜粋
 観察するこちらの人間が成熟してくるにつれて、観察される歴史の方も成熟して来る、さういふ歴史の見方が、僕は一番健全で、又本当の意味で客観的な歴史の見方だと考へている。歴史学の厳格な方法といふものを、常に適度に軽蔑している事がひつようだと思ふ。既成の観察方法だとか様々な先入観だとかいふものを、出来るだけ去つて、歴史の方でいろいろとその秘密を打ち明ける様になるのを、ぢつと待つているといふやり方、さういふやり方が、難しいが本当のやり方だと思ふ。
 物から離れ、心を空しくする時に、物の客観性といふものが、自ら現れて来るのではない。物に対して、透徹した関心を努力して工夫して、はじめて物の客観性を得ることが出来るのである。

●小林秀雄「戦争と平和」より抜粋
 空は美しく晴れ、眼の下には広々と海が輝いていた。漁船が行く、藍色の海の面に白い水脈を曵いて。さうだ、漁船の代りに魚雷が走れば、あれは雷跡だ、といふ事になるのだ。海水は同じ様に運動し、同じ様に美しく見えるであらう。さういふふとした思ひ付きが、まるで藍色の僕の頭に眞つ白な水脈を曵く様に鮮やかに浮かんだ。真珠湾に輝いていたのもあの同じ太陽なのだし、あの同じ冷たい青い塩辛い水が、魚雷の命中により、嘗て物理学者が子細に観察したそのままの波紋を作つて拡がつたのだ。そしふさういふ光景は、爆撃機上の勇士達の眼にも美しいと映らなかつた筈はあるまい。いや、雑念邪念を拭い去つた彼等の心には、あるが儘の光や海の姿は、沁み付く様に美しく映つたに違ひない。彼等は生涯それを忘れる事が出来まい。そんな風に想像する事が、何故だか僕には楽しかつた。太陽は輝き、海は青い、いつもさうだ、戰の時も平和の時も、さう念ずる様に思ひ、それが強く思索している事の様に思はれた。
 僕は冩眞を見乍ら考へつづけた。冩眞は、次第に本当の意味を僕に打ち明ける様に見えた。何もかもはつきりしているのではないか。はつきりと当たり前ではないか。戰に關する理論も文學も、戰ふ者の眼を曇らせる事は出来まい。これは、トルストイが、「戰争と平和」を書いた時に彼の剛毅な心が洞察したぎりぎりのものではなかつたか。戰争と平和とは同じものだ、といふ恐ろしい思想ではなかつたか。近代人は、犯罪心理學といふ様なものを思い付いた伝で、戰争心理學といふ様なものを拵へ上げてしまつた。戰は好戰派といふ様な人間が居るから起こるのではない。人生がもともと戰だから起こるのである。

●小林秀雄「歴史の魂」より抜粋
 政治家の意見だとか、議会だとか、外交だとか、同盟だとか、条約だとか、そんなものが人類の戰争とか平和とかを決定するのではない。私の体験観察に依れば、戰争とか平和といふものはもつと運命的な大きな力で左右されているもので、たとへば民族の興亡といふやうな永遠の法則があつて、人力ではいかんともし難い大きな力があつて、それが戰争を勃発させるのである。将来人類から戰争を絶滅させるべしといふ様な現代の輿論は女子供には向くかも知れないけれども、自分の様な戰争で苦しんで戰争をよく知つている者には一向馬鹿々々しい思想である。戰争は又必ず起こるのだ。だから自分は戰争の準備をする。
 彼は輿論だとか、スローガンだとか、批評だとかいふものに少しも惑わされないで、自分の見た現在といふやうなものから、明瞭に判断を下しただけなのです。
 戰争が終わつて皆んなホッとして、将来戰争をなくさなければならぬと考え先走つている時に、今やつて来た戰争の性格をじつと考えていただけなのです。
 将来はああであらう、こうであらう、或いはかういうやうな理想、希望を持つといふ事は易しい事だ。けれども実際自分の眼の前にある事態のなかに将来の萌芽が、ちらちらと見える、さういふ萌芽が見えるまでぢつと現在の事態を眺めている人が稀なのです。
 自分で判断して、自分の理想に燃える事の出来ない人はスローガンとしての理想が要るが、自分でものを見て明確な判断を下せる人にはスローガンとしての理想などは要らない。若しも理想がスローガンに過ぎないのならば、理想なんか全然持たない方がいい。
 吾々の解釈、批判を拒絶して動じないものが美なのだ。本当の美しさといふものはさういふものなのだ。吾々の解釈で以てどうにでもなるやうなものは本当の美ぢやない。
 歴史を記憶し整理する事はやさしいが、歴史を鮮やかに思ひ出すといふ事は難しい、これには詩人の直覚が要るのであります。

