偉大なるロックバンドの系譜


60年代 ビートルズ


70年代 はっぴいえんど


80年代 BOØWY


90年代 バンバンバザール


そして、
10年代 ゲスの極み乙女。


ビートルズから始まる偉大なるロックバンドの系譜にゲスの極み乙女。が加わつた。





# by ichiro_ishikawa | 2017-12-17 19:43 | 音楽 | Comments(0)  

歌手、稲垣潤一


声と歌唱が素晴らしく、名曲を多くリリースしてもゐる稲垣潤一は、ドラムを叩きながらの実演の印象もあいまつて、イメージ的にニューミュージック、シンガーソングライターと思はれがちだが、実は歌手だ。曲も詞も書いてない。といふことに気づくのはよいことだ。

「ドラマティック・レイン」

(1982年10月21日) 

作詞:秋元康/作曲:筒美京平 




「夏のクラクション」

(1983年7月21日) 

作詞:売野雅勇/作曲:筒美京平 



「オーシャン・ブルー」

(1984年4月28日)  

作詞・作曲:松任谷由実 



「バチェラーガール」

(1985年7月1日) 

作詞:松本隆/作曲:大瀧詠一 




「思い出のビーチクラブ」

(1987年4月22日)

 作詞:売野雅勇/作曲:林哲司



 

「クリスマスキャロルの頃には」

(1992年10月28日)

作詞:秋元康/作曲:三井誠   





# by ichiro_ishikawa | 2017-12-11 19:53 | 音楽 | Comments(0)  

BOØWYととんねるず


BOØWYととんねるずといふのが俺の原点のひとつなわけだが、彼らは1986年12月3日の「夜のヒットスタジオdeluxe」にて、ただ一度だけ交わつた。その回において、中山美穂が歌つてゐるときに、ひな壇のとんねるずと氷室と布袋の4ショットが一瞬抜かれてゐたので、キャプチャーした。

c0005419_11554366.jpg
手前は美穂の踊り子。ひな壇にBOØWYが居るといふだけで貴重。

# by ichiro_ishikawa | 2017-12-11 11:46 | 音楽 | Comments(0)  

九州北部と京都と俺


ここ1ヶ月で、佐賀、京都、長崎、京都2、福岡を商用で回つた。それぞれ周辺も巡り、細かい土地土地の歴史や文化などを垣間見ることにもなつたが、その巡業で発見したことは、

・どこも同じ
・外国でさへも

といふことだ。
細かく見れば全部違ふし、その細かいところでの差異や独自性といふのはあるけれど、人間が生まれて生きて死ぬといふ見地から大局的に本質的に見れば、どこも同じだ。
つまり、生き死にや暮らしぶりは血も含めた環境に強く左右されるし、どこでどう生まれて生きて死ぬか、その内容はすべて個別だけれど、その形式自体は同じだ。
内容がすべて個別といふことは形式が同じだといふ認識が強まるほど際立つ。



# by ichiro_ishikawa | 2017-12-11 11:33 | 日々の泡 | Comments(0)  

大丈夫ではない


たとへばつまづいたり転んだり、何らかの罹災があつときに、傍らにゐた人から咄嗟に「大丈夫?」と聞かれる場面が日々においてはままあらう。
もちろんその何らかの災難の度合いによるが、大抵の場合、「大丈夫」と答える。答えざるを得ない。

でも本当は、大丈夫ぢやない。
正確に言へば、大丈夫ぢやないといふほど大げさでもないが、決して大丈夫ではない、つまり「うーん…さうさなあ…まあ…いい気分ではないのは確かだ…つうかほつといてくれ、いやごめん、好意で言つてくれてるのはわかるが……こんなときに質問形式はやめれ」だ。
しかし、そんな悠長なことを言つてゐると、会話のリズムを損なうから、とりあへず「大丈夫」と言つて済ます。

但しその大丈夫は、繰り返すが、
「うーん…さうさなあ…まあ…いい気分ではないのは確かだ…つうかほつといてくれ、いやごめん、好意で言つてくれてるのはわかるが……こんなときに質問形式はやめれ」
であることを踏まへて置くことはよいことだ。
ぢやあどう言へばよいか。難しいが、とりあへずベストは、「なるほど」だらう。

