奈良 2007冬

 
旅中、「時間のお化け」という概念が、終始、頭にこびりついていた。
東大寺、法隆寺、薬師寺、唐招提寺、興福寺といった、奈良の古寺を巡り、様々な仏像に見入り、帰りしな、京都の東寺に寄った。そのほとんどが国宝にして世界文化遺産である。
ハイライトは、東大寺の「修二会(しゅにえ=a.k.a.お水取り)」でもお馴染みの二月堂。
奈良の二月堂を訪ねるというのは、実は、ここ十数年来の企みであった。
 
東京帝国大学を卒業したばかりの小林秀雄は、1928年の約1年弱の間、26歳の時、奈良に滞在していた。
それから20年が経ち、小林秀雄は、再度、奈良を訪れる。
そして、東大寺の二月堂において、小林秀雄の脳髄には、「時間というものに関する様々なとりとめのない抽象的観念が群がり生じた」。 
そこで生み出されたのが小林秀雄の最高傑作「秋」。
(本稿の最後に、その秀逸なイントロを掲載)
俺の企みとは、その「秋」の追憶であったが、とりあえず俺は、形から入った。
そんな形、ベスト5。
1.二月堂に登って、ぼんやりする。

2.欄干に組んだ両腕のなかに、猫のように顎を乗せ、大仏殿の鴟尾(しび)の光るのやら、もっと美しく光る銀杏の葉っぱやら、甍(いらか)の陰影、生駒の山肌、いろんなものを眼を細くして眺める。

3.御堂の脇の庫裡めいた建物でやっている茶屋を訪れる。

4.茶屋の、すすけきった天井と柱、黒光りしている幾つも並んだ茶釜、油と汗で煮しめたような畳を確認する。

5.般若湯を一本、恐ろしく塩からい雁もどきの煮しめを一皿注文し、ひっくり返ってプルウストを読む。

6.「失われし時を求めて」という気味の悪い言葉を、頭の中でキイのように叩いてみる。

以下、実行の結果報告。

c0005419_3541298.jpg二月堂に登って、ぼんやりせんとす
c0005419_315572.jpg欄干に組んだ両腕のなかに、猫のように顎を乗せ、いろんなものを眼を細くして眺める
c0005419_3154214.jpg光る大仏殿の鴟尾(左)、もっと美しく光る銀杏の葉っぱ(冬なので無し)、甍の陰影(手前他)、生駒の山肌(遠方)
c0005419_3153233.jpg御堂の脇の庫裡めいた建物でやっている茶屋。畳は奇麗だった
c0005419_31581.jpgc0005419_315195.jpg黒光りしている茶釜(左)。幾つもは並んでいない。すすけきった天井と柱(右)
c0005419_314537.jpg般若湯、恐ろしく塩からい雁もどきの煮しめは売っていない。というか何も売っていない。実は茶屋ではなく、単なる休憩所だった。とりあえず、ひっくり返って「秋」を読む


「秋」(1950年)

 よく晴れた秋の日の午前、二月堂に登って、ぼんやりしていた。欄干に組んだ両腕のなかに、猫のように顎を乗せ、大仏殿の鴟尾(しび)の光るのやら、もっと美しく光る銀杏の葉っぱやら、甍(いらか)の陰影、生駒の山肌、いろんなものを眼を細くして眺めていた。二十年ぶりである。人間は、なんと程よく過去を忘れるものだ。実にいろいろな事があったと思うのもまた実に程よく忘れているというその事だ。どうやら俺は日向の猫に類している。
 御堂の脇の庫裡めいた建物で、茶屋をやっている。天井も柱もすすけきって、幾つも並んだ茶釜が黒光りしている。油と汗で煮染めたような畳の上に、午前の清らかな陽が一杯に流れ込んでいる。ここにはよく昼寝に来たものだ。
(中略)
 この茶屋は、夏は実に涼しいのである。私は、毎日のように、ここに来ては、般若湯を一本、恐ろしく塩からい雁もどきの煮しめを一皿注文し、ひっくり返ってプルウストを読んでいた。特にプルウストを好んでいたわけではない。本と云えば、それだけしかなかったのだ。当時、私は、自分自身に常に不満を抱いている多くの青年の例に洩れず、得体の知れぬ苦しみを、半ば故意に燃やし続けていた。その為に何事にも手に附かず、会う人にはひどく退屈で暇な振りをしていた。プルウストに熱中していた伊吹武彦君に、たまたま京都で会った時、彼は土産物でも持たすように、膨大な著作の初めの二册を、私に持たした。そして、どういう結果になったかと言えば、プルウストからただ般若湯と雁もどきを連想する始末である。覚束ない語学力で、ぎっしり詰まった活字を辿って行く事は、あたかも人生のほんのささやかな一とかけらも無限に分割し得るという、著者の厄介な発見を追うのにふさわしいように思えたが、いつもやがて気持ちのいい眠りが来た。夏は終わり、プルウストも二巻目の中程で終った。以来、プルウストを開いてみた事がない。高級な文学が甚だ低級に読まれるという世の通例を私は実行したまでの事だ。恥ずかしがるにも及ぶまい。この通例の全く逆も屢々起こり得るのだ。
「失われし時を求めて」−−気味の悪い言葉だ、とふと思う。私はそれを、頭の中でキイのように叩いてみる。忽ち、時間というものに関する様々なとりとめのない抽象的観念が群がり生じた。ああ、こりゃいけない、順序がまるで逆ではないか、プルウストは、花の匂いを吸い込む事から始めた筈である。私は、舌打ちをして煙草を吹いた。思いも掛けず、薄紫の見事な煙の輪が出来て、ゆらめきながら、光の波の中を、静かに渡って行った。それは、まるで時間の粒子で出来上がっているもののように見え、私は、光を通過するその仄かな音色さえ聞き分けたような思いがした。不思議な感情が湧き、私は、その上を泳いだ。
以下、もの凄い事になってゆく。
新潮文庫『Xへの手紙・私小説論』所収

by ichiro_ishikawa | 2007-02-14 03:59 | 紀行 | Comments(3)  

Commented by イチブル会長 at 2007-02-20 11:25 x
「秋」は特にロックの匂いがするね。最終的には“恐ろしく塩からい雁もどきの煮しめ”を連想する始末。
Commented by ichiro_ishikawa at 2007-02-27 02:13
秀逸なコメントだ
Commented by mixrelax at 2007-06-28 14:47 x
ふと小林秀雄で検索していたらこちらに来ました。
「秋」大好きです。同じような旅をしたことがあります。
当麻寺にも行かれましたか?
(たいぶ昔の記事へのコメントですみません)
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