新連載・意外とすべらない話

 学問の欲求は昔からずっと人間の本能だった。本能でなくなったのは現代ぐらいで、今日は義務教育だし、黙っていても周りが教えてくれる。江戸時代までは違った。自ら学ぼうとしなければ誰も教えてくれない。

 江戸時代、私塾が流行った。生徒はもっぱら町人だった。当時の町人というと、武士や農民と違い裕福だったから、あらゆる遊びはやった。やり尽くした。ただ、学問だけはやった事が無かった。学問というのは、いかに生きるべきかを問う事だから、人生の根本問題だ。面白くてしようがない。ばくちや女遊びなんかの比じゃない、というわけで、京都に伊藤仁斎という学問を教える人が現われたとなれば、千里を遠しとせず通い、月謝もバンバン払った。

 その江戸時代初期の考える人、伊藤仁斎が、ある弟子が死んだとき、その死を悼み、珍しく弟子の事を日記にしたためた。
 その弟子は、どこかの辺鄙な村の百姓で、金がないから豆ばかり食っていた。学問を学べるとなれば食うものなぞ豆でよかった。熱心に通い学び続け、家に帰ると、学んだ事を反芻しては、「あ、間違ってた!」と手を叩き、「あ、間違ってた!」と手を叩き、と独りでずっとやっている。
 仕舞に、「あいつは気違いになった」と、村で評判になった。ついには村長が遺言で、「学問をすると気違いになるので絶対にしてはならぬ」と残した。
 だが10年後、その弟子は、村でだんだんと頭角を現し出し、周囲から「あいつの言っている事は正しかった」と証明され始め、ついには、聖人と崇められるまでになった。
                                                (小林秀雄の講演より抜粋/オチはない)

by ichiro_ishikawa | 2007-04-04 02:03 | 文学 | Comments(0)  

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