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【プレスリリース】ダメな本当の理由


よく会社などで、人が席を立つて歩いてゐるときを見計らつて、「ちょっといいですか」と話しかけてくる輩がゐるが、大抵、「ダメだ」と言ふ。

それは、人の席には出向かずてめえの席まで人を来させようといふ手抜きであるから、
といふこともあるが、それより何より、
俺が離席して歩いてゐるのは大抵トイレに向ふためなので、
つまり漏れちやうからである。
しかし「漏れちやうからダメだ」では幼稚なので、
シンプルに、「ダメだ」と言はざるを得ない。


by ichiro_ishikawa | 2017-05-02 09:32 | 日々の泡 | Comments(0)  

神と聖地


聖地とか神とかいふ単語が、ネットのみならず広告を含む紙媒体にも昨今頻出してゐるが、馴染めず。
それがゲームや漫画やアニメの言葉としてのニュアンスでの掲出だからだらう。
つまり子供の世界の言葉である。
だから子供向けならいいが、いい大人向けに使はれると、いい大人はやはり閉口する。
はずなのだが昨今の跋扈さ加減をみると、
いい大人ももはや子供なのだらう。
かうした幼稚化に抗ふためには、大人の言葉が必要だ。


by ichiro_ishikawa | 2017-04-10 12:53 | 日々の泡 | Comments(0)  

絶望について

数年前からの右肘、肩に続き、いよいよ左肩にも違和感が。この一連の不如意によるダメージとは、背中がかけない事は無論、シャツやコートの袖に腕を通す時など日常の肩が上がる局面局面でいちいち気を使はねばならないといふ事だが、やはりいちばんは、豪速球を投げるといふ行為を諦めざるを得ない事である。

これはプロのピッチャーなら即廃業であるのは勿論、プロアマ問はず、老若問はず、全男性にとつてひどく屈辱的であり、無念であり、人生の楽しみの半分を失つてしまふやうなもので、かういふときに絶望といふ言葉は使はれる。

by ichiro_ishikawa | 2017-03-09 13:13 | 日々の泡 | Comments(0)  

ああ無常


全ては過ぎ去って還らないといふ、いはば無常観は、
人間普遍のもので、多くの場合、それを口惜しくも
やんごとなきこととして処理して人は生きてゐるやうだ。肉親の死の直撃などがその最たるものだらう。

しかし、日常において、過ぎ去つて還らないことがかへつて都合が良いといふ場合の方が実は多い、といふ事に気付くのはよいことだ。

たとへば、あなたはあのときかう言ひましたよね、かういふことしましたよね、それは何故ですか? と問はれるとしたらどうだ。閉口するだらう。全く覚えてゐないことの方が圧倒的に多く、また憶えてゐたとしても動機は不明、理由なき言動だつたり、その時の微妙な環境、その場のノリや気分での言動といふものは、かなり多いものだ。ミスだつて多い。
だからその質問がもし詰問といふ形を取るとき、被詰問者はただただうなだれるばかりだらう。えらうすんまへんとしか答へやうがない。

すべては過ぎ去つてくれて一向に構はない。前だけを見て生きて行かむ。すべてこれから作つていかうではないか。

by ichiro_ishikawa | 2017-03-08 19:28 | 日々の泡 | Comments(0)  

今日の実験報告

通勤時間1時間半といふ「地の利」を生かした、通勤及び帰宅中の「趣味の読書タイム」は至福の時であるが、同時に音楽も聴いてゐる。読書のBGMとしては歌のないズージャーがベストであるのは普通に考へてわかるし、常にさうしてゐる。

しかし、Apple Music内にてめえで作つたプレイリスト(独自の切り口によるオムニバス集)「日本のAOR」(歌モノ)もこの貴重な時間帯に聴きたいといふ欲望が頭をもたげ、
試しにそれを聴きながらの読書に挑戦してみた。

のだが、どうしても文字の中に歌の歌詞が挿入されてしまうため、断念。
音楽とはいへ日本語を聴きながら日本語を読むといふ芸当はやはり無理があつた。

by ichiro_ishikawa | 2017-03-07 20:12 | 日々の泡 | Comments(0)  

本日の不思議なひとコマ


例によつて喫茶店で人間研究をしてゐると、
何らかの事情で歩くのがままならない初老の婦人が、店員に支へられながらやつとのことでトイレやらレジで用を済ます現場を目撃。

