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リリー・フランキー『東京タワー』刊行記念サイン会

 去る7月2日、土曜日、東京・六本木青山ブックセンター内、奥のレジ近く、特集コーナーの辺りで、リリー・フランキー『東京タワー』刊行記念サイン会が執り行われた。
 周りには扶桑社、abcのスタッフと思しき面々が5〜6人いる。第三者がそんなにズラッといるとトークの邪魔だよ、ピリピリするじゃんよと不満を感じていたら、ちょっと離れたところにはBJの姿が見える。スタッフなのに、離れたところで客然として居るところが、なんとも分かっているBJ。
 あたしらはそこから入り口に向かって縦1列に整理番号順に並ばされる。10番ひと組で順に呼ばれ、列を作る。開始から30分ちょっと遅れて着いたときは、まだ30番だった。私の整理番号は79番。この日は100番ちょっといたらしい。
 リリーはロフト・プラスワンでのトークショーの時もそうだったけれど、ファン1人1人と長々と話をすることで有名。1人1人、リリーの前に着席すると、リリーはその1人1人に軽いいじりを交えながら、めいめいが持ち寄った『東京タワー』にゴールドのペンでサインをしていく。オトンのペンになる中表紙の文字と同じ色で、大胆に、めいめいの名前と日付を書き添え、サインをしていく。
 リリーのいじりに対して、俺は果たしてどうきり返していくのか。それが今回のテーマだった。
 
 俺を見るなり、リリーは言った。
 「酒作ってそうだよね」
 「(あ…、さ…さけ…)」
 そんなことを言われたのは初めてで、いや、月並みなことは言われないことは分かっていたのだが、言葉が何も出ず芸もなくただ逡巡していたところに、
 「シェイカー振ってそうだもんね」
 と重ねられる。セコンドが投げた白いタオルを視認した。ゴングが鳴って2発でTKO負け。秒殺だ。
 勝負は終わったとはいえ、放送時間はまだまだ残っていたので、世間話的に、サシでの対面は実は3度目だと伝えると、リリーは昔、ともに竹中直人のライヴを見たことを憶えてくれていた。
「リキッドルームだよね」
「そうです」
ドクトクくんの頃だよね」
「そうです」
「あれ、何年前かな」
「ちょうど10年ですね」
「うちにも来ましたよね」
「お母さまに麦茶もらいました」
 オカンが出たところで、『東京タワー』の本質である“悲劇の誕生”と、それがオカンを永遠に生かしたことを絶賛したかったのだが、そんな真面目な話をする雰囲気ではなかったので言葉を飲み込んで繰り出す時機を待つ。
 暇もなく、サインも終わり、リリーはインクが対向ページに染みないよう丁寧に半紙を挟み、私たちは別れた。
 「好きです」のひと言も言えないシャイネス・オーバードライブな俺、34歳の初夏。

by ichiro_ishikawa | 2005-07-07 12:18 | 日々の泡 | Comments(0)  

まさにリリー・フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド

 『POPEYE』最新号で、吉田豪がリリー・フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドに濃いインタビューをしていて、デビュー時のマニック・ストリート・プリーチャーズが「最高のデビューアルバムを1枚出して、すぐ解散する」とか「ストーンズくだらねえ」的なコメントを残したのに対して、「やっぱり若いうちにこういうことを言っとくべきだね」「年とってから言うとただのひがみになるからね」というような発言をリリーがしていて、老いて尚わかってるその精神に改めて敬服した。吉田豪もすげえわかってるが、いかんせん、わかってるぞ然としすぎ、わかってるぞ臭を出し過ぎなのが気になるところ。
 扶桑社から6月29日に『東京タワー』の単行本が出るらしく、いよいよリリーは芥川賞作家になる。7月2日の復活した六本木のabcでの発売記念サイン会には行かざるを得ないだろう。『おでんくん』もアニメ化される。マンガ・アニメ・グッズ蔑視傾向にある自分でさえ、このグッズばかりは超ほしい。おにぎしを食びるおでんくんの人形、すげえほしい。リリーのここ一連のド・メジャーな展開は喜ばしい限りだ。あのスタンスでメジャーに君臨するというのは、すごい。
 また、資生堂で福田和也とトークショーをするらしい。テーマがいい。「テーマ、ディテール、テイスト……文章の感動って何だろう?」。これは行かざるを得ない。
 また、8月には小樽でのオールナイト・ロックンロール・パーティ「ライジング・サン」にてコメディ・テント「ブラックホール」なるステージに出るらしい。これもいよいよ北海道発上陸を果たさざるを得ない。
 また、オフィシャルサイト内人気企画「今日のつぶやき」が単行本化されるらしい。
これは立ち読みせざるを得ない。

以上のニュースソース
ロックンロール・ニュース




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←いとこん君(かっけえ)
C リリー・フランキー

by ichiro_ishikawa | 2005-06-24 18:52 | 日々の泡 | Comments(2)  

能書き

 生あるものが決して一つ所に留まってはいないということは、たまらなく切ないことだ。一方、留まっていないからこそ好都合だということも多々あるわけで、結局は生まれては消え、目の前に表れては去り、つまりいつか誰かが言っていたように諸行無常の一言ですんでしまう真実ではある。だが、一言で済んでしまうからといって、その真実が人間の生の中でもうっかり一言で済まされるとはおかしなことだ。みんな、その諸行無常というやっかいな真実に翻弄されながら訳の分からないまま流されて死んでいく。そんな複雑なある人間の一生が一言に凝縮されてしまうなんて。
 はたして人が文を書くという行為は、何かを他者に伝えたいときであろう。他者に何かを伝える手段は多々あり、表現手法として人はその人にあった何かをその都度選んでいく。そのとき文を選ぶというのはどんな事情によるか。眼前で蠢く正体不明の何かを理性で捉えたいとという願望であろうか。言葉というものは極めて理性的なもので、その連なりであるところの文章というものも伝達のもっとも純粋で合理的で理性的な手段である。
 子細らしい顔をしてもっともらしいことを言ってみたが、実は結局、そんなことではないのだ。人が文章に向かう時、いや、俺が文章に向かう時と直そうか、それはいつの場合も、すでに動機は明確だった。悲しみを癒すためである。悲しみの種類はその時その時さまざまだけれど、何かを書くことは常に悲しみを纏っている状態だ。様々なる悲しみの正体は無常である。
 読者は、いや俺が読者に回る時は、悲しみを作家はどう癒すのだろう、つまり俺はどう癒せばいいのだろう、そんな理由による。言葉に限らず、音楽や映画といった現代のポップ・カルチャーの表現方法のすべての制作動機をそこに見つけることができるし、享受する側に回った時もその享受せんとするものもいつも同じものである。


by ichiro_ishikawa | 2004-01-06 00:31 | 日々の泡 | Comments(0)