悲劇の誕生

 このブログでは日々の出来事、日記の類は極力書かないように意識していたが、今回ばかりはそのようなものを綴っていかざるを得ない。

 ひとつの悲劇(これを悲劇と呼ばず何と言おう)が降り掛かった。被害者面をするのは簡単だが、悲劇のヒーローなんて今日び犬も食わぬ。それにそこにいつまでも浸かっていては、これから生きていく上で支障を来すし、何よりもまず、今まさにこの瞬間、どちらの足から歩み出すかを決めなければならないではないか。地球は回る。
 とりあえず今はもう、その悲しみの正体を論理的に突き詰め、対象化し、葬り去った。苦しい事など人に語るな、ドブに捨てちまったら一生だんまり決めろと、いつか誰かが言っていたように、その辺の感傷的な部分は書かない。ただ善後策を並べていこうと思う。

1. 原則としてiTunesはメインの再生機器としてではなく、iPodのベースメントとして使うにとどめる。
2. 1に伴い、メーンの再生機器を購入する。普通のCDプレーヤーにするか、HD内蔵のものにするかなどは、今後、中長期的視野に立った思案を必要とする。
3. 共有サイトやレンタルCDなどからデータとしてのみ落としたものは、その場その場でCD-Rに焼いておく。水泡に帰したデータ、金、時間のことは忘れる。

 とはいえ、こつこつとストックした2万曲を、ジャンル別、アーティスト別、年代別、作曲者別などで一瞬でソートし、1クリックで次々と聴きたい曲を聴きまくる、あるいは様々な状況別に聴きたい曲を編集したオリジナルプレイリスト(昔で言うオムニバスカセット)で自分だけのDJプレイを楽しむ、ボブ・ディラン全アルバムの中から1クリックで曲を選びながら、全詩集を片手に、ギターとハーモニカを持って、iTunesの画面を見ながら歌う、そうしたことがもはや出来ないという現実に、うまく適応できるものだろうか。スイッチ一つで電気がつく生活からろうそく暮らしに戻れるものだろうか、携帯電話から固定黒電話に戻れるものだろうか。そして何よりも、ここ1〜2年、土日のほぼ毎日を駆使してiTunesと向き合い続けたその時間をどうしてくれよう。HDの寿命が1年なんて初耳だった。I・O DATA並びにヨドバシ、なぜ告げてくれなかったか…。
 もうやめる。形あるものは全て消滅するという世の通例が普段通り行なわれたに過ぎず、俺は、意識的にか無意識的にか、その通例を少し見失っていただけだ。泣き言は言うまい。乱読・多読はもはや出来ないが、高校生のあの時のように、1枚1枚、ターンテーブルに乗せ、一曲一曲を噛み締めて、じっくり聴いていこう。
 さらばiTunes! こんにちはレコードプレーヤー! 今まで蔑ろにしてすまなんだ…。お前は、いつも、そこにいた。やっぱり信用できるのはお前だけだ。

by ichiro_ishikawa | 2007-04-08 23:10 | 日々の泡 | Comments(3)  

Commented by qeb at 2007-04-08 23:57 x
iPodに入れてあった分だけでも、ものの本に依れば取り出せると思いますよ。
Commented by 伽藍ん布流 at 2007-04-10 00:09 x
バックアップとっといた方がいいよ。
Commented by ichiro_ishikawa at 2007-04-10 03:35
qebさん
ものの本に従い、絶賛取り出し中です。ありがとうございます。blogも頻繁に読ませていただいています。Cogito、楽しみです。

伽藍ん布流とやら
知ってる。
名前
URL
画像認証
削除用パスワード

<< 俺とディラン 新連載・意外とすべらない話 >>