2017年 09月 11日 ( 1 )

 

思考実験 メールがなかつた頃


メール、ケータイといふツールを駆使した生活がデフォルトになつて久しく、その登場以前の暮らしを思い出せなくなつてきてゐる。

かつて現代のコミュニケーションツールといへば電話であつた。いまは電話は、否応なしに応答しなければならないといふ理由で、暴力的とさへ形容される代物に成り下がつてゐる。実際かくいふ俺もゴトシ以外で電話を使ふことは皆無となつてゐる。元々生身のコミュニケーションを避けたい性格だけに、この新たな潮流は渡りに船ではある。

しかし、ふとメール以前の暮らしを思い出してみたくなつたので、回想してみる。

俺が初めてメールを始めたのは、ケータイを持つやうになつたのとほぼ同時であり、確か1997年、26歳のことであつた。前述の通り人間嫌ひの俺は、俺の時代が来たとばかりに嬉々として飛びついた。つまりそこから今に至る20年は地続きだ。

その直前はポケベルといふのが一瞬あつた。1992〜96あたりか。しかしうまく使いこなせず、駆使した記憶が殆どない。

だから1991年、20歳以前は完全に電話であつたことになる。つまり俺でいへば学生時代は電話であつたといふことで、学生時代の暮らしを思い出せば、メール前のコミュニケーションを思い出せるか。

……しかし、電話を使つた記憶が引つ張り出せない。日常における電話によるコミュニケーション事例を忘れてゐる。おそらく友達がゐなかつたから、必要なかつたのやもしれぬ。

ぼんやりと、「一郎、電話ー、誰々から」「…居ないつて言つて」といふやりとりがしばしあつたことが思ひ出されるぐらいだ。

ここで言へるのは、かつて誰かと連絡を取る際は、その人の家族を一発かます必要があつた、といふことだ。だから、家族の各人脈は同居の家族全員が共有していた。電話も子機が出て来たのは1980年代後半に入つてからで、以前は電話での会話自体を家族の前で公開して行なつていたのであり、人脈どころか誰が誰とどういふ関係で何をしてゐるか、まで共有されてゐたといふことになる。
そんな時代が、電話が日常に組み入られた明治から昭和まで約100年続いてゐたといふことだ。

今やケータイ、メール、SNSにより、晒すも隠すも自在といふ環境にあり、これは人類コミュニケーション史、つまり精神史において、相当大きな変化である。
そりやあ、何かが抜本的に変はるわな。
以上。











by ichiro_ishikawa | 2017-09-11 19:31 | 日々の泡 | Comments(0)