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氷室京介のPodcastがすげえ

 すげえことが起こっている。
 Podcastという新しいメディアに氷室は食いついた。
 事務所や企業からのオファーがあったわけでもなく、自発的に、氷室が、LAの自宅兼スタジオから肉声を発している。
 氷室の声が聞けるというだけで、それがただ電話帳を読み上げていくだけだとしても、それは大変貴重なものなのだが、ここでは、氷室の考えている事が聴けるという事が、殊更、重要である。氷室は『Memories of Blue』(1993)以降、詩を書く事をやめているので、メディアへの露出の極端な少なさとも相まって、氷室の「内面」は、意外と謎が多かったから、これは、本当に大変な事件なのだ。
「スポンサーがいないというメディア、つまり拘束される規制がなく、物事の本質をオブラートに包む事なく、核に向って発せられる」場所から、氷室は肉声を発する。
 「奇麗事じゃなく、利害関係無しに、台本も無しにバンバン行く」。

 パイロット版の今回、氷室が語っていることは、なんと、イジメで自殺問題。
 手前味噌で恐縮だが、奇しくも、骨子は、本ブログで俺が書いた事と同じであった。
 やはり、氷室はこの問題に敏感に反応したし、報道の仕方・考え方に疑問を抱いていた。
 氷室はいじめられている連中に言う。
「耐えてください、としか言えない」
 そして、いじめている連中には…
「お前らこそ死ねよ。ほんとふざけんなよ。やるならタイマンでやれよ。徒党を組んでいじめるなよ弱いものを」と、あのすげえ声で、ブっとばす。
 オブラートに包まずに物事の本質をズバっと射抜いたセリフに、シビれた。
 ものすごい迫力である。ちびった。
 はっきり言ってこのPodcastはものすごい。必聴。
 やっぱり、氷室は、すげえ。

iTunes Store内「Kyosuke Himuro Podcast」(free)
himuro.com
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by ichiro_ishikawa | 2006-12-22 00:00 | 日々の泡 | Comments(0)  

すげえお笑い、ベスト5

 こう見えても(どう見えてる?)俺はお笑いが大好きで、お笑いは、音楽、文学、映画に並ぶ4大趣味であると同時に、“笑わせる”ことで食っている「芸人」は、“ボールを思いっきり投げる”ことで食っている「左腕」、“歌う”ことで食っている「歌手」と並ぶ、憧れの3大職業の1つなわけだ。
 常に、どいつが一番おもしろいか、に目を光らせているし、テレビや映画、本などでの秀逸なギャグは無論、日常生活における誰かのギャグ、みたいなものも、イタリアのカーフ革製のノートに、モンブランのマイスターシュトックの細字で、「秀逸ギャグ覚え書き」としてメモを残している次第だ。
 基本的には、一筋縄ではいかないシュール(レアリスティック・ピロー)なものを好むが、ベタなギャフン・ギャグも否定はしないし、「ははーん」とうなってしまうような、安心して見られる/聞ける、古典的名人芸のようなものも嫌いじゃない。そういう意味では間口は広い。

なにはともあれ、「ロックとは、つまるところ、ユーモアだ」
 by アクション俳優・銃(がん)すぐる
というわけで、すげえお笑いベスト5。


9.夕やけニャンニャン(タイマンテレフォン、ボブに挑戦)
c0005419_3085.jpgTV。85年4月〜87年・フジテレビ系。
今観たらそんなに面白くないやも知れぬが、素人をぶっとばす石橋が最高。

8.まんがチョップ'84
c0005419_31446.jpgTV。'84年4月〜9月・フジテレビ系。定時前の5分番組。週3回の変則オンエア。 前年にシャネルズから改名したラッツ&スターが「大森笑劇研究会」の名義で出演。舞台の基本設定は就寝時間を迎えたタコ部屋で、8人が布団に潜った状態でテンションの低い雑談を展開する。

7.スネークマン・ショー
c0005419_312528.jpgラジオ/CD。桑原茂一率いるコントユニット。主なメンバーに咲坂守こと小林克也、畠山桃内こと伊武雅刀。代表作に「ジャンキー大山ショー」「急いで口で吸え」など多数。

6.マージナルマン
c0005419_314542.jpgTV。91年4月〜7月・TBS。リリー・フランキーが構成作家を務め、ユリ・サリバンとして出演もしていた深夜のコント番組。他の出演者に、加藤賢崇、宍戸留美、ヒロ荒井(キツイ奴ら)。

