晩秋の日曜に心に去来した雑感

 世間的なコミュニケーションにおいては、軽い球をポンポンとキャッチボールしていくことが軋轢を生まず円滑にその場をやり過ごす上で大事なわけだけれど、当然のことながらそんなことばかりしていても、要領が良くなるだけで、人間の深みというか、豊穣さのようなものは全く増さないことは言わずもがなだ。
 軽くポンポンと投げたり受け取ったりできない、その人が全人格を賭したような重い球を、時間をかけて、じっくりと受け取りたいし、発したいと思う。その重さとは、本質的には人を明るく楽しくさせる、とてつもなくポジティーフなものだのだが、一見にはわかりづらく、極めてシリアスなので、やはり生活においては忌み嫌われる厄介なものなのだろう。だが、やはりその重い球のやりとりからしか真のコミュニケーションは生まれないのは事実だ。
 文学とか音楽とか映画とか美術といった芸術というのは、そういう重い球の最たるものだ。他人と共有しがたい、名状しがたい、あるものが、そこには刻まれている。俺が一番大事にしているものは、その交換不可能な、顕在化しにくい、じっくりと時間をかけなければ生まれもせず得られもしない、傍目には主観的と切り捨てられてしまうような、非常に不確かで曖昧だが、確実に存在するあれ、である。
 保坂和志の新刊『「三十歳までなんか生きるな」と思っていた』を読んで、心が共振したので、同じことをてめえの言葉で綴ったみた。

by ichiro_ishikawa | 2007-11-12 01:53 | 日々の泡 | Comments(1)  

Commented by ichiro_ishikawa at 2007-11-13 01:55
自分で自分にコメントするが、そも、本文も自問自答の形骸だから、誰も笑うまい。「名状しがたい、あるもの」とは、うまく言葉にできない、というのとは微妙に違う。うまく言葉にできないと人が言うとき、大抵、それは、ちゃんと考え抜かれていないからか、単なる表現力の不足か、あるいは両方なのだが、ここで言うそれは、日常語というかコミュニケーションのための言語では構築し得ないあるもの、ということだ。
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