カテゴリ:日々の泡( 189 )

 

九州北部と京都と俺


ここ1ヶ月で、佐賀、京都、長崎、京都2、福岡を商用で回つた。それぞれ周辺も巡り、細かい土地土地の歴史や文化などを垣間見ることにもなつたが、その巡業で発見したことは、

・どこも同じ
・外国でさへも

といふことだ。
細かく見れば全部違ふし、その細かいところでの差異や独自性といふのはあるけれど、人間が生まれて生きて死ぬといふ見地から大局的に本質的に見れば、どこも同じだ。
つまり、生き死にや暮らしぶりは血も含めた環境に強く左右されるし、どこでどう生まれて生きて死ぬか、その内容はすべて個別だけれど、その形式自体は同じだ。
内容がすべて個別といふことは形式が同じだといふ認識が強まるほど際立つ。



by ichiro_ishikawa | 2017-12-11 11:33 | 日々の泡 | Comments(0)  

大丈夫ではない


たとへばつまづいたり転んだり、何らかの罹災があつときに、傍らにゐた人から咄嗟に「大丈夫?」と聞かれる場面が日々においてはままあらう。
もちろんその何らかの災難の度合いによるが、大抵の場合、「大丈夫」と答える。答えざるを得ない。

でも本当は、大丈夫ぢやない。
正確に言へば、大丈夫ぢやないといふほど大げさでもないが、決して大丈夫ではない、つまり「うーん…さうさなあ…まあ…いい気分ではないのは確かだ…つうかほつといてくれ、いやごめん、好意で言つてくれてるのはわかるが……こんなときに質問形式はやめれ」だ。
しかし、そんな悠長なことを言つてゐると、会話のリズムを損なうから、とりあへず「大丈夫」と言つて済ます。

但しその大丈夫は、繰り返すが、
「うーん…さうさなあ…まあ…いい気分ではないのは確かだ…つうかほつといてくれ、いやごめん、好意で言つてくれてるのはわかるが……こんなときに質問形式はやめれ」
であることを踏まへて置くことはよいことだ。
ぢやあどう言へばよいか。難しいが、とりあへずベストは、「なるほど」だらう。

だいぢやうぶかと訊くひとがゐる大丈夫であるはずがないと言つてみようか  永田和宏

by ichiro_ishikawa | 2017-12-06 20:37 | 日々の泡 | Comments(0)  

あゝ人間…


某WINSにて、エリザベス女王杯終了直後、 
「な⁈ ヴィブロスなんて来ねえだろ!」
と、鬼の形相で、絶叫しながら走つてゐる輩を見た。

これはどういふ状況か。
考へられるのは以下の3点。

1)一番人気のヴィブロスを切つた自分を褒め称えてゐる
2)ヴィブロスを買つた知人を罵倒してゐる
3)ヴィブロスを買つた見知らぬ大勢の人間を罵倒してゐる

1だとすると、冒頭の叫びの時、笑つているか誇つてゐるか、
いづれにしろ歓喜の表情になるはずである。
しかしこの輩は笑つてゐるどころか、怒つてをり、
そして、泣いてゐた。
嬉し泣きではない。悲痛な、明らかな悔し泣きであつた。

では2か。見渡したところその場に知人らしき人はゐない。一人で絶叫してゐた。

では3か。そんな叫んでまで、泣いてまで、見知らぬ他人を罵倒することにどんな意味があるのか。
そも自分は一番人気を信じず、見事に切つたのだから、それでいいではないか。


答へはかうであらう。
自分は一番人気のヴィブロスを見事切つた。
しかし買つた馬も来なかつた。つまり負けた。
ヴィブロスを切れてゐただけに悔しさは倍増である。
つまりヴィブロスを切つた英断の誇りと、
馬券を外した無念が錯綜し、
取り乱した。

現地やWINSには取り乱した輩がうじやうじやゐる。
人間とはこんなにも哀れで見苦しいものか。
あゝ人間…。


by ichiro_ishikawa | 2017-11-13 20:08 | 日々の泡 | Comments(0)  

iPhoneのなき二日間

土曜朝、商用のためのぞみで京都へ行くも、座席ポケットにiPhoneを置き忘れて降車。
降りた瞬間気づいたため、窓から身を乗り出してホーム確認をしてゐた車掌に、「忘れ物した、取りに行かせてくれ」と頼んだが、「否、駅員に言へ」と一蹴されたため、すぐに駅案内所へ。
「当該車両は博多行きのため、おそらく博多で預かることになる、4時間後に博多駅に電話したまへ」とのこと。

京都での所用中、知り合いにケータイを借りて博多駅に電話したところ、「確かに預かつてゐる、取りに来るか着払ひで送るか選べ」と言ふので、笑止。お前が来い、と思ひつつ着払ひを指示。ただし東京へは二日かかる、月曜着だと言ふ。

