カテゴリ:日々の泡( 189 )

 

発見2点、提案1点


ファミレスの喫煙席は性別年齢不問で小汚い奴が多く、禁煙席は社会の勝ち組風の小綺麗な奴が多い。

自販機でSuicaを使つたあとの残高表示時間がサブリミナル効果狙いなのか、おそろしく短い。なかなか確認できないため、何回か買てつみるハメになりがち。


北朝鮮への対応とか、庶民の案を集める「政策案専用投稿サイト」を作るといい。官が思ひつかない市井の妙案ホルダーは多々居る。採用された人には100万円。部分採用はその比率に応じる。
運用は官僚。運用資金はキャリア官僚15000人の給料から毎月500円天引き。月750万。
ジャッジは官僚。


by ichiro_ishikawa | 2017-09-13 19:00 | 日々の泡 | Comments(0)  

与党の仲間入り


生まれてこのかた40年以上、常に「俺の好きなものはどこかマイナー」だからなのか、世間において万年野党といふか、「好んで常用してたものが需要の少なさから生産中止」的な、居心地が悪いといふか不便な生活を余儀なくされてきた。

しかしここに来て、誰もが愛する世間のど真ん中、どメジャーなゲスの極み乙女。を好きになつたおかげで、普通の人(与党)と普通の会話ができるやうになつた(まだしてないが)。常用の整髪料が全ドラッグストア、全コンビニ、あまつさえ全キヨスクで手に入る感じ。そんな生きやすい状況になつた。

カラオケにて、すげえ歌ひてえが誰も知らないし盛り上がらねえといふ心配をすることがなくなり(カラオケは行かないが)、歩きながら口笛でゲスを吹けば、「お?ゲスだね」と道行く人といふ人から笑みを返される状況。
あー、生きやすい。



by ichiro_ishikawa | 2017-09-12 22:33 | 日々の泡 | Comments(0)  

思考実験 メールがなかつた頃


メール、ケータイといふツールを駆使した生活がデフォルトになつて久しく、その登場以前の暮らしを思い出せなくなつてきてゐる。

かつて現代のコミュニケーションツールといへば電話であつた。いまは電話は、否応なしに応答しなければならないといふ理由で、暴力的とさへ形容される代物に成り下がつてゐる。実際かくいふ俺もゴトシ以外で電話を使ふことは皆無となつてゐる。元々生身のコミュニケーションを避けたい性格だけに、この新たな潮流は渡りに船ではある。

しかし、ふとメール以前の暮らしを思い出してみたくなつたので、回想してみる。

俺が初めてメールを始めたのは、ケータイを持つやうになつたのとほぼ同時であり、確か1997年、26歳のことであつた。前述の通り人間嫌ひの俺は、俺の時代が来たとばかりに嬉々として飛びついた。つまりそこから今に至る20年は地続きだ。

その直前はポケベルといふのが一瞬あつた。1992〜96あたりか。しかしうまく使いこなせず、駆使した記憶が殆どない。

だから1991年、20歳以前は完全に電話であつたことになる。つまり俺でいへば学生時代は電話であつたといふことで、学生時代の暮らしを思い出せば、メール前のコミュニケーションを思い出せるか。

……しかし、電話を使つた記憶が引つ張り出せない。日常における電話によるコミュニケーション事例を忘れてゐる。おそらく友達がゐなかつたから、必要なかつたのやもしれぬ。

ぼんやりと、「一郎、電話ー、誰々から」「…居ないつて言つて」といふやりとりがしばしあつたことが思ひ出されるぐらいだ。

ここで言へるのは、かつて誰かと連絡を取る際は、その人の家族を一発かます必要があつた、といふことだ。だから、家族の各人脈は同居の家族全員が共有していた。電話も子機が出て来たのは1980年代後半に入つてからで、以前は電話での会話自体を家族の前で公開して行なつていたのであり、人脈どころか誰が誰とどういふ関係で何をしてゐるか、まで共有されてゐたといふことになる。
そんな時代が、電話が日常に組み入られた明治から昭和まで約100年続いてゐたといふことだ。

