カテゴリ:日々の泡( 184 )

 

選択肢が複数あることの不快

There were bells on a hill

これは、

丘の上に鐘があつた

であらう。
中学英文法でまかなへる。

しかし、この
there is(are)〜
は、
〜がある、いる
と訳すが、
英語だと語順が、
there、が先に来てゐるわけで、
そのとき、聴くものはどういふ理解なのであらう。

日本語であれば、
丘、の、上、に、鐘、が、あつ、た
と時系列で理解できる。
英語の時系列を追うと、まづ
thereの段階で想起されるものは何だらう。
「そこへ」「そこで」
といふ可能性もあるだらう。
あるいはthere is構文が来ることを想定してゐるとして、かつ、次に来るbe動詞はまだわからないし、
そのbe動詞の後にくるのがどういふ名詞かも分からず、
しかもその名詞は物か人か、単数か複数かも分からないわけだから、
つまり「there」の段階では
「そこへ」「そこで」「(〜がある)」「(〜があつた)」「(〜がいる)」「(〜がいた)」
といふ様々な想念が去来してゐなくてはおかしい。
日本語だとこんなことは起こらない。
丘、と来たら丘を想定する。「丘が」なのか「丘は」なのか、などは次の助詞待ちなわけで、丘の時点では問題はない。丘と来たら丘だ。
英語のこの手のことばは一体どういふ自体なのか。

it's rainy
雨だ

など、「訳さないit」と学校で教わるものもある。
概念がないから言葉もなく訳語がないといふなら分かるが、では、日本語にはないとしても英語の人はitの段階で何を想起してゐるのか、といふ問題は残る。

問題は同じことなのでthereに戻る。
「there」の段階で
「そこへ」「そこで」「(〜がある)」「(〜があつた)」「(〜がいる)」「(〜がいた)」
が去来しながら、次に
「were」と来たところで、
「(〜)があつた」「(〜)がいた」に絞られる。
それでもまだ二択だ。選択肢が複数あること自体、解せないのだつた。
英語人は、いようが、あらうが、どうでもよく、
つまり人も物も、「存在する」的にひとまとめにしていると言へる。
だから「there were」と来たら、訳語として不自然としても、「存在した」といふ想念が去来している、といふこだ。

で次に、「bells」と来るので
「鐘」がとひとまづ落ち着く。
「鐘があつた」と。
厳密にはこれは逆に日本語には無いが「複数の鐘」といふことも確定してゐる。その前のwereの時点で複数の何らかである事は想定されていた。

ここまでをまとめると、

「there」
「そこへ」「そこで」「(〜がある)」「(〜があつた)」「(〜がいる)」「(〜がいた)」
※カッコは確定できないモヤモヤ
「were」
「(複数の〜)があつた」「(複数の〜)がいた」
「bells」
「(複数の)鐘」

全体で、「(複数の)鐘があつた」
となる。
全体でコンマ何秒だし、もしかすると
there wereを一語扱ひにして考へてゐるのやもしれぬが、単語レベルではそれぞれ独立してゐる以上(実際「そこへ」といふ副詞として単独で意味を完結させる場合だつてある)、
there wereであつても、thereの時点で何らかの判断を下してゐなくてはおかしい。といふか気持ち悪い。

on a hill
は、
on
(〜の)上に
a
ひとつの

hill


と、onは前置詞といふだけあつて次に名詞がくることを想定して「(〜の)上に」と、待ち構える姿勢が気持ち悪いが、thereほどひどくないからまあよしとする。

全体を時系列に沿つて、
聴くものが想定する意味を書くと、

「there」
「そこへ」「そこで」「(〜がある)」「(〜があつた)」「(〜がいる)」「(〜がいた)」
※カッコは確定できないモヤモヤ

「were」
「(複数の〜)があつた」「(複数の〜)がいた」

「bells」
「(複数の)鐘(が)」

「on」
「(〜の)上に」

「a」
「ひとつの」

「hill」
「丘(の)」

日本語だけで示すと、

「そこへ」「そこで」「(〜がある)」「(〜があつた)」「(〜がいる)」「(〜がいた)」(モヤモヤ)

