小林秀雄は難しいか。否


 小林秀雄の文章は難しいと言われるが、これは、本人も語っているように、人生自体が難しいからだ。易しく言えないのか、という妹の質問には、「無理だね」と即答している。自分は難しい人生を書いているから、そりゃその文章も難しくなる。俺は分かり易く伝えようとはしているが、分かり易く解釈はしない。簡単なことを難しく書くのは単なる虚栄だが、難しいことを書いて、それが難しくなるのは仕様がないことだ。そういう意味のことを小林秀雄は言っている。

 難しい人生を易しく分かりたいということは、難しい人生を自分の分かりたいようにでっち上げるということだ。小林秀雄が嫌い抜いた、イデオロギーや何々主義といった様々なる意匠というやつは、微妙で曖昧だが確かな真実を、自分に都合のよいように解釈して、結局まったく違うものとして作り変えてしまう。小林の仕事は、易しく解釈され、ある意味、矮小化された真実を、本来の難しい姿に戻す作業なので、やっぱりそりゃ難しいのである。
 だが何度と読むうちに、その秘密は自ずと明かされる。情熱は情熱によってのみ動かされるがごとく、無私の精神は無私の精神にのみ、その秘密を明かす。無私というのは何も難しいことではない。分かったようなフリをしなければいいだけだ。
 愛に対して理知で答えることのばからしさは常識だろう。優れた恋文に心打たれたとして、その打つものはレトリックや語彙ではないはずだ。その人の魂を感じるからだろう。そのとき魂と言葉は2つのものではないだろう。ラブソングには愛する心持が必須なのである。

 小林秀雄は10枚書いたものを結果2~3枚にするのだという。いかに多くの事を言わずに我慢したかを知ることは大事だ。読む側は、その選びに選び抜かれた、書き手が喜びも悲しみもすべて託したそれらの言葉と対峙するという覚悟が必要である。その言葉を、吟味したい。やはり知識を得るのとは根本的に違うのだ。味わう、ということだ。恋人の片言隻句を噛み締めるように、小林秀雄の言葉を抱きしめたい。

by ichiro_ishikawa | 2007-08-15 02:40 | 文学 | Comments(0)  

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