ベースがいい動画2本


サディスティック・ミカ・バンド「塀までひとっとび」(1974)
ベース:小原礼



シーナ&ザ・ロケット「You may dream」(1980)
ベース:浅田孟


# by ichiro_ishikawa | 2017-03-13 22:35 | 音楽 | Comments(0)  

ネヴィル・ブロディ


デザイン、特に文字組を中心とした二次元デザインには少年時から少なからず興味があつて、同時代の「DAZED & CONFUSED」や、「Ray Gun」のデイヴィッド・カーソンに憧れを抱きながら、遡つては、御多分に洩れずアンディ・ウォーホル(『Velvet Underground』『Sticky Fingures』『love you live』、そして「Intevriew」誌)、日本では装幀家の平野甲賀、元ロッキング・オンの大類信、中島英樹といつたデザイン作品を気に入り、その作品集は自宅のアトリエに飾つたりもしてゐるのだが、最近急に「そういや1986-87年あたりに日本のデザインが一斉にある方向に振れてたな」といふことを思い出した。
そのある方向とは、端的に言つてこれだ。

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このジャケットに象徴される意匠。この方向に一斉に振れたのは、おそらく海外の真似だらうと踏んで、調べてみたらすぐに判明。英誌「The Face」などで著名な、今やデザイン、タイポグラフィ界の重鎮となつているネヴィル・ブロディであつた。思はず作品集「The Graphic Language of Neville Brody」を購入。眺めて暮らしてゐる。

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# by ichiro_ishikawa | 2017-03-13 22:02 | 音楽 | Comments(0)  

山下久美子 with BOØWY、吉川晃司、大沢誉志幸



「こっちをお向きよソフィア」
(作詞:康珍化/作曲:大沢誉志幸)
1986年8月4日 ''ROCK STAGE in 新宿'' 新宿都有3号地

vo 山下久美子
g 布袋寅泰
g,cho 吉川晃司
cho 氷室京介
cho 大沢誉志幸
b 松井恒松
ds 高橋まこと

# by ichiro_ishikawa | 2017-03-11 22:45 | 音楽 | Comments(0)  

小林秀雄のジャンル


小林秀雄は研究者や高い教養のある読書家、インテリ層にとても評判が悪いやうで、実証的にそのダメさが多く指摘されてもゐる。
エピゴーネンの俺は、なるべく謙虚に無私の精神を持つてそれらを読むやうにしてゐるが、それでもやはり的外れなものが多いと思はれる。
要するに、それらは「研究論文」「評論文」として小林の著作は瑕疵だらけといふ批判なのだ。
しかし小林の文章はロックンロールであり、つまりポップであり、「常識」を基盤とした個人の情熱であつて、「研究論文」や「評論文」ではない。さういふ意味で的外れなわけだ。「近代批評の確立者」といふレッテルが微妙なのだ。正確には「孤高のロック文士」(でもこれだとアカデミックに残らない、正史に記録されないので俗称にとどめん)。

小林の愛読者がまさしく眺めるものは無私なる(ゆゑに極めて個性的な)小林の情熱であり、その情熱に動かされるのであつて、その「客観的な妥当性」にではない。かつ、小林に認める凄さとは、その情熱の方が客観的な妥当性よりも大事だといふ事に気づかせてくれるところだ。研究や評論に価値がないといふ事では勿論ない。それとは別次元の、原始的な、人間にとつて大事なもの、といふジャンルがあるといふ事で、小林秀雄はそこに属する。そのジャンルにはほかに池田晶子がゐる。その二人しかゐない。

# by ichiro_ishikawa | 2017-03-10 12:49 | 文学 | Comments(0)  

1984年の名曲ベスト5

「セーラー服と機関銃」(来生たかお)、「探偵物語」(大瀧詠一)、「メインテーマ」(南佳孝)、「Woman “Wの悲劇”より」(呉田軽穂)と、初期薬師丸ひろ子は名曲オンパレードなのだが、『1984年の歌謡曲』を読み、改めて全曲を繰り返し繰り返し聴き比べるに、「Woman “Wの悲劇”より」が飛び抜けて優れている事に33年目にして気づいた。「ずつと9th」、「時の河転調」。松任谷由実すげえ。
また、薬師丸の歌唱、そして歌詞。サビの転調部は「セックス」だといふ。さういはれるともうさうとしか思へない。哀しい。そして逆説的だが美しい。松本隆と薬師丸すげえ。


