ゴトシと俺


 俺が「動く前に熟考する」気質であることは度々開陳して来たが、例えば、大学卒業前、就職活動をする際には、まず「働くとはどういうことか」を考える必要があった。講談社現代新書の黒井千次「働くということ」から入り、様々な書物に当たった。ここで俺らしいのは、友人や先輩なり身近な生身の人間には一切聞かなかったということで、そもそもそういう人が周りにいなかったのだけれど、だから、どうしても観念論になり、本質論になりがちだった。すると流れで、「他者とは何か」、「生きるとは何ごとか」、極まって「己とはなんぞ」までに至る。長考に入り、やっと腰を上げ、履歴書を買いに行くという塩梅であった。この時点で、すでにビジネスマンとして落第だ。おれが経営者なら絶対にこんな奴は雇わない。
 そんな中、小林秀雄は、「動く」と「熟考する」が二つのことではないこと、「黙って事に処せ」ということを、俺に知らせた。以来、俺は、熟考と動くを分けて考えず、黙って事に処しているつもりだ。
 つもりなので、本当はそうではない。そも、こういう内容のブログを書いている時点ですでに熟考もしていないし動いていないし、何より黙っていない。小林秀雄の文を抱きしめるのには、強靭な精神と肉体が必要とされる。

 働くというのは、つまるところ、他者に貢献する事だ。だから自分のやりたい事をやってもそれが他者になんらかの「利益」をもたらさなければ「仕事の」意味はなさない。百も承知だ。他者へ何らかの利益をもたらすために自分ができる事をする、これが仕事だろう。その、「何らかの利益」の「量」が多ければ、「ビッグビジネス」になるし、「質」が高ければ「いい仕事」、になる(とりあえず「何らかの利益」の定義は置いておく)。ほとんどの人は「量」と「質」、双方を求め、そこそこの「量」にそこそこの「質」のモノを提供しているというのが実情だろう。悪い仕事をビッグビジネスにしている人、いい仕事を細々とやっている人、いい仕事でビッグビジネスを作り上げている人は、ごく稀だろう。
 いい仕事でビッグビジネスを作り上げるのには大いなる才が必要で、俺にはハードルが高すぎるので、悪い仕事でビッグビジネスをするか、いい仕事を細々とやるかで、この10数年、いまだに揺れているのだが、やっぱり、いい仕事を細々とやっていきたいというのが本音だ。

by ichiro_ishikawa | 2008-04-26 17:01 | 日々の泡 | Comments(0)  

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