ある夜の修羅場


 男の豪華ディナーというと、普通は、コンビニの弁当かパスタかの2択なわけだが、
俺ともなると、おにぎし2個と「からあげクン」のセットという独自メニューをもっているから、選択肢も潤沢なわけだ。この組み合わせが、腹の足し的にも美食的観点からも大いにアリである事に気づいている人はそう多くない。
 この日も、俺には「3」択があったわけだが、めぼしいパスタも弁当もなかったため、その「黄金のセット」に及ぶことになった。
 注意しなければならないのは、あまり時間が遅いと、からあげクンが切れている事がままある、という事。
 レジ横をチラ見すると、3個ほど残っている。俺はおにぎしの具ナンバーワンであるこんぶと、第2位であるところの明太子のおにぎしをわしづかみにすると、勇んでレジに持っていった。
 話はやや思い出横町に逸れるが、レジ横商品を購入する際、そのアナウンスのタイミングはなかなかどうして難しい。店員がバーコードをひと通りなぞり終わるのと、合計金額を告げてくるその微妙な合間に、「あと、からあげクンを」というセリフを滑り込ませなければならないのだ。早すぎても遅すぎてもダメだ、コンマ数秒のタイミングが命である。
 とはいえ、タイミングの良さで食っている俺ともなると、そんな所作はもはや容易い。問題は「あと、からあげクンを」の「を」にある。
 常に、最小限の文言で己が意志を正確に伝える事にエネルギーを費やす俺が、この「を」にたどり着くまでの道のりは決して短くなかった。「○○をください」だとやはり長いし、いささか丁寧すぎる。「○○」と商品名だけ言うのも店員に威張っているようで、品格を貶める。そうした模索の末たどり着いた決まり文句が「○○を」なのであった。威圧的でもなく、へりくだり過ぎもせず、若干ハードボイルド、という絶妙な発明なのであった。
 ただし、欠点は商品名が50音でいう「お」の段の言葉で終わるときだ。例えば、からあげクンの中でのぶっちぎりの1位である「からあげクンレッド」。「からあげクンレッドを」というと、得てして「からあげクンレッドー」と聞こえ、店員から、「不用意にオンビキをまぜるチャライ奴」というレッテルを貼られてしまう危険性を常に孕んでいる。この「を」をきちんと「を」と認識させる事は意外と骨が折れるのであった。

 話を明るい表通りに戻すが、なんとこの日は、その「レッド」が売り切れで「レギュラー」と「チーズ」しかなかったのである。なんてことだ! そこまで見てなかった!
 すでに店員はこんぶのおにぎしのバーコード読みに入っているので、このタイミングでパスタか弁当にシフトすることは不可能だ。
「やむをえまい、ほかの味で手を打つか…」
 すでに口が「レッド」を食う体勢に入っていたので、プレーンなレギュラーでは欲求を満たせない、味的には真逆だが、濃い味を欲する俺の口を満たすのはどちらかといえば「チーズ」であろう。そう瞬時に判断した俺は、店員がバーコードをひと通りなぞり終わるのと、合計金額を告げてくるその微妙な合間に、「あと、からあげクンチーズを」と言い放った。そしてその絶妙な間でのアナウンスに満足げな店員が、レジ横の温ものボックスに手を入れんとしたとき、俺はミスを犯してしまった。
「レッドはないもんね…」
 そう発語してしまったのである。
 無駄だった。完璧に無駄な一言だった。あれほど文言を削りに削ってきた俺とした事が、全く無意味な一言を発してしまったのである。合理性の面から言っても無駄だ。レッドがないのは自明だからだ。その証拠に、「あいにく切らしてます」という定型文を誘ってしまった。このキャッチボール、たったの2文とはいえ、まったく無意味だ。切らしているのを俺は知っていた。この時間帯からあげ直すことがあり得ない事も知っていたし、よしんばあげ直してくれるとしても、そんなの待ってられねえ。そこまでして別に食いたくねえ。
 では、なぜ俺はその無駄な一言を発したのか。店員との会話の間が居心地悪かったからか。そんなわけはない。コンビニでの店員と客との会話の間なんてものは無いし、仮にあったとしても、ちぃーっとも気にならない。そも、これは会話なんていう上等なものではない。ただの記号の示し合いだ。
 ではなぜか。なぜ無駄な一言を発したか。
 「こんぶと明太子のおにぎしと、からあげクンチーズというセットが“ベスト”というジャッジを下したが故の今回のセレクトでは決してないぜ」という思いを、やはり伝えたかったのだ。「こんぶと明太子のおにぎしと、からあげクンレッド、これこそが男の黄金のディナーである、ということは知り抜いている、だが今晩は売り切れだから、チーズで妥協している、そういうディシジョンなんだよ」、と。いや、これはどうしても伝えねばならなかった。無駄な一言を発するという愚行に及んでまで、伝えねばならなかったのである。
 笑わば笑え。ただ、男には、口に出しちゃいけねえ事がある一方で、どうしても伝えなければならぬ事、というものがあるのを知っておくのはよい事だ。

by ichiro_ishikawa | 2008-10-15 01:49 | 日々の泡 | Comments(0)  

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