今やケータイ、メール、SNSにより、晒すも隠すも自在といふ環境にあり、これは人類コミュニケーション史、つまり精神史において、相当大きな変化である。
そりやあ、何かが抜本的に変はるわな。
以上。











by ichiro_ishikawa | 2017-09-11 19:31 | 日々の泡 | Comments(0)  

身体言語と暴力


1987年のドラマ「親子ジグザグ」に、博多に帰るため羽田空港に行く駅に向かつて一人歩いてゐる母(ババア=李麗仙)、それを息子(勇次=長渕剛)がバイクで追いかけて止め、形だけの態で軽い餞別を渡すといふ、ドラマ史上に残る名シーンがある。


この母と息子の間には、それまでに散々色々とあつたわけで、当人にしかわからない微妙で複雑な関係があるのだが、詳述すると長編小説になるのでここではできないが、簡潔に記す。


やんちやな勇次は田舎の博多を早々に捨て東京で暮らしてゐたが、実は田舎に、或る女性との間にできてゐた子供がゐた。勇次はそれを知らないで上京してゐた。女性は勇を産んですぐに亡くなつたため、ババアがその勇次の子供(勇=伊崎充則)を小学校にあげるまで博多で育ててゐたのだつた。

そんな事実をつゆ知らない勇次にその勇を引き渡すため、ある日ババアは上京。勇次の反対をよそに彼の住まいに寝泊まりしながら、独特のやり方で勇次のハンパな性根を叩き直し、これなら大丈夫だといふところまで見届けてから、勇を置いて、一人博多に帰る、といふわけだ。


それが冒頭のシーン。


手土産を渡し、義務が済んだとばかりに帰らうとする勇次だが、ババアの姿を見ると、その場を離れられなくなつてしまふ。そんなセンチメンタルな勇次に対してババアは、「しつかりせんか!」とビンタ一閃。

かくして、ババアは博多へ、勇次は東京の自宅へ、それぞれ逆方向に帰つていく。


俺の筆力だとこの名シーンぶりが限りなく陳腐になつてしまふが、要するに、日野皓正の中学生ドラマーへのビンタは、親族ないしそれ相当の関係性の上のみに成り立つこの種の「身体言語」である。俗に言ふ愛のムチだ。


しかし世間には、

「これは明白な暴力行為で刑事罰が相当ですし、民事責任も全うすべきと思います。また、指導者が年齢や権威によって、更に暴力行為によって子どもの表現活動を抑圧したことは明白であり、再発防止のために何が間違っていたのかという議論と検証が必要と思います」

などとのたふ御仁もゐて、まづい。


なんでもかでも暴力と括つてしまへば、深く考へなくて済むから楽だらうが、人間のコミュニケーション力は退化し、さらには逆に法の目を盗んだ暴力が瀰漫していき、世界は荒廃して行くだらう。



by ichiro_ishikawa | 2017-09-06 09:22 | 日々の泡 | Comments(0)  

雑記2点


ここ数日やけに涼しかつたので、長袖を着て出たら、今日はすげえ暑かつた。
服装はこれまでの傾向より当日の天気でジャッジした方がいい。


プアアァァン!と大クラクションを鳴らして入つてくる電車がたまにある。「オラオラ、入線するぞ〜!ヘイヘイ!」と運転手がハイになつてゐるだけなのだらうが、うるさくてビックリするのでやめてほしい。


by ichiro_ishikawa | 2017-09-05 09:59 | 日々の泡 | Comments(0)  

結果良ければ全て良しの事例


今朝、電車通勤中、iPhoneでApple Musicとデジタル朝日新聞を同時に聴き読みしてゐたところ、曲を変へようと思ひ、iPhoneを鞄やポケットの中に探すも、何処にも見当たらない、といふ事態が勃発。