深い侮蔑から来る無関心を蔵している

●小林秀雄「ゼークトの『一軍人の思想』について」より抜粋
 不言実行といふ言葉は誤解されている。お喋りは退屈だとか唖は実行家だとかいふ意味ではない。言はうにも言はれぬ秘義といふものが必ず在るので、それを、実行によつて明るみに出すといふ意味である。

●小林秀雄「文學者の提携について」より抜粋
 伝統は観念ぢゃない、寧ろ物なのである。
 伝統は物質だと言ふのではない。物とは元来、存在といふ意味の字です。伝統は物であるとは、伝統とは存在する形だといふ意味であります。例へば、文學伝統とはわれわれの現に所有する古典です。われわれの先輩が遺した文學的遺産といふ明瞭な形である。従つてこの文學伝統を眞に理解するといふこと、つまりわれわれがこの文學伝統を継承するといふこと、それはかういふ明瞭な形を古人が刻苦精勤して作り出した、その或る深奥なる実際の手腕を、われわれも刻苦精勤して体得するより外に道はないのであります。
 伝統といふ観念を、観念によつて説かうとする、恰も影によるたはむれに過ぎない。
 文學者ほど言葉に対して神経質なものはない、言葉を恐がっているものはない。百圓の言葉で必ず百圓の物が買へるやうに大事に言葉を使ひたい、これが文学者の願ひです。
 言霊といふ言葉の意味は、百圓の言葉で本当に百圓の物が買へる、さういふ言葉には魂があるといふことです。万葉詩人は「言絶えてかく面白き」と歌つていますが、言霊を得るためには、先づ言葉ではどうしても表現できない或るものが見えていなければいけないのです。赤人は富士山を見て、言語に絶する「言絶えて」珍しく面白き富士山の美しさを見た。到底言葉で言ひ現すことは出来ぬ。だが、これを言葉にしなければならぬ。そこに詩人の本当の技巧がある。苦しみがある。さういふ苦しみを通じないと、詩人は決して存在に対して肉迫することは出来ぬ。従つて言葉は物とならぬ。
 本当の文學者はものが複雑に見えて、微妙に見えて仕方がない人種です。言葉の濫用なぞ思ひもよらぬ事です。「言絶えた」物が見えている。これを現すには、たつた一つの言葉しかない。それを捜している人間です。喋つてみても駄目、議論してみても駄目、これしか他にはないといふ言葉だけを集めて、作品を創る。さういふ行為によつてしか解決できぬ課題を常に抱いている。さういふ人種です。

全集第7巻(1940〜1945)のうち、文庫にもなっている作品は飛ばして読んでいるが、以下その一覧。今回再読したものは■、まだのものは□。
■1940.8:オリムピア(Xへの手紙・私小説論)
□1940.10:マキアヴエリについて(Xへの手紙・私小説論)
□1940.11:文學と自分(考えるヒント3)
■1941.2:島木健作(作家の顔)
□1941.3:歴史と文學(考えるヒント3)
■1941.3:林房雄(作家の顔)
□1941.4:匹夫不可奪志(Xへの手紙・私小説論)
■1941.6:川端康成(作家の顔)
□1941.6:アランの「芸術論集」(西洋作家論)
■1941.7:パスカルの「パンセ」について(Xへの手紙・私小説論)
■1941.8:オリムピア(Xへの手紙・私小説論)
□1941.10:カラマアゾフの兄弟(ドストエフスキーの生活)
■1942.4:当麻(モーツァルト・無常という事/真贋)
□1942.5:「ガリア戦記」(Xへの手紙・私小説論)
■1942.6:無常といふ事(モーツァルト・無常という事/真贋)
■1942.7:平家物語/「先がけの……(モーツァルト・無常という事/真贋)
■1942.8:徒然草(モーツァルト・無常という事/真贋)
■1942.11:西行(モーツァルト・無常という事/真贋)
■1943.2:実朝(モーツァルト・無常という事/真贋)