5.とんねるずのオールナイトニッポン
c0005419_32969.jpgラジオ。85年10月~92年10月・ニッポン放送。「なんでもベスト5」「ばばあの知恵」(うちのばばあは、自転車ですれ違う時いちいち降りる/うちのばばあは、クソするとき泣く/うちのばばあのむいたりんごは味が変、など)等の、リスナー投稿が秀逸。とんねるずのキャリアの最高峰。「コラーッ!とんねるず」(85年〜89年・日本テレビ)もすげえ。画像は「オールナイトフジ(初登場)」

4.システムキッチン(visualbum/松本人志)
c0005419_343764.jpgビデオ作品。95年。松本と浜田の頂点。板尾が冴える「古賀」も傑作。「ガキ使」は言わずもがな。

3.恋のバカンス
c0005419_345553.jpg
TV。94年・TBS。ナン男、チャーリー・ボブ彦、ボン梶本、とっくりブラザーズなど名キャラクターを生んだ竹中直人の笑いの集大成。

2.Mr.Boo!シリーズ全部
c0005419_35164.jpg映画。70〜80年。マイケル、リッキー、サミュエルのホイ3兄弟による香港コメディ。広川太一郎の吹き替えも秀逸。サミュエルによる各テーマ曲はビートルズ(ポール寄り)ばり。

1.東京イエローページ
c0005419_35329.jpgTV。89年10月〜90年9月・TBS。サラリーマンコント、家族コント、クイズコントといった名作がズラリ並んだ竹中直人の笑いの集大成。



補遺:これこれも相当おもしれえ。
c0005419_3485128.jpgc0005419_3534451.jpg

by ichiro_ishikawa | 2006-12-06 02:12 | 日々の泡 | Comments(1)  

マハトマ・ガンジー、かく語りき

「言って分からねえ奴は殴れ」
確かガンジーもそう言っていた。

 前回、そう書いたことには、2つの思惑があった。
 
 1つは、知っての通り「非暴力」主義を貫いたマハトマ・ガンジー(1869-1948)にそう言わせる事による、「非暴力」主義と、イジメっ子ヘの鉄拳制裁は、矛盾するものではない、という逆説的真理の提示。
 1つは、「非暴力」主義のガンジーにこそ、そう言ってほしいという願い。
 いずれにせよ、事実無根で書いた。

 ところが、実際にそう言っていたという事実が、一昨日判明した。

「ガンジーにたいして、ある人がその非暴力の教えは、例えば家に強盗が押し入って父親が殺されそうな時も貫かねばならないのか、と尋ねました。ガンジーはそんなバカなことはない、と答えたのです。彼は、そこに棒があったなら、棒で戦え、包丁があったなら包丁で戦え、鉄砲があったなら鉄砲で戦え、『非暴力』は『卑怯』とはまったく違うのだ、と教えました」
(「続・なぜ日本人はかくも幼稚になったのか」福田和也/1997年)

 福田は出典を明らかにしていないが、ブログなんかとは違い公に本になっているということは、幾人もの良識ある人の検閲を経ていて裏は取れているはずなので、おそらく事実だろう。よしんば、そうでないとしても、非暴力について徹底的に考えた人だったら、そう言うことは当たり前なので構わない。
 空調の効いた部屋で、空論を弄んでいる輩に限って、「体罰はいけない」だの、「戦争反対」だの、うるさい。寝言は寝ながら、馬鹿は休み休み言ってもらわなければ迷惑だ。「戦争反対」なんて当たり前じゃないか。

by ichiro_ishikawa | 2006-11-28 01:12 | 日々の泡 | Comments(0)  

いじめられている君へ

「いじめで自殺」が横行している。
ここ最近、朝日が「いじめられている君へ」というタイトルのもと、各界の識者の寄稿を一面に載せている。たいてい、こういうのは全然ダメなものだが、鴻上尚史という輩の寄稿は、輪を掛けてダメだった。
骨子は「逃げて逃げて」。
822万人もの人々にそんな寝言をぶってどうするか。
逃げてどうするか。

逃げるのがいけない、と言いたいわけではない。ましてや、逃げるな、立ち向かえなどと根性論を振りかざすつもりも毛頭ない。
逃げ場などない、ということをすっかり見落としているところが、寝言なのだ。