「鞄の奥地にもない…どこかに置き忘れたか⁉︎ 久々にやつちまつたか⁈ 駅のベンチか? しかしBluetoothワイヤレスイヤホンではいま音楽が流れてゐる。といふことはどこか近くにあるのは間違いない、つまり失くしてはいない…では何処に⁉︎」
と思つたら、手に持つてゐた。1分、すげえ焦つた。

by ichiro_ishikawa | 2017-09-05 09:15 | 日々の泡 | Comments(0)  

ファミレスと俺


ファミレス等で食後に楊枝シーシーしてゐるときつていふのは、誰にも見られたくなく、そつと独りにして置いてほしいもので、気の利いた店員はその様を全く見ないやうにケアするのだが、てめえでものを考へられないマニュアル店員はチラと見てきたりする。
さうするつてえと、楊枝シーシーの間抜けヅラで目が合つてしまつたりして、とても恥ずかしい。

さらにはシーシーの最中に「お済みの皿お下げします」と話しかけてくる信じられない輩もゐて、世も末だ。トイレでの排泄中にズカズカ入つてきてトイレットペーパーを交換しにくるやうなものだ。人間の機微がわからないではサービス業は務まらぬ、といふごく常識なのだけれど、これは「教育に文学不要論」の弊害でもあるだらう。

by ichiro_ishikawa | 2017-09-01 09:36 | 日々の泡 | Comments(0)  

パソコンみながら俺と話すんのはやめてくんねえか


会議でよくノートパソコン開いてパタパタやつてゐる奴がゐるが、あれは見苦しい。書記、速記役なら兎も角、2〜3人のミーティングでもさうしてゐる奴が居る。

あれは何をしてるのか?

1. メモ(備忘録、その場で議事録)
2. ネットサーフィン
3. タバコも吸えねえし手持ち無沙汰なので適当にパタパタ
4. 相手の顔、目を見なくて済むやうにパタパタ

ぐらいしか思ひつかないが、いづれにせよ全部ダメだ。
会議は生対面での対話がキモだと思つてゐる。メモでさへダメだ。書記に任せればよい。書記が居なければ記憶せよといふ。メモするなら、その場の雰囲気とか相手の服装とか横顔とかだ。それでもやはり記憶するのが好ましい。結果、事前準備、事後の整理が重要になり、会議自体が濃厚になる。さうすれば会議自体さう何回もする必要がなくなり、結果的に実は効率もよい。

小林秀雄は、取材者に録音はもとより、メモも禁じた。目で話を聞くこと、その時の対話を大切にしたからだ。

俺はこれを真似てゐて他人にも強要してゐる。
「話は目で聞け」とは小6の担任の言。

最近、同じ嘆きをもつ曲がリリースされた。
「パワハラだ…」と問題の長渕剛の新曲。

何で人としっかりものを話せねえんだ?
何であいつの気持ちをわかってやれねえんだ?
だったらこの先 人と人との間で仕事できねえじゃん!
おい、聞いてんのか?
ってか、とりあえず一辺そのパソコン閉じろや‼︎
おいっ‼︎
だからそのパソコンみながら俺と話すんのはやめてくんねえか
え…?「僕、人間関係ダメなんです…」つて?
お前な‼︎ だったら何で女房とは肉体関係でガキ何人もつくんだよ
このやろう
バカかお前
ああ…嘆きのコーヒーサイフォン
(「嘆きのコーヒーサイフォン」より)


by ichiro_ishikawa | 2017-08-29 16:44 | 日々の泡 | Comments(0)  

本日の失敗


齢40半ばにして肉体改造を始めてゐる俺が、昼の1食以外、炭水化物を抜いてゐるのはよく知られるが、大のパン、ライス好きの俺にとつてはちよつとした修行の様相を呈してゐる。しかし屈強な精神力を持つてここ半年、昼以外は炭水化物を完全に断つてゐる。