●小林秀雄「無常という事」より抜粋
 (前略)あの時、自分は何を感じ、何を考えていたのだろうか、今になってそれがしきりに来にかかる。無論、取るに足らぬある幻覚が起こったに過ぎまい。そう考えて済ますのは便利であるが、どうもそういう便利な考えを信用する気になれないのは、どうしたものだろうか。実は、何を書くのか判然しないままに書き始めているのである。
 (前略)こんな子供らしい疑問が、既に僕を途方もない迷路に押しやる。僕は押されるままに、別段反抗はしない。そういう美学の萌芽とも呼ぶべき状態に、少しも疑わしい性質を見い出す事が出来ないからである。だが、僕は決して美学には行き着かない。
 (前略)僕は、ただある充ち足りた時間があった事を思い出しているだけだ。自分が生きている証拠だけが充満し、その一つ一つがはっきりとわかっている様な時間が。無論、今はうまく思い出しているわけではないのだが、あの時は、実に巧みに思い出していたのではなかったか。何を。鎌倉時代をか。そうかも知れぬ。そんな気もする。
 歴史の新しい見方とか解釈とかいう思想からはっきりと逃れるのが、以前には大変難しく思えたものだ。そういう思想は、一見魅力ある様々な手管めいたものを備えて、僕を襲ったから。一方歴史というものは、見れば見るほど動かし難い形と映って来るばかりであった。新しい解釈なぞでびくともするものではない、そんなものにしてやられる様な脆弱なものではない、そういう事をいよいよ合点して、歴史はいよいよ美しく感じられた。晩年の鴎外が考証家に堕したという様な説は取るに足らぬ。あの膨大な考証を始めるに至って、彼は恐らくやっと歴史の魂に推参したのである。「古事記伝」を読んだ時も、同じ様なものを感じた。解釈を拒絶して動じないものだけが美しい、これが宣長が抱いた一番強い思想だ。解釈だらけの現代には一番秘められた思想だ。そんな事を或る日考えた。又、或る日、或る考えが突然浮かび、偶々傍にいた川端康成さんにこんな風に喋ったのを思い出す。彼笑って答えなかったが。「生きている人間などというもものは、どうも仕方のない代物だな。何を考えているのやら、何を言い出すのやら、何を仕出来すのやら、自分の事にせよ他人事にせよ、解った例しがあったのか。観賞にも観察にも堪えない。其処に行くと死んでしまった人間というものは大したものだ。何故、ああはっきりとしっかりとして来るんだろう。まさに人間の形をしているよ。してみるし、生きている人間とは、人間になりつつある一種の動物かな」
 この一種の動物という考えは、かなり僕の気に入ったが、考えの糸は切れたままでいた。歴史には死人だけしか現れて来ない。従って退っ引きならぬ人間の相しか現れぬし、動じない美しい形しか現れぬ。思い出となれば、みんな美しく見えるとよく言うが、その意味をみんなが間違えている。僕等が過去を飾り勝ちなのではない。過去の方で僕等に余計な思いをさせないだけなのである。思い出が、僕等を一種の動物である事から救うのだ。記憶するだけではいけないのだろう。思い出さなくてはいけないのだろう。多くの歴史家が、一種の動物に留まるのは頭を記憶で一杯にしているので、心を虚しくして思い出す事が出来ないからではあるまいか。
 上手に思い出す事は非常に難しい。だが、それが、過去から未来へ飴の様に延びた時間という蒼ざめた思想(僕にはそれは現代に於ける最大の妄想と思われるが)から逃れる唯一の本当に有効なやり方の様に思える。成功の期はあるのだ。この世は無常とは決して仏説という様なものではあるまい。それは幾時如何なる時代でも、人間の置かれる一種の動物的状態である。現代人には、鎌倉時代のなま女房ほどにも、無常という事がわかっていない。常なるものを見失ったからである。

by ichiro_ishikawa | 2001-10-23 03:43 | 文学 | Comments(0)  

名前
URL
画像認証
削除用パスワード

<< 小林秀雄アンダーライン 小林秀雄アンダーライン >>