だいぢやうぶかと訊くひとがゐる大丈夫であるはずがないと言つてみようか  永田和宏

# by ichiro_ishikawa | 2017-12-06 20:37 | 日々の泡 | Comments(0)  

ゲスはモノホンか



「ゲスモノホン説」をことあるごとに吹聴して回つてゐるが、周囲(中年~初老)のリアクションは冷ややかだ。

そんなこともあり、かういふ俺当人もてめえを徹底的に疑ひ、果たして本当にモノホンかを確かめるべく、ずーっとゲスばかりを聴き倒して、飽きるのを待つてゐる。
どんな名曲、名盤でも、聴きすぎると飽きる。ヘビロテといふ風雪に耐え、下取りに出されず、我が書斎の「永久保存棚」格納へと昇格したものだけが、「モノホン」の称号を俺から賦与される。果たしてゲスがモノホンであることは説から事実へとなつていくのか。ほぼ結論は出かかつてゐるが、あまりに周囲が冷やかなので、念のため、周囲への敬意も含め、判断を保留してゐる次第である。

おそらくゲスの再生回数はここ数か月で1万は行つてゐる。日々の通勤時、出張時の新幹線内、帰宅後のリピートと、音楽を聴ける状況下(ほぼイヤホン)においては9割、ゲスを聴いてゐる。

結果、まだ飽きない。どころか日々新たな発見がある。最近は歌詞の言葉の斡旋の絶妙さ、思想、リズムの乗せ方、そしてギターのフレイジング、ミュートカッティングなどなど。
アップルミュージックですでに全曲聴いてゐるが、CDも購入してしまひさうな勢いである。もつと良い音で大音量で聴いてみたい。

結果は年末に出るだらう。



# by ichiro_ishikawa | 2017-12-04 14:58 | 音楽 | Comments(0)  

ヴァン・モリスンがまた新作


少年〜青年時代はロックミュージシャンが趣味的にジャズつぽいアルバムを挟んできたりすると「何だよダセエな」と決まつて閉口、スルーしてきたものだが、もはやズージャがデフォルトとなつた中年の今はさういふことがあると「お、こつちに来てくれたか」と、てめえがそもズージャ人であるかのやうな態で、歓迎するといふ始末。
逆にこれまでよくズージャミュージシャンをフル起用しズージャテイストの強いポップ作をリリースしてきたスティングなどが「ロック回帰」アルバムを放つてきたりすると、「なんだロックかよ」とこれまたズージャ畑ヅラしながら失望する昨今だ。

そんな中、多作ヴァン・モリスンがズージャスタンダードをカバーしまくつた最新作『Versatile』を前作から僅か3ヶ月といふスパンでリリースしてきた。
コステロと並び白人ソウルシンガーの最高峰に位置するモリスンだが、この手のミュージシャンはそもズージャといふかルーツ志向の強いミュージシャンであるし、度々さうしたアプローチは見せてきたわけで、かうしたアルバム自体に別段驚きはないが、だからこそ今回は「いよいよド・ズージャか⁈」と期待してApple Musicにて聴いてみた次第だ。

しかし蓋を開けてみると、数曲、もしくは一曲の中でのズージャアプローチがあるものの、ラウンジどまり、全体としてはソウルである。ソウルであるといふことはポップであるので、つまりズージャの対極である。
いまの俺は一音もポップでない、かつ前衛的でないズージャが聴きたい艶やかな心地なので、いまいまはマッチしなかったが、とはいへオトナチックな落ち着いたジャズテイスト溢れるソウルアルバムとして最高クオリティの一作だ。とにかくものすげえボーカルである。サウンドも言はずもがな。
c0005419_10220020.jpg





