俺・俺・俺(無私の精神)

 本が売れない、雑誌が売れない。時代はいよいよ変わった。ネット連動だ、ケータイ向けコンテンツだ、クロスメディアだ、二次販売を見据えて、云々。
 俺は、こういう物言いを、まったく信用していない。

 俺が信用していようがいまいが、どうでもいいことだろう。そも、その「俺」って誰よということだろう。ただ、その俺は、そういう風潮が強くなればなるほど、「ならば、“本だけ”の力で売ってみせようじゃないか」と奮い立つ(逆に本だけの力でとか言われれば、クロスメディアだと奮い立つがな!)。

 時代に敏感に反応している人間というのは、すべてとは言わないが、えてして、実は自分では何も考えていない人間だ。考えている人間をうまく使うことを考えている人間だ。きゃつらは、時代の流れに柔軟に、局面局面で臨機応変に対応している風に一見見えて、実はウロウロしているだけだ。様々なる意匠をとっかえひっかえしているに過ぎない。右に傾いたり左で悦に入ったり、その時そのときの趨勢に従って右往左往忙しい。平和論を戦わせた末、殴り合いのケンカをする類いの人間だ。
 たとえば、ネットで成功している奴というのは、時代に敏感に反応をした奴ではない。鞍替えした奴ではない。ネットが普及する前からじっとネットを見据えていた奴なのだろう。
人は様々な可能性を抱いてこの世に生れて来る。彼は科学者にもなれたろう、軍人にもなれたろう、小説家にもなれたろう、然し彼は彼以外のものにはなれなかった。これは驚く可き事実である。

 この事実に驚いているかどうか。てめえの宿命の主調低音を聴くこと。大事なのは、自分の個性と戦うことだけだ。

by ichiro_ishikawa | 2007-10-31 01:23 | 文学と音楽 | Comments(0)  

名前
URL
画像認証
削除用パスワード

<< 晩秋の日曜に心に去来した雑感 古典礼賛 >>