「死んでもいじめたやつらは反省しません」というのは当たり。
「この世の中はあなたが思うより、ずっと広いのです」という。それもそうだ。
でも、どこに逃げたって根本が変わらなきゃ、同じ事。
行く先々でいじめられること請け合いだ。
引き蘢って恨み節抱いても、性格が悪くなるだけ。そうなったら大人になったときいよいよ本格的に不幸というもの。
実際、逃げるってどこに? 
実は逃げる「場所」なんてない。
いや、実はあるのだが、それは鴻上の言う「広い世界」の中に、だ。
だがその「広い世界」という概念は、成熟して大人にならないと、実は持ち得ないのだ。
そんな場所を見つけられる様な気の利いたガキだったら、そも、いじめられてなんかいない。
普通、子供の視野なんて半径3mだから、その世界が全世界。
大人になれば、自然に「広い世界」に出られるかもしれないが、子供の一日は長いからね。
大人になるまでの間イジメられ続けるなんて地獄の苦しみだろう。
そりゃ死んだ方がましだってなるわな。

鴻上は、一見子供の立場にリアルに立っている様に見えて、実は、大人お得意のいつもの机上の空論を弄しているにすぎない。「空疎」の単なる新しいヴァリエーション。
とは言え、朝日の読者の99%はブタ野郎だから、「お、さすが鴻上、良いこというねえ」みたいな事になりかねない。そうなると当事者が可愛そうだから、柄ではないが、俺もヘラルド・トリビューンに寄稿して一席ぶちたい。

だいたい小中学校なんてところは、未開人ばかりのゲリラ地域みたいなもんで、
拳がモノを言う、まさに弱肉強食の世界。
未開人に論理や理性は通用しない。
So、
「いじめる奴の顔面にストレートをぶち込め」
ジャブでもいい。
肘を脇から離さぬ心構えで、やや内側を狙いえぐりこむように打つべし。
まあいじめられるお前の事、きっと腕力はねえから、
返り討ちでぼこぼこにされるだろう。
でもちょっと我慢すれば、誰かが止めに入る。死にはしない。
よしんば死んだとて、もともと死のうとしていたのだから文句あるまい。
ただ、もう、いじめられる事はなくなる。
それしか方法は絶対に無い。
あ、ギターを燃やす、というのも手やもしれぬ。

古い考え? 単純? 非現実的?
健全な常識だと思うのだが。
「言って分からねえ奴は殴れ」
確かガンジーもそう言っていた。

by ichiro_ishikawa | 2006-11-19 05:23 | 日々の泡 | Comments(0)  

ジネディーヌ・ジダン

Save The Last Dance

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by ichiro_ishikawa | 2006-07-03 03:18 | 日々の泡 | Comments(2)  

アルペジオの手記

「旅行が楽しかったとか、美味しいものを食べて嬉しいという感情は、創作にはあまりつながらない。むしろ喜怒哀楽の怒と哀を感じたときに心が震える」

「居酒屋で飲んでいる集団の中で、中心で盛り上げている人ではなく、隅っこでちびちびやっているやつに引かれるし、何かを創りたいと心動かされる」

——リリー・フランキー
(2/5放送予定『トップランナー』での発言/週刊ザテレビジョン6号より)

 この2つの発言は、リリー・フランキーの核をなす何かに触れている。本質的にブルーズ、ロックであり、ファンクであり、パンクであり、根本的にジョークである。


 2ヶ月ぶりの更新となるが、これだけブランクが空いたのは、書くことがなかったからだ。書くことがなかったということは何も考えていなかったということだ。正確に言えば、ぼんやりと考えていた。あるいは、ただひたすら吸収していた。何を。リズム&ブルーズをか。そうかもしれぬ。そんな気もする。

 去年の暮れからこれまで、メンフィス、マッスルショールズ、ニューヨークあたりをずっと回っていた。
 1947〜73年のアトランティック、STAX、ハイ・レーベルなどの音源をグワッと聞き込み、アフロ・アメリカンのソウルを噛み締めていた。もう、その辺しか全然聴いていなかった。あの頃のブラック・ミュージックはとてつもない。素晴らしい。
 通勤時、休日と、時間があればiPodsでリズム&ブルーズ5000曲を聴き、ネルソン・ジョージ『リズム&ブルーズの死』、ピーター・ギュラルニック『スウィート・ソウル・ミュージック』、バーター・ピラカン『魂(ソウル)のゆくえ』、岩波新書『アメリカ黒人の歴史』を読み耽っていた。

