小林秀雄の典型的なやり口の福田和也による秀逸な分析

 
 小林秀雄について論じた人は数多いるが、そのほとんどが、どうもピント外れに思えてしょうがない。江藤淳や吉本隆明でさえ。小林秀雄は、核が極めてはっきりしているが、非常に微妙なもので、しかもその微妙さは「感じる」類いのものなので、理知で分析しようとすると、やはり巧く貫けないのだろうか。
 ズバリど真ん中を射抜いていたのは故池田晶子だが、池田晶子は批評家ではなく、ある意味、詩人だから、詩として、小林と同じことを表現したまでだが、小林と同じ批評家として、非常に明晰に小林の凄さを言葉で紡ぎ得たのが、福田和也だ。
 来歴を語り、説明などを繰り返して、対象の匂いや手触りを喚起しながら、よいものはよいのだ、という判断の断崖に読者を追いつめておいて、その断崖から見える視野とその崖の高さを語って見せた後に、突然一つの情景を描きだす。その情景は、読者を批評家の価値観や判断について説得するためではなく、その価値自体を、あるいは価値の発見を体験させる文章として造形される。(日本人の目玉/ちくま学芸文庫)

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by ichiro_ishikawa | 2008-02-10 00:02 | 文学 | Comments(0)  

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