# by ichiro_ishikawa | 2017-12-04 09:49 | 音楽 | Comments(0)  

ロックと俺


それが何であれ、何かにガツンとやられた経験といふのが大事なのだらうと思ふ。といふか、それがその後の一生を支配するといふのは事実だらう。

俺はティーンエイジャーの頃にロックにやられた。
爾後、生きるイコールロックであると言へる。

すつかりズージャしか聴かない人間になつたけれど、ズージャばかり聴いてゐること自体も、ロックなのである。
甥っ子の成長に目を細めてゐても、定年の日を指折り数へ年金の計算をしてゐても、実はこれがロックなのであつた、俺の場合は。

その対象、行為はもはや問題ではない。
如何に生きるか、それがロックに生きる、だからだ。
身体を切れば血が吹き出る代はりにロックが流れ出るまでに、骨の髄までロックなのであつた。エピタフも無論、ロック、である。いたづらで遺族がフォークと書いても、風雨がロックと書き直してしまふこと必至だ。
ロックに生きるとは、無私、中庸といふことだ。


# by ichiro_ishikawa | 2017-11-21 15:40 | 音楽 | Comments(0)  

ディランbootlegシリーズ最新作3万円にいかに処すべきか


c0005419_11344656.jpg

ディランbootlegシリーズ最新作第13集
『トラブル・ノー・モア』は、
あのゴスペルイヤーズ1979〜81。
http://www.110107.com/s/oto/page/dylan_bootleg13?ima=5818

この時期のツアーメンバーは、

ジム・ケルトナー(dr)、ティム・ドラモンド(b)、フレッド・タケット(g)、スプーナー・オールダム(key)、テリー・ヤング(key)らで、さらに全曲未発表といふことでこれは買ひ。

なのだが、どうせ買ふのは50以上のバブルオヤジだけだらうとの魂胆から定価30,000円。

ディランは普遍だから40代も10代にも買ひたいやつがゐて、そんな時こそのApple Musicなわけだが、なんと15曲のサンプラーなるものしかアップされてをらず。不服。


いづれにせよ、30代後半のディランはなぜ洗礼を受け、ゴスペル三部作に至つたのか、に想いを馳せることは大事だ。奇しくも長渕がキャプテンオブザシップの頃が30代後半。

不惑を前にした男は信仰に走る。

それは、おそらくは、始まつたものは終はる、生まれたら死ぬ、この世の無常といふものを突き付けられるのがこの時期だからだ。


「ミュージシャンの30代後半」といふ検証は価値があらう。次稿にてまとめん


c0005419_11405568.jpg



# by ichiro_ishikawa | 2017-11-17 11:16 | 音楽 | Comments(0)  

あゝ人間…


某WINSにて、エリザベス女王杯終了直後、 
「な⁈ ヴィブロスなんて来ねえだろ!」
と、鬼の形相で、絶叫しながら走つてゐる輩を見た。

これはどういふ状況か。
考へられるのは以下の3点。

1)一番人気のヴィブロスを切つた自分を褒め称えてゐる
2)ヴィブロスを買つた知人を罵倒してゐる
3)ヴィブロスを買つた見知らぬ大勢の人間を罵倒してゐる

1だとすると、冒頭の叫びの時、笑つているか誇つてゐるか、
いづれにしろ歓喜の表情になるはずである。
しかしこの輩は笑つてゐるどころか、怒つてをり、
そして、泣いてゐた。
嬉し泣きではない。悲痛な、明らかな悔し泣きであつた。

では2か。見渡したところその場に知人らしき人はゐない。一人で絶叫してゐた。

では3か。そんな叫んでまで、泣いてまで、見知らぬ他人を罵倒することにどんな意味があるのか。
そも自分は一番人気を信じず、見事に切つたのだから、それでいいではないか。


答へはかうであらう。
自分は一番人気のヴィブロスを見事切つた。
しかし買つた馬も来なかつた。つまり負けた。
ヴィブロスを切れてゐただけに悔しさは倍増である。
つまりヴィブロスを切つた英断の誇りと、
馬券を外した無念が錯綜し、
取り乱した。

現地やWINSには取り乱した輩がうじやうじやゐる。
人間とはこんなにも哀れで見苦しいものか。
あゝ人間…。


# by ichiro_ishikawa | 2017-11-13 20:08 | 日々の泡 | Comments(0)