 そんな中、会社のある虎ノ門から国会議事堂を抜けて江東区へ帰る電車で、ふと中吊り広告に目をやった。
「秘すれば花の“メリハリ”化粧」「ミラノ艶女(アデージョ)はヌーディサンダル」「くびれ美人で春に勝つ」
といった、救いようがないバカな文字が目に入った。「ちょいワル」などに代表される、こうした浮かれポンチなコピーにはずっとウンザリしていたが、ここに来て怒り心頭に発した。
「お前ら、いいかげんしろ、バカヤロウ!」と広告を引き裂いた。さらにふと目にした湾岸戦争を描いた映画『ジャーヘッド』のチラシには、どこかの編集者らしきコメントで、「主人公の“ワルかわいさ”にも注目」とある。「お前もか、ちょっと来い、このバカヤロウ!」と怒声をあげた。
 その刹那、シャッフルしていたiPodsから5000分の1の確率でかかったのが、「マザーファッカー!」と叫びながら、ダウン・トゥ・アースな歪んだギターをかき鳴らすMC5だった。俺はクワッ!と覚醒した。
 
「(そういや)俺はロックだった」

 住吉のアパルトマン・アルペジオに帰ると、部屋からパブリック・エネミーが流れていた。すげえ怒っている。俺はいよいよ覚醒した。

 「(そういや)俺は10代の頃は、みんなブッとばしていた」 

 20代からは、全てを許し、ジェントリーに紳士ぶるようになっていたが、そういや俺は、悲しみの権化であると同時に怒りの権化でもあったのだった。クールにやっている場合じゃない。もう、許さねえ。

「冷静に構えるぐらいわけのないことはない。ただ他方を向いてさえいれば冷静面ぐらいは出来るのである」(小林秀雄)
 
 俺は、踵を返し、そのまま国会議事堂へゆき、ションべん引っ掛けて、口笛吹いて、お家に帰った。

by ichiro_ishikawa | 2006-02-01 00:55 | 日々の泡 | Comments(3)  

AERA 2005年10月31日増大号

それ、なにやってんの
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by ichiro_ishikawa | 2005-10-24 13:21 | 日々の泡 | Comments(2)  

祝、下柳15勝

 
 現在14勝の広島・黒田が、中2日の登板となる明日、そして来週水曜の最終戦と連投して連勝しない限り、ロックンロール左腕・下柳の最多勝が決まる。
 下柳に勝ち星を与えるため、打線が抑え込まれなかなか勝ち越せず、ついに延長に入っても尚続投させた采配、そして148球の完投。下柳は真っ白な灰になった。
(yahooのデータ中継で)観戦していて、涙腺が緩むのをこらえる理由はなかった。

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↑画=水島「野球は俺が考えた」新司

by ichiro_ishikawa | 2005-10-06 02:20 | 日々の泡 | Comments(2)  

池田晶子「人間自身」最新号について

 『週刊新潮』での池田晶子の連載「人間自身」、最新号(8月11・18夏期特大号)の内容が波紋を呼んでいる。がんで亡くなったある青年の闘病生活、最期の生きざまに迫ったテレビドキュメンタリーを受けての文章だ。
 勝手に要約する。
 
 青年は、「死ぬことよりも忘れられることが怖い」と言い、死ぬ間際まで「見て見て、俺を見て」とやっていた。これでは生き切ったとは言えない、生き損なったのではないだろうか。
 
 相変わらずストレートである。そして、まっとうな考え方だと感じた。
 この青年の人生はこの青年のものだから、どう生きようがその点においては青年の自由だし、本人がまっとうしたと思っていたとしたら、それは文句なくまっとうしたのであり、他人がとやかく言う筋合いのものではない。
 池田晶子はそんなことは百も承知の上で書いている。
 青年は生前、とてもいい仕事をしたのかもしれない。多くの人に勇気や希望、感動を与えたのも事実だろう。悪い人では全然ないし、むしろ圧倒的にいい人の部類に入る。その点については、池田は何も言っていない。問題としていない。
 池田は、人に見られることを生き甲斐とする、その心性に、人間の小ささ、はっきり言ってしまえば、醜さを見たに過ぎない。
 青年を支持する人が大勢いる一方、青年に対して「何だか可哀想だな」と感じた人もまた大勢いたことは事実だ。ただ、「死んだ人のことは悪く言わない」という人間の生活上の礼儀で、各々、そういう思いは心の奥にしまい、口を噤んだ。
 犯罪者でもない限り、やはり死んだ人の、ましてやがんに冒されて死を覚悟しながら生き、ついに亡くなった人に対して、その人の生きざまについてとやかく言う、まして「生き損なった」と言うのは、確かに常軌を逸している。
 だが、池田は、言葉を扱っているということの「覚悟」について、常に注意を払っている人だ。そして、常に「常識」というもの、人類普遍の土台からものを言う人だ。
 私は、池田晶子は、書かざるを得なかったのだ、と感じる。ああした心性が、手放しに賞賛されることの居心地の悪さ、感情に流されて本質を見えなくしてしまうことの危なさ、そうしたものに対する注意を促したのではないか。
 冷たいと言えば冷たいのだろう。ただし、論旨は明解で何の矛盾もない。「悪口」でもない。そして、根本的には愛すら感じる。