1984年の名曲ベスト5

1.
薬師丸ひろ子「Woman "Wの悲劇"より」
1984年10月24日
作詞=松本隆/作曲=呉田軽穂


スージー鈴木の解説
安定的なルート(b♭)の場合と、
呉田軽穂(松任谷由実)による一音浮いている9th(C)の場合の違い
コード:B♭m


2.
大沢誉志幸「そして僕は途方に暮れる」
1984年9月21日
作詞=銀色夏生/作曲=大沢誉志幸
プロデュース=木崎賢治、小林和之


3.
井上陽水 「いっそ セレナーデ」
1984年10月24日
作詞・作曲==井上陽水


4.
吉川晃司「ラ・ヴィアンローズ」
1984年9月10日
作詞=売野雅勇/作曲=大沢誉志幸
プロデュース=木崎賢治、小野山二郎


5.
安全地帯「ワインレッドの心」
1983年11月25日
作詞=井上陽水/作曲=玉置浩二


6.
サザンオールスターズ「ミス・ブランニュー・デイ」
1984年6月25日
作詞・作曲=桑田佳祐


1984年を象徴する、
名曲といふのとは少し違うがよくできていて
愛唱性の高い曲

吉川晃司「モニカ」
1984年2月1日
作詞=三浦徳子/作曲=NOBODY


小泉今日子「渚のはいから人魚」
1984年3月21日
作詞=康珍化/作曲=馬飼野康二


石川優子とチャゲ「ふたりの愛ランド」
1984年4月21日
作詞=チャゲ、松井五郎/作曲=チャゲ


近藤真彦「ケジメなさい」
1984年6月6日
作詞=売野雅勇/作曲=馬飼野康二


氷室バージョン(貴重)


中森明菜「十戒 (1984)」
1984年7月25日
作詞=売野雅勇/作曲=高中正義


舘ひろし「泣かないで」
1984年
作詞=今野雄二/作曲=たちひろし


アン・ルイス「六本木心中」
1984年10月5日
作詞=湯川れい子/作曲=NOBODY


吉幾三「俺ら東京さ行ぐだ」
1984年11月25日
作詞・作曲=吉幾三
プロデュース=千昌夫



# by ichiro_ishikawa | 2017-03-10 09:59 | 音楽 | Comments(0)  

絶望について

数年前からの右肘、肩に続き、いよいよ左肩にも違和感が。この一連の不如意によるダメージとは、背中がかけない事は無論、シャツやコートの袖に腕を通す時など日常の肩が上がる局面局面でいちいち気を使はねばならないといふ事だが、やはりいちばんは、豪速球を投げるといふ行為を諦めざるを得ない事である。

これはプロのピッチャーなら即廃業であるのは勿論、プロアマ問はず、老若問はず、全男性にとつてひどく屈辱的であり、無念であり、人生の楽しみの半分を失つてしまふやうなもので、かういふときに絶望といふ言葉は使はれる。

# by ichiro_ishikawa | 2017-03-09 13:13 | 日々の泡 | Comments(0)  

『1984年の歌謡曲』

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スージー鈴木著『1984年の歌謡曲』(イースト新書) 読了。
タイトルからして「俺こんなの出したっけ?」と思つたほどズつぱまりだが、だからこそか、「俺の時代1984年」を俺以外の人間が何をか語らんと、まゆつばで手に取つた(正確にはamazonレビュー吟味)。

結論から言へば、頗るご機嫌な良書であつた。
序盤こそ、水道橋博士フォロワー的な気の利いたヒューモアに彩られた知的サブカル論かと、予想(先入観)通り閉口しながら読んでゐたのだが、楽器奏者でもある著者ならではの音楽的分析が挟み込まれてきたあたりから興が乗つてきて、読了後の今は、俺の肌感覚を見事に言語化し、かつ及ばなかつたところにも及び、とても完成された、高水準の本であるといふ結論に達し、貴重な980円(デニーズ牡蠣フライ定食分)をはたいて余りある価値があつたと喜んでゐる。

秀逸な部分の抜書きは、本稿を日々推敲しながら更新する形で追記していく事にして、ひとまづ一筆書き的に全体の印象を記すと、とにかく分析が全部当たつてゐて(正解は肌感覚で俺が知つてゐる)、かつ新発見もいくつかある。そしてそれを支へる文章のクオリティも高い。
ポップ論の分野は、現代感覚とセンスが重視されるゆゑ、「センス偏重、文章雑」が許容されるといふ悪慣行が跋扈してゐて、ロウクオリティなものは比喩と形容詞句が微妙に雑であったりと、新刊の大半は愚作なのだが、本書はその点をクリアしてゐるところが大きい。文章クオリティの最重要点とは、意味するものと意味されるものとの間に乖離が微塵もないこと、つまり言葉の斡旋の的確さである。それは分析の妥当性とも実は同じものである。