といふ訳で、土曜、日曜をiPhone無しで過ごすことになつた。

まづ京都から東京への帰路、殆どの「モノ」がiPhoneに搭載されてゐるため、車中でやらうとしてゐたことが何もできないことに気づく。

・スケジュール確認
・ゲラ読み
・PDF化しておいた資料読み
・メール
・ネット検索、webサイト閲覧、SNS
・Apple Musicでの音楽視聴
・電子書籍読み
・youtube視聴
・mapでの富士山通過確認
・Google earthでの世界の街並み見学

で何をしていたかと言ふと、紙の本の読書。
やはり最終的に信頼できるのは紙の本だつた。
2時間半の間に、単行本1冊、文庫3冊、短歌結社誌1冊を、熟読、読破。
もしiPhoneがあつたなら、これらはおそらく1ページも読まれることはなかつたことを考へると、いかに普段、iPhoneに貴重な読書時間を奪はれてゐるかが露呈した形だ。
ゴトシや連絡は滞るが、大したことはない。平日の昼間にグワッとやればよい。読書の方が大事である。
このひたすら読書のお陰で、億単位の企画が2本浮かび、ひとつのある重要な思想が芽生えた。

置き忘れて大正解であつた。いやむしろあへて置いて行つたといふ方が真実に近い。さらにはいつそ金輪際iPhoneは捨ててしまはうとさへ思つたのだつた。






by ichiro_ishikawa | 2017-11-13 13:00 | 日々の泡 | Comments(0)  

放送の言葉と俺


いつもYouTubeを見ながら、司会者、コメンテーター、ひな壇などなど演者に対して感心やらダメ出しやらの場外批評をやつてゐる俺が、先日、テレビの取材を受けたのだが、極端にテレビ向きでない、といふかテレビに出れる実力に甚だ乏しいことが実証された。

まづ、表情身振りが乏しい。
カメラを意識しすぎ。
まあ、このあたりは素人にありがちでご愛嬌だらう。
重要な欠陥は、
「言葉がわかりにくい」ことであつた。

紙メデイアではあるが、普段は送り手の立場であるので、上記のことは常識的に理解はしてゐたし、逆にそのやうに執筆者には指示したりもしてゐる。
しかしながら、紙媒体と映像媒体の違ひはものすごく大きく、また指示と実際やるのとではこれまた大違ひ。特にその言葉である。

話し言葉といふものは書き言葉とは根本が異なることは重々承知で、現場では、話し言葉に開くだけでなく、かつすごく噛み砕いて、ひらがなで喋つたつもりが、それでも「文学的すぎる」と言はれる始末。
簡潔に述べることの難しさを痛感した。

テレビの取材者は、実はこちらが話す内容はすでに把握ずみ。つまり撮影取材では、その内容を聞きたいのではなく、「それを自らの言葉で語つてゐる画」が欲しいのである。そのときにキャッチーな言葉なら万々歳、最低限「オリジナルかつ誰にでも伝わる文言」がほしいわけである。それは必ずしもレベルを下げることではない。逆に言葉のレベルを上げることである。
放送の言葉といふのは実に奥深い。よくある「街の声」でさえ、使はれてゐるのは、さうした選ばれた言葉なのである。

なお俺の言葉はそれらを満たしてゐないゆゑ多分カット、放送には乗らないだらう。無念。
今後YouTubeを観る視点がまた変はつてくる。








by ichiro_ishikawa | 2017-10-23 17:10 | 日々の泡 | Comments(0)  

ホテルにて


94歳のある男性とホテルロビーで待ち合はせてゐたが、約束時刻を過ぎても一向に現れず。日にち、時間、場所すべて事前に入念に電話で確認しての待ち合はせだつたが、相手の年齢を加味すると、向こうの勘違ひ、言ひ間違ひといふことも考へられなくはない。
出方が分からないのでかけても意味がないといふふれ込みの携帯電話にダメ元でかけるも、やはり出ない。

1時間ほど経つたところで、いい加減帰らうとしたとき、なんとその男性と顔がほぼ同じの60歳ぐらいの男性が現れた。
顔が全く同じであることに驚きつつも、別人であることも同時に明らかで、すげえ似てても別人ぢやあ全く意味ねえ、と思ひ、ホテルを後にした。



by ichiro_ishikawa | 2017-10-13 16:50 | 日々の泡 | Comments(0)  

本日の心の微動

本日、1分間に二度も人に追いかけられる事態が発生。

一度目はファミレスを出た直後。小走りで近寄つてきた男に呼び止められ、「こちらのペンはお客様のでは?」。どうもと礼を言つて受け取つた。

さらに10mほど歩んだところ、「とんぼ」の最終話よろしく背後からドタドタと人が駆け寄つてくる気配を察知。受け身をとりつつ振り返ると先ほどの男が
「こちらのタバコもお客様のでは?」。どうもと再び礼を言つて別れき。


by ichiro_ishikawa | 2017-10-05 15:03 | 日々の泡 | Comments(0)  

人間観察報告 in ファミレス


ファミレスで人間観察中だが、子供は常に走つてゐる。そして転ぶ。で場合によつては泣く。
周囲の大人たちはそれら一連の行為を何事も無いやうにやり過ごす。こらこら走つてはダメですぞ、と注意する老人が稀にゐるぐらいだ。それも含めて、微笑ましい光景ではある。

そんなとき、これがもし大の大人の男だつたらどうなるか、とよく考へる。俺だつたら?