「(複数の〜)が存在した」(確定)
「(複数の)鐘(が)」
「(〜の)上に」
「ひとつの」
「丘(の)」

という順序で意味を把握しているといふことになる。

やほり日本語で英語を解しやうとすることにそも無理がある。英語は英語のまま、その感じを解するしかない。

でも、単語レベルで選択肢が複数ある、
といふのは日本人にはどうしても考えらない。

以上。


by ichiro_ishikawa | 2017-02-22 13:25 | 日々の泡 | Comments(0)  

すべての店が選択肢


ヴァイラス性胃腸炎が完治せず禁煙10日目だが、
そのメリットは、
「すべての店が選択肢」になるといふ事だ。
これまでは「喫煙可かつ綺麗」といふガチガチな縛りが存するが故に選択肢は限定され、
店探しだけで1時間、といふ罰を与へられてゐた事に比べると、このメリットのメリット加減たるや、相当のものである。

だから、このまま治らないでも、
と一瞬思ふが、しかし、
「吐き気が治らず気持ち悪いがすべての店が選択肢」
と、
「きわめて健康体だが店探しだけで1時間」
とでは、どちらが良いのか。

世の中は解決しがたい難問に満ちてゐる。

by ichiro_ishikawa | 2017-02-03 14:12 | 日々の泡 | Comments(0)  

防寒と俺


真冬にあつて今日は少し暖かかつた。
ここのところ東京は極寒日が続き、
ヴァイラス性胃腸炎に罹患したりしたものだから、
ヒートテックonヒートテック、
コートon革ジャンonスウェードジャケッツonセーターに、
マフラー&毛糸帽子、
といふ完璧な装備で出勤するも、
そんな防寒にピタリと合はせたかのやうに、
少し暖かかつた。


by ichiro_ishikawa | 2017-01-27 22:31 | 日々の泡 | Comments(0)  

理想の人

俺の理想は何度も書いてゐる通り、
「仰るとおり」と「ご覧のとおり」しか言はない男であるが、
別の側面から言ふと、
「考へる前に走る」、
そして、
「持たない男」
である。

つまり吉川晃司と中崎タツヤだ。
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by ichiro_ishikawa | 2017-01-27 00:01 | 日々の泡 | Comments(0)  

2017年の抱負


2017年になり早くも1ヶ月が過ぎ去らんとしてゐるが、
今年の抱負は10年連続で「すぐやる」だ。
10年以上クリアできないだけあつて、
なかなかすぐやらない。
今年こそはすぐやる。


by ichiro_ishikawa | 2017-01-26 23:55 | 日々の泡 | Comments(0)  

天才医師に遭遇


先々日の夜、突如、寒気と吐き気を催し、嘔吐。
目眩がし寒気も収まらずそのまま眠るも、
深夜にまたもや嘔吐。
朝まで大小5〜6回の嘔吐を重ね、
翌日朝は少し楽になったものの一日寝て過ごし、 翌々日、つまり今日、ほぼ復調したとはいへ、
大事をとらうと病院へ。
(といふか病院て復調しないとそも行けないよな。つまり治つたあとでないと行けないといふことになる。でも治つたら行く必要がない。永遠のジレンマ)

ほぼ上記通りの事を医師に伝えると、
その医師曰く、
「ヴァイラス性胃腸炎です。薬を出しときます」
以上。

聴診器をあてるでもなく、
口の中を見るのでもなく、
背中とか腹とか触るでもなく、
といふか、一度も我の目を見ることなく、
耳だけ傾け、眼差しはパソコンに注いだまま、
診察を終へたのであつた、その医師は。

しかも、この症状がヴァイラス性胃腸炎である可能性が高いことは、事前にネットで調べて分かつていたのだつた。

でも普通、嘘でも聴診器ぐらい当てないか?
百歩譲つて当てないとしても、
せめて患者の目見て話さないか?
天才医師なのかもしれぬが、治つた気がせぬ。


by ichiro_ishikawa | 2017-01-26 22:49 | 日々の泡 | Comments(0)  