また、かういふリアルタイム検証本に於いては、読者(俺)と著者の身の置かれた環境の差異が重要だ。
今回、共に1984年を愛する身であるが、違ひは、著者は俺の5歳上。1984年当時中1の俺に対し著者は高3で、音楽を本格的に聴くようなつて間もない少年であつた俺に対し、すでにある程度広く深く音楽を聴き倒していた大人であること。
また、著者は大阪、俺は東京(厳密には千葉)で暮らしてゐて、著者はハードロック系、俺は体育会系だつたといふ点だ。
これらはとても大きな違いであり、読む前のまゆつばはそうした不信感、つまり「関西系のハードロッカーがあの1984年を語れるわけがない」といふものだつた。
しかし前述通りそれは大きな誤解で、みごとに1984年の的を射た分析がなされてゐたのであつた。アースシェイカーをとりあげるあたりに趣味的バイアスが少しく認められるものの、基本的に中立である。洋楽過剰崇拝や裕也<はっぴいえんど思想、逆に開き直りの下世話礼賛といつた偏りがなく、大阪バイアスもほとんどない。ローカル目線は銀座じゅわいおクチュールマキのCMのテロップの違いへの言及など、むしろ良い方向に働いてゐる。そして大阪のハイティーンであつたことが、シティポップをよりうまく対象化する事にも成功したか。

さらには、1984年のヒット曲をミクロに分析し、「名曲度」をつけてゐるのだが、その度数も当たつてゐるし(繰り返すが「俺」が答案用紙)、何よりもニューミュージックと歌謡曲が融合しシティポップが誕生した、といふ一見凡庸な結論も、アレンジャーへの目の付け所の良さや、ミクロな楽曲分析からの裏付け、古今東西の音楽史・芸能史への精通度の深さからなる大局的、体系的な視座をもつてゐて、大変説得力がある。つまり結論とその実証過程そのものが読みごたえがあり、かつエンターテインメントとしてまとめられている。

白眉は前述のアレンジャーと音符分析、特に薬師丸ひろ子楽曲の評価だ。この音符分析はよくもここまで大衆に理解できるやうに言語化したものだと驚く。「woman」と大沢誉志幸「そして僕は途方に暮れる」。この2曲が1984年のトップ2であることに全く異論はない。1984年どころかオールタイムベストでもある。

玉に瑕である点が、好評価を下してゐるビートたけし&たけし軍団「抱いた腰がチャッチャッチャッ」は、実は大沢誉志幸には珍しい凡作であることと(おそらく著者はたけしファン、60年代生まれに信奉者多し)、「チェッカーズがやってくる、チェ!チェ!チェ!」というフレーズは、1回はよいが何回も、しかも本書の骨子を体現するキャッチフレーズにまでするほどうまくはないというところだ。
とはいえ、それらは惜しいという域に過ぎず、全体のクオリティを貶めるには至らない。といふかその瑕疵を補って余りある本文を擁する。
次作「1986年のロック」を希望する。1979、1984、1986との三部作をもって、黄金の昭和後期の大衆音楽の全貌はいよいよ明らかになる。

# by ichiro_ishikawa | 2017-03-09 09:51 | 音楽 | Comments(2)  

ああ無常


全ては過ぎ去って還らないといふ、いはば無常観は、
人間普遍のもので、多くの場合、それを口惜しくも
やんごとなきこととして処理して人は生きてゐるやうだ。肉親の死の直撃などがその最たるものだらう。

しかし、日常において、過ぎ去つて還らないことがかへつて都合が良いといふ場合の方が実は多い、といふ事に気付くのはよいことだ。

たとへば、あなたはあのときかう言ひましたよね、かういふことしましたよね、それは何故ですか? と問はれるとしたらどうだ。閉口するだらう。全く覚えてゐないことの方が圧倒的に多く、また憶えてゐたとしても動機は不明、理由なき言動だつたり、その時の微妙な環境、その場のノリや気分での言動といふものは、かなり多いものだ。ミスだつて多い。
だからその質問がもし詰問といふ形を取るとき、被詰問者はただただうなだれるばかりだらう。えらうすんまへんとしか答へやうがない。

すべては過ぎ去つてくれて一向に構はない。前だけを見て生きて行かむ。すべてこれから作つていかうではないか。

# by ichiro_ishikawa | 2017-03-08 19:28 | 日々の泡 | Comments(0)  

今日の実験報告

通勤時間1時間半といふ「地の利」を生かした、通勤及び帰宅中の「趣味の読書タイム」は至福の時であるが、同時に音楽も聴いてゐる。読書のBGMとしては歌のないズージャーがベストであるのは普通に考へてわかるし、常にさうしてゐる。

しかし、Apple Music内にてめえで作つたプレイリスト(独自の切り口によるオムニバス集)「日本のAOR」(歌モノ)もこの貴重な時間帯に聴きたいといふ欲望が頭をもたげ、
試しにそれを聴きながらの読書に挑戦してみた。