まづ、店内を走つてゐること自体が、非常事態の様相を呈してくるだらう。どうしたどうした?何があつた?とざわつくこと必至だ。
さらに転んだりしたらおおごとであらう。身体が大きいため周囲を巻き込む可能性が高い。二次災害が発生する。当人を含め負傷者が出て、救急車を呼べとなることもあらう。
さらに泣き出したら? 
かうなると少し状況は変はる。ああ春先にどこからともなく登場するアレか?といふ想像が浮上するからだ。ほのぼのしさへするやもしれぬ。これまでの一連が全て腑に落ちてくるわけだ。人はさういふ人に寛容なのだ。受け入れる土壌がある。

たまに、一念発起して、試しにちよつとやつてみたい衝動に駆られる。さういふフリをして生きてみたら、人生はどう変はるだらうかと思ふのである。いつかやらむ。


by ichiro_ishikawa | 2017-09-26 14:18 | 日々の泡 | Comments(0)  

注文の俺


ふだんは殆ど腹を立てない穏当なタチの俺ではあるが、唯一、無性に腹立たしくなるのが、注文時の店員の「はい?」といふ聞き返しだ。

俺の滑舌が悪くかつその音量がイラつくほど小さかつたりくぐもつてゐたとしても、注文を取る店員といふのは常に注意深く聞き耳を立ててゐなければならない。さうすれば、「メニューは全て把握してゐる」、「客は品を注文しようとしてゐる」のだから、大抵は把握できるはずだ。仮にたとへばハムトーストと聞こえたがハニートーストの可能性も払拭しきれない、といふやうな場合でも、注文を繰り返すフリをして確証を固めればよい。

だのに、中には「はい⁉︎」と、「何言つちやつてんのアンタ?」のやうな叱責気味の聞き返しをしてくる輩もゐて、さうするつてえともう一触即発、売り言葉に買い言葉で、結局表へ出ろ的な問答へと発展してしまふ。できればさうした不毛な事態は避けたいのである。

だから注文を取る店員は、細心の注意を払ひ精神統一をした上で注文を聞き、それでも万が一聞き取れなかつた時は、「えろうすんまへん、小生いま少しボーッとしてをり迂闊にも聞き逃してしまひまして、大変おそれいりますが、今一度ご注文をお願ひできますか?」と、優しく穏やかに問い返すべし。
さうすれば、かうした看過すべからざる致命的な凡ミスに対しても寛容に、最初と同じ滑舌、音量、くぐもり加減でもう一度囁き直す用意はある。


by ichiro_ishikawa | 2017-09-26 13:43 | 日々の泡 | Comments(0)  

子音と俺


デビッド・ボウイーとかモリシーとかの歌やインタビューを聴いてると、TとS、K、そしてPとB音がすげえ強いことに改めて驚く。ツァッ! サッ! クッ! ペッ! バッ! と、摩擦、破裂のオンパレードで、英語といふのはつくづく子音のアタックが強い荒々しい言語だなと思はされ、リズム、ビートのみならず音声的にもロックンロールにピッタリなのであつた。

「日本語によるロック」を追求してゐたはっぴぃえんどの壁となつたのは、日本語の子音のアタックの弱さではなかつたか。いくら言葉をビートに乗せてもこの音声の違ひばかりはどうしやうもない。
氷室はボウイ時代、日本語本来の特性は捨て去り、英語の子音のアタック感を日本語に当てはめて発語するといふ荒技に踏み切つた。その良し悪しはともかく、さうした面からの評価を氷室にしてみるのは無意味なことではあるまい。

黒人の英語もまた白人とは異なり、子音の違ひが大きい。これは日本語が柔らかい感じであるのと同じ理由で、白人と黒人、日本人との口の構造の違ひからくるものである。
白人は口が引つ込んでゐて、下アゴがやや出ぎみであり、舌と歯の距離が短いため、破裂や摩擦が起こりやすいのである(音声学的には破擦音などもあり、実際は実に細かく分類される。Pも語頭、語中、語尾のどこに配置されるかでそれぞれで異なる、といふのもあり)。
といふのが俺の見解で、だから日本人でもアゴをしゃくらせると白人の構造に近くなり英語が発音しやすくなるわけだ。
以上。


俺の好きな表
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Pは「無声両唇破裂音」といふ



by ichiro_ishikawa | 2017-09-20 22:58 | 日々の泡 | Comments(0)