最晩年の父を思い出すと同時に、
大変だな、一人で全然歩けねえねえんだな、付き添ひも、杖もないんだな…
との感を抱ひた。

と同時に、
「ぢやあここまでどうやつて来た?」
との疑念が。

ドアトゥドアでシータクだらうか。
しかしそこまでして珈琲一杯200円のチェーン喫茶店にわざわざ来るだらうか。料亭とかならともかく。



by ichiro_ishikawa | 2017-02-23 16:38 | 日々の泡 | Comments(0)  

現金主義に転向


タバコひと箱ですら、簡単に払へてポイントも貯まる「クレジットカード払ひ」をフル適用してきた俺だが、
ここ1ヶ月前に「キャッシュ払ひ」に急転向したことで、ポイントは付かなくなつたが、
1.「現金が物理的に減る様」を目の当たりにすること、
2.鞄から財布を出し小銭やら紙幣やらを取り出し、レジに渡し、釣りをもらひ財布にしまひ、その財布を鞄にしまふといふ「面倒な行為」を経ることで、そも何かを買ふということ自体が面倒になること、
この2点から、結果、生活は変はらないまま出費が少し減つた。

ポイントといつても行つてせいぜい月数百円、年間数千円なのに対し、減つた出費は今月だけで数千円か。
これは地味にデカい、といふ結論に達した次第だ。

by ichiro_ishikawa | 2017-02-23 16:28 | 日々の泡 | Comments(0)  

関係代名詞そのものを訳す試み

「英文を、単語ごとに、その現れる時系列に沿つて、直訳していきたい願望」を抱える俺にとつて、
there is〜のthere
it is rainy などのit
がしごく厄介だといふ話だが、
そのほかにまだある。

訳さない単語の代名詞が、
それこそ関係代名詞である。
the man who sold the world
のwhoである。

the その
man 男
who (その男を形容して来るぞ)
sold 売つた
the その
world 世界を

一般に、関係代名詞はそれ自体は訳さず、
次に来る句なり節を先に訳して、
関係代名詞直前の単語を形容させる、
ので、上記を自然な日本語に訳すと、
「世界を売つた男」
となる。

theを訳せないのも気になるが、それは別でまた考へるとして、ここでは、関係代名詞を何とか訳す方向で思考を進めて行きたい。
なぜなら関係代名詞のやうな、日本人にとつては「機能」に過ぎない語も、英語ネイティヴは機能プラス「何らかの意味」を持たせてその語を迎へてゐるはずだからである。

the その
man 男
who ところの
sold 売つた
the その
world 世界を

といふ案がある。
〜するところの、といふ言ひ方は理屈つぽい書き言葉でいまでも出ては来るし、昭和中期ごろまでは話し言葉においてもまま登場してゐた表現だが、
「世界を売つたところの男」
はやはり違和感がある。

しかしここでは日本語としての不自然さは度外視して、
とにかく「英文を、単語ごとに、その現れる時系列に沿つて、直訳していく」ことこそに眼目があるので、

the man who sold the world
は、
その 男 ところの 売つた その 世界を
としたい。

英語人がこのフレイズに接した時の頭に去来してゐることを時系列で表すと、かうでなのである。
変わつてるな。


by ichiro_ishikawa | 2017-02-22 19:32 | 日々の泡 | Comments(0)  

選択肢が複数あることの不快

There were bells on a hill

これは、

丘の上に鐘があつた

であらう。
中学英文法でまかなへる。

しかし、この
there is(are)〜
は、
〜がある、いる
と訳すが、
英語だと語順が、
there、が先に来てゐるわけで、
そのとき、聴くものはどういふ理解なのであらう。

日本語であれば、
丘、の、上、に、鐘、が、あつ、た
と時系列で理解できる。
英語の時系列を追うと、まづ
thereの段階で想起されるものは何だらう。
「そこへ」「そこで」
といふ可能性もあるだらう。
あるいはthere is構文が来ることを想定してゐるとして、かつ、次に来るbe動詞はまだわからないし、
そのbe動詞の後にくるのがどういふ名詞かも分からず、
しかもその名詞は物か人か、単数か複数かも分からないわけだから、
つまり「there」の段階では
「そこへ」「そこで」「(〜がある)」「(〜があつた)」「(〜がいる)」「(〜がいた)」
といふ様々な想念が去来してゐなくてはおかしい。
日本語だとこんなことは起こらない。
丘、と来たら丘を想定する。「丘が」なのか「丘は」なのか、などは次の助詞待ちなわけで、丘の時点では問題はない。丘と来たら丘だ。
英語のこの手のことばは一体どういふ自体なのか。

it's rainy
雨だ

など、「訳さないit」と学校で教わるものもある。
概念がないから言葉もなく訳語がないといふなら分かるが、では、日本語にはないとしても英語の人はitの段階で何を想起してゐるのか、といふ問題は残る。