しかも、昼の摂取量ですら控えめにしてゐる。本日はデニーズのランチセットであるカットステーキだつたわけだが、注文の際、ボーイが「ライス大盛り無料ですが?」と言ふ。

咄嗟に俺は、
「いや、むしろ少なめで」と返答。

だが、この「いや」といふ逆説句、そして「むしろ」といふ副詞。これが全く無駄であつた。

日頃俳句や短歌を嗜む俺は、書く上でも発語レベルでも「省略」「簡潔」「写実のみ」「抒情は言外に」を旨としているだけに、痛恨の失敗であつた。

コミュニケーションの場といふことでも、ボーイとしては大盛りか、普通か、あるいは少なめか、その事実だけを知りたいはずで、サービスを否定する「いや」も、客の意図の補足でしかない「むしろ」も全く不要である。
だのになぜそのやうな無駄を発してしまつたか。

エゴか?
肉体改造中で、本当は大盛りにしたいところグッと抑へてゐるといふ状況、あまつさえ減らさんとすといふストイシズムをアッピールしたかつたのか。

俺が肉体改造中といふことを誰が知りたがらむ。
もしかすると、「肉体改造中の人が増えてゐる」といふ顧客ニーズの取材に一役買つて、炭水化物少なめメニューの開発及び傾注を促すやもしれぬ。いやしない。

「少なめで」でよかつた。

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ライス込みでも500kcal。







by ichiro_ishikawa | 2017-07-11 14:15 | 日々の泡 | Comments(0)  

日々の全行動の内訳


俺の日々の全行動は、以下のごとし。

1. 行住坐臥、身体維持活動(食事、睡眠、運動、排泄)10時間(42%)

2. 生活事務処理(掃除、整理、交際)2時間(8%)

3. ゴトシ 10時間(42%)

4. 趣味、娯楽(1〜3以外のすべてのこと)2時間(8%)


そのうち、3のゴトシは以下のように内容分類できる。

a. 調べる、インプットする、整理する(取材含む)
b. 考える、構築する
c. 事務処理(会議、折衝含む)

このうち仕事場で行ふものはcの事務処理であり、10時間中の8時間はこれに充てられる。傍目に「働いている」と認知されるのはこの事務処理だけである。

つまり、aとb、特にbといふ、より重要なゴトシは、仕事場以外で行ふ類のことなので、傍目には「見えない」。
しかもこれらは10時間のうち2時間しか充てられない。それを超える場合は行住坐臥、趣味、生活事務処理の時間を削つて充てがうことになる。ただ充てがうにも物理的限界がある。

ところで、ゴトシの質はそのa、bにかかつてゐる。2時間ないしプラス幾ばくかの時間の中で、これを如何にこなすかにかかつてゐる。ここに最もエネルギーを注力するし、ここが本番である。

しかし前述のやうに、傍目には何をしているかはわからない(見えない)。たとへばスマホで原稿やゲラを読んでゐるときそれは、タレントのブログを読んでゐるのと外見は同じだし、考へてゐる動作などもはたから見れば、ゴトシのことを考へてゐるのと競馬予想をしてゐるのは同じ光景である。他者との交際についても、ゴトシとしての折衝も、ただの友人とのだべりも見ためは一緒である(場や服装や口調で違いはみて取れるにしても)。


つまり何が言ひたいのか。

結局、さういふ意味で俺が最も重要なゴトシ「考へる、構築する」をしてゐるのは、通勤中だつたり紫煙を燻らせてゐるときであるといふことだ。逆に言へば、仕事場では、別にたいしたことをしてゐるわけではない。ふざけてゐるわけではないが、極言すれば、遊んでゐるやうなものだ。

通勤電車に揺られながら目を瞑つてゐる、カフェエにて紫煙を燻らせながら空を見つめてゐる俺は、猛烈に一番重要なゴトシをしてゐる俺であるといふことに気づくのはよいことだ。

以上。








by ichiro_ishikawa | 2017-06-23 20:53 | 日々の泡 | Comments(0)