追記
(mixiの池田晶子コミュで、shuposhuproという方が池田晶子のいう「生き損なう」について説明をしていて、実に的確だと思ったので抜粋し補足とします)

彼女が言う「生きる」というのは「考える」つまり、自分と世界の存在について、生と死について考えることに他ならないわけで、それをしないで生きていることは彼女に言わせれば「生き損なっている」。ほとんどすべての人が生き損なっていることになりますね。奥山という人だけではない。

by ichiro_ishikawa | 2005-08-09 17:32 | 日々の泡 | Comments(1)  

リリー・フランキー『東京タワー』刊行記念サイン会

 去る7月2日、土曜日、東京・六本木青山ブックセンター内、奥のレジ近く、特集コーナーの辺りで、リリー・フランキー『東京タワー』刊行記念サイン会が執り行われた。
 周りには扶桑社、abcのスタッフと思しき面々が5〜6人いる。第三者がそんなにズラッといるとトークの邪魔だよ、ピリピリするじゃんよと不満を感じていたら、ちょっと離れたところにはBJの姿が見える。スタッフなのに、離れたところで客然として居るところが、なんとも分かっているBJ。
 あたしらはそこから入り口に向かって縦1列に整理番号順に並ばされる。10番ひと組で順に呼ばれ、列を作る。開始から30分ちょっと遅れて着いたときは、まだ30番だった。私の整理番号は79番。この日は100番ちょっといたらしい。
 リリーはロフト・プラスワンでのトークショーの時もそうだったけれど、ファン1人1人と長々と話をすることで有名。1人1人、リリーの前に着席すると、リリーはその1人1人に軽いいじりを交えながら、めいめいが持ち寄った『東京タワー』にゴールドのペンでサインをしていく。オトンのペンになる中表紙の文字と同じ色で、大胆に、めいめいの名前と日付を書き添え、サインをしていく。
 リリーのいじりに対して、俺は果たしてどうきり返していくのか。それが今回のテーマだった。
 
 俺を見るなり、リリーは言った。
 「酒作ってそうだよね」
 「(あ…、さ…さけ…)」
 そんなことを言われたのは初めてで、いや、月並みなことは言われないことは分かっていたのだが、言葉が何も出ず芸もなくただ逡巡していたところに、
 「シェイカー振ってそうだもんね」
 と重ねられる。セコンドが投げた白いタオルを視認した。ゴングが鳴って2発でTKO負け。秒殺だ。
 勝負は終わったとはいえ、放送時間はまだまだ残っていたので、世間話的に、サシでの対面は実は3度目だと伝えると、リリーは昔、ともに竹中直人のライヴを見たことを憶えてくれていた。
「リキッドルームだよね」
「そうです」
ドクトクくんの頃だよね」
「そうです」
「あれ、何年前かな」
「ちょうど10年ですね」
「うちにも来ましたよね」
「お母さまに麦茶もらいました」
 オカンが出たところで、『東京タワー』の本質である“悲劇の誕生”と、それがオカンを永遠に生かしたことを絶賛したかったのだが、そんな真面目な話をする雰囲気ではなかったので言葉を飲み込んで繰り出す時機を待つ。
 暇もなく、サインも終わり、リリーはインクが対向ページに染みないよう丁寧に半紙を挟み、私たちは別れた。
 「好きです」のひと言も言えないシャイネス・オーバードライブな俺、34歳の初夏。

by ichiro_ishikawa | 2005-07-07 12:18 | 日々の泡 | Comments(0)