BECK'Sを全駅に

何故俺がBECK'S好きかと云へば、
席にコンセントがあり、
かつタバコが吸へるからで、
さらにそれが駅構内にあるからだ。
下手したらホームにある。

つまり駅ホーム内で、
毎分1%バッテリーが減つて行くiPhoneを充電でき、
かつ煙草を吸へるのが、
BECK'Sといふ茶店だ。ありがたい。

昨今は新幹線以外の電車は特急含め全面禁煙だから、
長期移動中に一本だけ吸ひたくなつた時など、乗り継ぎホームでそれが可能となるわけだ。

だが全駅にあるわけではないのが惜しい。
何より東京駅にないのは痛恨。
八重洲口、丸ノ内口両サイドそれぞれの北・中央・南の全方位に欲しい。
かつ全線のホーム内にあれば万全だ。
さらに店内にJAZZを流してゐてくれれば、
駅で暮らしてもよい。

by ichiro_ishikawa | 2016-11-25 16:55 | 日々の泡 | Comments(0)  

マクラ不要論

メルマガやネット記事で、
冒頭に季節のことなど、マクラというかフックみたいなものを長々と書くタイプが多いが、
いきなり本題に入れ。しかも結論を先に書け。
と強く言ひたい。
洒落た時候の挨拶や随筆風のマクラは不要。
情報なんだから。結論だけを知りたいわけだから。


また「を」などの助詞を省略したり、「とか」などを使つてゐる文も好かない。ライトな口語感、フレンドリー感を出したいのかもしれないが、だらしないだけだ。

例えば上述の文をだらしなく変換すれば、
「とか」とか使ってる文も好かない
となる。

やはり書き言葉はやたらに乱さない方がよい。





by ichiro_ishikawa | 2016-10-12 10:52 | 日々の泡 | Comments(0)  

ジャンプの全盛期(決定稿)

主観を排して客観的事実を記すと、ジャンプの全盛期は1980〜1984年で、85,86は惰性、1987年で終わるわけだが、1980〜1984年とはDr.スランプの第1話〜最終話の掲載年にあたることが発覚、つまりジャンプとはDr.スランプであり、鳥山明である。以上。

by ichiro_ishikawa | 2016-09-12 20:47 | 日々の泡 | Comments(0)  

俺の運

人間には2種類しかない。
運のいい奴と悪い奴だ。

俺は紛れもなく後者なのだが、
思ひ起こすと、第1回フジロックに象徴されるやうに、野外イベントに行けばほぼ雨が降り、たまに意を決して休日に出掛けるとやはり雨で、日常においても通勤時の家〜駅間、駅〜会社間のみ雨が降ってくるといふ雨男の最高峰に位置し、一方、コンビニで傘を買ふと大抵晴れてくる晴れ男でもあるという分裂症を患つてゐる。
曲がり角に差し掛かると90%以上の確率で対向車がやってくる。外でトイレに駆け込むとほぼ先客あり、もしくは紙がない。
有名なところでは、ドタマと腹が常時薄ら痛く、iPhonは1分に1%減るヴァージョンをつかまされている。

とはいへ「一個人の運総量一定の法則」といふ普遍的事実に照らし合はせるに、
生来45年の現時点での幸運(+)・不運(-)をカウントすると、マイナス5万である(たとへばコンビニで傘を買ふと晴れてくる、といふのは0カウント)。

といふことは、この先あと40年でどんだけの幸運に見舞われるんだつていふ。楽しみだ。

しかし死の直前に5億円が転がり込んだ場合、これはどうカウントされるのか。転がり込んだこと自体はプラス5万でこれまでの分と相殺されるが、それを使ふことができないという事態はマイナス3万だらう。それでは差し引きトータルマイナス3万だ。
だとすると違う幸運が舞い込むといふことになる。大いに楽しみだ。




by ichiro_ishikawa | 2016-09-08 19:00 | 日々の泡 | Comments(0)