布袋寅泰、ドーベルマンの意味

 布袋のクラブギグを見て久しぶりに思索が促された。ひとつは、布袋の青春歌謡ロックという方向性がひとつの頂点を極めたという実感、及びクリアになった布袋のキャリアの変遷。ひとつは、ギタリズムの、布袋における、そしてロックにおける位置。ひとつは「ヒムロックも怖くない」発言が単純に意味するところ。メロディ・メイカーとしての布袋の特徴、力量。リズム、リフについて。ソロについて。これらは各々が関連するので筆に任せて乱筆していく。

 最新作『ドーベルマン』は90s以降のデジタルビートをふんだんに取り入れながらも大筋において目新しさはない楽曲が並んだアルバム。というか、これまでの世界中のロックの美味しいところを随所に盛り込んだ、“ロック大全集”的なアルバムになっている。ロック・ファンなら誰しもニヤリとさせられる王道フレーズのオンパレード。こうした直球勝負のやり方は、現在の布袋の生きる道を明確に物語っている。ここで布袋のキャリアを振り返る必要がある。
 いう間でもなく布袋の出発点はBOφWYで、ブリティッシュ・ポップのスパイスを利かせた日本歌謡メロディ、ダンサブルなリズム、ギターリフが基調となっている。今でこそ音楽的には当たり前の路線として猫も杓子も歌謡ロックを奏でているけれど、日本の音楽シーンに確立、定着させたのは布袋であり、それこそがBOφWYにおいて最も評価されるべき布袋の偉業だ。だが、BOφWYはわずか6年の活動で、氷室の美的価値観により急きょ解散する。布袋は、氷室とワンセットで一ギタリストとして生きていく覚悟だったに違いない。前に立つボーカリストを失った布袋は、自分が前に出ることはとりあえずナシとした。旧知の吉川晃司を迎え新しいバンドを組む。その前にまず、ギターメインのBOφWYを極めるべく『ギタリズム』を作る。コンプレックスの誤算は、ロックアーティストとしてのステイタスを獲得したかった吉川晃司が、布袋のマリオネットにはならなかったことによる。単純な音楽的指向の相違ではない。当人たちが希望していた主従関係のバランスの崩壊だ。主導権を握って当然と考えていた布袋と、対等でぶつかりたい吉川。
 このバンドの短命で布袋はひとつ別のステップを生み出す。フロントに出て歌うということだ。ここで、そうはせず、「アンダーグラウンドなギタリスト」に向かえば、ロック界からは絶賛されたに違いないが、ヴェルヴェットアンダーグラウンドよりもTレックスが好きな布袋という、もともとの気質からして、ギンギラギンのロックンロールに向かったのは自然な流れと言える。ただしストレートにBOφWYをひとりでやるという方向に足を向けなかったのは布袋のいい意味での若さで、ポップとアヴァンギャルドの微妙なバランスを保っていくと行くという命題を自らに課したことは特筆しなければならない。かくして『ギタリズムII』は、BOOWYの“現在”、コンプレックスの“3枚目”とも言え、ギターリスト、ミュージシャンとしての新しいステップが、つまった大傑作となる。
 『II』のツアーで、布袋は、シンガーとしての自分に少なからず自信をつけたようだ。『II』がうまくマニアック性を追求できたことで肩の荷を下ろした布袋は、初期衝動をストレートに具現化した『III』を作り上げる。
 こうして自分なりのロックをやり尽くした布袋が次に目指したのは、お茶の間であった。『IV』の誕生である。『IV』製作にあたって非常に重要なのが、旅である。デヴィッド・ボウイとの再会を始めとする、さまざまな人々との出会い。布袋はこの時31~2歳。ひたすら自分の美意識を追求して来た、美神との格闘だった若き20代を鳥瞰できる目を獲得した。核ができた、あとはそれが他者にどう響くかという実践をしたくなったこと、あるいは外の刺激をよくも悪くも迎え入れていこうという、温和になった布袋がそこにはいる。「さらば青春の光」ではじめてテレビで歌い、「サレンダー」では歌謡番組にも出演。
 そしてギタリズム終了の最後の公演で「ポイズン」を披露し、いよいよギター・マエストロは、女子供からおじいちゃんおばあちゃんまで、お茶の間、世間という怪物に対して自分をさらけだしていくことになる。そこからは、ロックンロールという核を持ちながらいかに万人に届く楽曲を作っていくかという戦いになるのである。その実は厳しい戦いが、最新作『ドーベルマン』で完了したといっていい。一介の優れたギター弾きで終ることを由とせず、ギターを奏でるエンターテイナーとしてのシンガーとして、ひとつの地位を築き上げた。その試行錯誤がいよいよ名実共に終ったのではないか。「永ちゃんも、ヒムロックも怖くない。まっちゃんはちょっと怖いけど」。まっちゃんは愛嬌としても、これはギター弾きがフロントのシンガーと同じ土俵で戦い続けた末、同じ位置までたどり着いたという実感の現れである。これは凄いことである。キース・リチャーズはミック・ジャガーとセットなのであり、ジョニー・マーはモリッシーの後ろで最も輝く。バーナード・バトラーとブレット・アンダーソンしかり。氷室と布袋はやっぱりジョンとポールなのである。どちらもミュージシャンでフロントマンとしてのシンガーなのだ。

  『ドーベルマン』は一聴して限り無く元気でエネルギッシュなアルバムだ。キャッチーなギターリフ、ギターソロ、メロディアスな歌メロという布袋マエストロの技は相変わらず冴え渡っている。そして布袋の軸であるリズム。ギタリズム。ギターだけで完結できるリズム感覚こそが布袋の真骨頂で、これに松井常松のベースはただ厚みを加えているに過ぎない。布袋のギターには自己をいい意味で殺せるベーシストが必須なのだ。
 たしかに中学生がお気に入りにしそうなアルバムだ。だが、大人が楽しめないかといえばそうでもない。かっこいいリズムにかっこいいリフ、つぼに利くメロディ。普遍的な3分間のロックンロール・チューンが宝石のごとくキラキラ輝いている、ギンギラギンのロックンロールがここにはある。大人が楽しめないのはその大人に元気がないのだろう。体力がないのだ。その体力のなさを否定する資格はないし否定しても何も生まない。ただ、そういう理由を摺り替えて、「布袋は終ってる」と布袋の評価を下げるのはあまりに自分本意過ぎると少し憤る。趣味じゃないのなら構わない、ロックじゃないとかお子さまミュージックだとかいう批評はもはや批評の態を成していない。

  『キング&クイーン』から本格的に始まった、お茶の間ロックを極めた布袋。次にどこへ向かうのか、興味深い。布袋とはひとつのことを極めたら同じところには留まっていない男なのだ。そういうスタンスなのではない、そういう気質なのだ。

by ichiro_ishikawa | 2003-10-14 00:10 | 音楽 | Comments(0)  

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