問題は同じことなのでthereに戻る。
「there」の段階で
「そこへ」「そこで」「(〜がある)」「(〜があつた)」「(〜がいる)」「(〜がいた)」
が去来しながら、次に
「were」と来たところで、
「(〜)があつた」「(〜)がいた」に絞られる。
それでもまだ二択だ。選択肢が複数あること自体、解せないのだつた。
英語人は、いようが、あらうが、どうでもよく、
つまり人も物も、「存在する」的にひとまとめにしていると言へる。
だから「there were」と来たら、訳語として不自然としても、「存在した」といふ想念が去来している、といふこだ。

で次に、「bells」と来るので
「鐘」がとひとまづ落ち着く。
「鐘があつた」と。
厳密にはこれは逆に日本語には無いが「複数の鐘」といふことも確定してゐる。その前のwereの時点で複数の何らかである事は想定されていた。

ここまでをまとめると、

「there」
「そこへ」「そこで」「(〜がある)」「(〜があつた)」「(〜がいる)」「(〜がいた)」
※カッコは確定できないモヤモヤ
「were」
「(複数の〜)があつた」「(複数の〜)がいた」
「bells」
「(複数の)鐘」

全体で、「(複数の)鐘があつた」
となる。
全体でコンマ何秒だし、もしかすると
there wereを一語扱ひにして考へてゐるのやもしれぬが、単語レベルではそれぞれ独立してゐる以上(実際「そこへ」といふ副詞として単独で意味を完結させる場合だつてある)、
there wereであつても、thereの時点で何らかの判断を下してゐなくてはおかしい。といふか気持ち悪い。

on a hill
は、
on
(〜の)上に
a
ひとつの

hill


と、onは前置詞といふだけあつて次に名詞がくることを想定して「(〜の)上に」と、待ち構える姿勢が気持ち悪いが、thereほどひどくないからまあよしとする。

全体を時系列に沿つて、
聴くものが想定する意味を書くと、

「there」
「そこへ」「そこで」「(〜がある)」「(〜があつた)」「(〜がいる)」「(〜がいた)」
※カッコは確定できないモヤモヤ

「were」
「(複数の〜)があつた」「(複数の〜)がいた」

「bells」
「(複数の)鐘(が)」

「on」
「(〜の)上に」

「a」
「ひとつの」

「hill」
「丘(の)」

日本語だけで示すと、

「そこへ」「そこで」「(〜がある)」「(〜があつた)」「(〜がいる)」「(〜がいた)」(モヤモヤ)

「(複数の〜)が存在した」(確定)
「(複数の)鐘(が)」
「(〜の)上に」
「ひとつの」
「丘(の)」

という順序で意味を把握しているといふことになる。

やほり日本語で英語を解しやうとすることにそも無理がある。英語は英語のまま、その感じを解するしかない。

でも、単語レベルで選択肢が複数ある、
といふのは日本人にはどうしても考えらない。

以上。


by ichiro_ishikawa | 2017-02-22 13:25 | 日々の泡 | Comments(0)  

すべての店が選択肢


ヴァイラス性胃腸炎が完治せず禁煙10日目だが、
そのメリットは、
「すべての店が選択肢」になるといふ事だ。
これまでは「喫煙可かつ綺麗」といふガチガチな縛りが存するが故に選択肢は限定され、
店探しだけで1時間、といふ罰を与へられてゐた事に比べると、このメリットのメリット加減たるや、相当のものである。

だから、このまま治らないでも、
と一瞬思ふが、しかし、
「吐き気が治らず気持ち悪いがすべての店が選択肢」
と、
「きわめて健康体だが店探しだけで1時間」
とでは、どちらが良いのか。

世の中は解決しがたい難問に満ちてゐる。

by ichiro_ishikawa | 2017-02-03 14:12 | 日々の泡 | Comments(0)