のだが、どうしても文字の中に歌の歌詞が挿入されてしまうため、断念。
音楽とはいへ日本語を聴きながら日本語を読むといふ芸当はやはり無理があつた。

# by ichiro_ishikawa | 2017-03-07 20:12 | 日々の泡 | Comments(0)  

橘川幸夫『ロッキング・オンの時代』(晶文社)

橘川幸夫『ロッキング・オンの時代』(晶文社)読了。

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主人公は渋谷陽一と岩谷宏。
これが面白くないわけはない。

「思想」「批評」「文學」といふものを俺が初めて意識したのは「ロッキング・オン」での渋谷陽一と岩谷宏の文章であり、俺を小林秀雄にたどり着かせたのは、渋谷陽一なのであつた。
だから今でも小林と渋谷は俺の中でほぼ同格なのだ。

少し前に上梓された増井修『ロッキング・オン天国』(イースト・プレス)は、増井が「ロッキング・オン」に入社した80年代から、自身が編集長として同誌史上最高部数を達成した90年代前半あたりを中心に、その内部ストーリが綴られていて、これもすこぶる面白かったが、今回の本は著者の橘川幸夫が創刊同人であることが特異だ。
外部のファンが批評的に書いたものでも、現役がサクセスストーリーを描いたものでもなく、当時の当事者がその誕生、黎明期を綴つてゐるといふ点が、独特でよいのである。著者と素材だけでもう面白い事が確定してゐる。

話は1971年、渋谷陽一との「レボルーション」誌、「ソウルイート」での出会いから始まり、80年に増井修が入社し、著者がロッキング・オンを辞めるところで終わる。

この70年代のロッキング・オンストーリーは、渋谷陽一の著書『音楽が終わった後に』、『ロック微分法』、『ロックは語れない』といつた初期著作においてその端々で語られてゐて、それはそれは刺激的なものなのだが、本書は著者が橘川幸夫といふところが重要である。創刊同人でありながら、渋谷陽一、岩谷宏という二大巨人の間に立ち客観的視点を持つて、内部ストーリーを語つてゐる点が本書の特徴だ。レノンとマッカートニー、氷室と布袋といつた強力な相反する個性を同時に語るには、リンゴ・スターや高橋まこと的立ち位置がベストで、橘川はまさにさうした位置にゐたばかりでなく、ミュージシャンでなく雑誌の編輯者であるから文才があるので、きつちり「読み物」として読める、一層貴重なものとなつた。

ロッキング・オン内外の出入りの人々のエピソードはどれも面白いが、なんと言つても渋谷陽一、岩谷宏である。
読みどころ満載な中、特に良かったところは、渋谷の経営手腕、特に他者との交渉力、営業力の描写である。
渋谷は昔自著で「人間関係で悩む人がわからない。人間関係なんて左から来た書類にハンコを押して右に流すだけじゃないか」という趣旨のことを書いていて、その初読時10代後半だつた俺は、これは「ロック」だと感じた。
情緒、人情、侘び寂び、文學を軽視しているのではない。むしろ文學をしやぶり尽くした人間だけが言へる境地(辿り着いたといふか渋谷の場合は天性のもの?)なのである。それは、渋谷のそれまでの文章と呼応してゐてブレるところがなく、はつきりと言へることだ。

本著では、「ビジネスの渋谷、思想の岩谷、文学の橘川」という記述があるが、誰よりも思想的で文學的でロックなのは渋谷陽一である。
中でも強くロックを感じた箇所を抜き出して稿を終へる。

・編集同人紹介記事における人物描写のユーモアのセンス。(渋谷のユーモア力は中村とうようなど、論争時に爆発する)

・何が楽しくてロッキング・オンをやつてゐるのかと橘川が渋谷に聞くと、値上げした広告料金を出すのを渋るクライアントを押し切つて出させることに至上の喜びを感じるな、イヒヒヒと言つたといふこと。

・事業規模拡大のため、創刊時から世話になつてゐた小印刷会社(橘川の父の会社)に別の大印刷会社を紹介してもらつた際、実はその大会社から小印刷会社にマージンが渡つてゐたことに激怒したこと。

・情熱と使命感を持つてスタートした「ロッキング・オン」を、その創刊時から完全にビジネスに仕立て、それで食つていくと徹底的に考へてゐたこと。

・岩谷と橘川がやめる時、10年無償で関わつてくれたのだから退職金を500万円払ふと言ひ、ただ、今は元手がないので、必ず「ロッキング・オン」を軌道に乗せるから50万ずつの分割にさせてくれとして実際払ひ切つたこと。

・そして、岩谷がそれをもらふのを固辞したこと。

である。
理由は書かれてゐない。余白が効いてゐる。
ここに岩谷宏といふ男が見える。


# by ichiro_ishikawa | 2017-03-02 22:00 | 音楽 | Comments(0)