16歳と俺


 金、金、金。金追いかけたら、一夜にして幸せがすり抜けた。
 追いかけてばかりいるうちに、頭も禿げてきた。

 俺は今「銭儲け」を最大の目的としている組織の一歯車として、組織から金をもらっているため、仕事をするときは、「一挙手一投足はすべて金儲けのため」を信条に、日々、人殺しをしているわけだが、組織で働いている以上、その人間の全言動はその組織の利益に繋がっていくものでなければならないのは、ごく当たり前のことだ。

 ただ、金、金、あからさまに公言するのはみっともないし、また、「本当はやりたくないがしょうがなく」、という心持ちで職務をこなしてると、どうしてもその行為にイヤイヤ感がにじみ出て、結果、成果を残せない。ただしここでは成果をあげる事が最大の目的であるから、その職務中は、やりたくない事を、「どうしてもやりたい事」に精神的に転化させる必要がある。つまり、芝居をうつ必要がある。しかも千両役者でなければならない。本当の顔なぞ間違っても見せてはならぬ。ただ状況によっては、本当の顔を見せているフリは必要だ。大人のたしなみと言えばそれまでだが。

 組織の利益を二の次にして、てめえのやりたいことばかり追求するという、「仕事」と「やりたいこと」を混同する輩がよくいるが、そういう人は、自営すればいいのであり、組織から金をもらっていながら、てめえのやりたいことが実現できなくて愚痴ばかり足れている奴は、何を勘違いしているのだろう。

 やりたくないことをやるからこそ金がもらえる。困難な事をこなすからこそ金がもらえる。やりたいことだけを、楽なことだけをしても、金はもらえない。経営者でなくとも、ちょっと考えればすぐ分かることだ。どこのお人好しが、その人間の「やりたいこと」に金を出すのだろう。
 「それじゃモチベーションがあがらない」? 貴様のモチベーションを高めるために、他人は動かない。組織から外れるがいい。だが自分の看板だけを頼りに自らの手で仕事を取って「他者のために」動けるのか? 無理だろう。だったら四の五の言わず、組織の目的をてめえの最大目的にして、額に汗水たらせ。多少の対価は払ってやるからよ。歩合制だがな。

 労働のバージョンは、二つだけだ。
 ひとつは、てめえのやりたい事が他者の要求に直結して、やりたい事を果たす事が仕事になる。ひとつは、やりたい事が他者の要求に直結しないので、やりたいくないが他者の要求を満たす事をやる。
 前者はほとんどない。一流のスポーツ選手やアーティストとて、必ず「他者の要求」に意識的で、結局、程度の差こそあれ、後者に属する。
 つまり、前者は「天才」で、後世までその名を残すごく一部の偉人だけだ。とすると、我々、普通の人々にとって、労働とは他者の要求を満たす事、これでしかない。

 とまあ、こういう凡庸な事を、俺は高校生の頃から考え続けていて、40近くなった今でも、同じように考えている。要するに、やりたい事をやれていない葛藤を未だに抱え込んで生きている、ということだ。

 ただ、高校生の頃とちょっと違うのは、もはや、やりたい事がなく、やりたくない事だけがある、ということだ。やりたい事と言えば、旅をしたい、音楽をずっと聴いていたい、本を読んでいたい、ずーっと寝ていたい、といった幼稚な、趣味レベルの話だ。
 そうなると、「他者のために」、「やりたくない事」を全うする事で得られる対価というもの、つまり金、これを手に入れる事自体が生きる目的となっていく。

 これはヤバい。周り見てみな。いっぱいいるはずだ、こういう輩が。金が正義のこの俗世で表通りを闊歩している人間が、どんなにスマートなIT長者であれ、「右曲がりのダンディー」の一条まさとのような仕事も遊びもクールにこなす人間であれ、一様に、醜い事を、「俺たち」は知っている。

「あんな大人になりたくない」と肝に銘じたはずが、「あんな大人」になりつつある。
 欲望に流されない、強靭な精神力が必要だ。
 仕事にうつつを抜かしている場合ではない。
 とりあえず、どこから始めよう。聖書でも読もうか。

 一流の書物を読み、精神を陶冶する。それぐらいしか、生きる目的は見当たらない。

 ブログやSNSといういかにも俺が忌み嫌いそうな類いのことを、その当人が4年もやっているのは、媒体は何であれ、「書く」という行為が、それが精神との深い対話であれば、人間の営為のうちで、もっとも精神を鍛え得るものであるという信念に基づく。
 できれば一週間に一度は、その陶冶を意識的に行っていきたい。書くと考えるはイコールだ。大した事しか書けないのは大した事を考えていないからだ。そも、そんな大した器でもないのだから、大した事を考える必要もないのかもしれないが、その陶冶への意志を放棄してしまうと、何か大事なものを失っていくような気がするのである。そんなもの元々ないのかもしれないが、そこがこれからの生命線であるような気がしている。転がり落ちるのは本当に容易い。のぼろうとは思わないが、コケは生やすまい。

by ichiro_ishikawa | 2008-10-13 18:57 | 日々の泡 | Comments(0)  

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