小林秀雄は難しいか。Oui



 小林秀雄の難しさは、人生の難しさと同じことだ、小林秀雄が難しいのではない、人生が難しいのだ、という根本的、本質的な事を前回書いたが、ちょっと具体的事例を出してくれと、またしても俺が俺に言うので、うまくいくとは思えないが、「この世はやってみなければわからないことだけで成り立っている」と小林秀雄が言っていたのを思い出したので、とりあえずやってみる。
 多くの優れた文学者がみな優れた哲人であるように、小林秀雄もまた大きな哲学に触れている。小林秀雄の最も晦渋な部分というのは、この哲学的思索の発露にある。「秋」、フランスの哲人ベルクソンについて書き未完に終わった「感想」なとがその代表だが、その辺りについては別の機会にじっくり取り組むことにする。
 本稿では、文章自体の難解さに触れたい。
 パスカルついての文の中で、人口に膾炙したパスカルの「人間は考える葦である」を取り上げ、小林秀雄は次のように言う。
 人間は考える葦だ、という言葉は、あまりに有名になりすぎた。気の利いた洒落だと思ったからである。或る者は、人間は考えるが、自然の力の前では葦のように弱いものだ、という意味にとった。或る者は、人間は、自然の威力には葦の様に一たまりもないものだが、考える力がある、と受け取った。どちらにしても洒落を出ない。
 パスカルは、人間はあたかも脆弱な葦が考える様に考えなければならぬと言ったのである。人間に考えるという能力があるお蔭で、人間が葦でなくなる筈はない。従って、考えを進めて行くにつれて、人間がだんだん葦でなくなって来るような気がしてくる、そういう考え方は、全く不正であり、愚鈍である、パスカルはそう言ったのだ。そう受け取られていさえすれば、あんなに有名な言葉になるのは難しかったであろう。

 一段落目は分かるだろう。二段落目が分からないのではないか。
 小林秀雄の難しさは、こういうところにある。ここに専門用語はひとつもない。ひとつひとつは全く日常の言葉が選ばれている。
 小林秀雄は、「AはBと一般的に言われるが、実は違う」と言うとき、違う理由を合理的に説明しない。ここでも「洒落を出ない」の一言で済ませている。
 そして唐突に結論に飛ぶ。「実はCなのだ」。凄まじい断定の力でそう言い切るのだが、その「C」がまた一筋縄ではいかない。「C」自体は、なにやら謎めいた暗号のようだ。そんなわけで「C」と言われたとき、凡才な俺の頭上には素朴な「?」が点灯する。
 次にその「C」が具体的に展開されるのだが、その展開は元の「C」のさらなる説明や論証ではない。「C」の具体的な姿を描写するだけだ。而して俺の頭上では「?」が点滅し続け、とりあえず文頭に戻る事にならざるを得ない。
 二度、 三度読んでも、分からない。だが、そのもの凄い言い切りに、ただならぬ凄みを感じているから、俺は考え込む。その凄みにやられ続ける俺はその言葉という事件のただ中に放り出される。事件は解決されなければならない。俺はホシが残した言葉を、暗誦聖句のように、あるいはお経や呪文のように、心の中で唱え続ける。そんなある日、突然、頭上の「?」は「!」に変わる。読み返す。俺は、この言い切りに独断的なもの、比喩や空想めいたものはひとつもない、これはこうとしか言えなかった、という事を悟る。

 小林秀雄の醍醐味は、この「?」の発祥ならびに持続、そしてやがて「!」に至るという一連の精神の躍動にある。普通に生きている限り、点灯しない「?」というものがまず現われ、まず点灯しない「?」だからこそ、それは持続し、「!」の衝撃は、己が人生に、おのが精神に焼き印を残す、痛い、あるものなのである。
 それはあたかもニュートンが、星は落ちないのに林檎が落ちるという、普通はまず点灯しない「?」にやられ、何も説明しない林檎の落下という事件の渦中に放り出され、やがて自ら万有引力という「!」を導いた、というような精神の流れを作り出させる。考えるヒントとはよく言ったものだ。
 AはBなぞではない、Cである。そういうとき、CはAの答えではないのであった。

by ichiro_ishikawa | 2007-08-21 01:28 | 文学 | Comments(2)  

Commented by Dannygauct at 2017-06-11 10:54 x
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Commented by TimothySen at 2017-06-30 13:22 x
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