カテゴリ:文学と音楽( 4 )

 

歴史的音源


​​俺の余暇は、YouTubeとgoogle earthとiTunesにそのほとんどが費やされるが、 この度、国立国会図書館のサイトにて、「歴史的音源」(明治33年初頭から昭和25年頃までに国内で製造されたSP盤及び金属原盤等に収録された音楽・演説等の音源)がスマートフォンで聴けるやうになつた。​当分、これがメインになっていくこと必至だ。


出版年は​1922~1985年(​不明も619点あり)、 ​ジャンルは、文部大臣・鳩山一郎の「軍縮問題と国民の覚悟」(​​1936年1月)などの​演説から​​​流行歌・歌謡曲​、​落語・漫才​、​自然音・効果音まで多彩。​




by ichiro_ishikawa | 2017-10-06 16:25 | 文学と音楽 | Comments(0)  

俺・俺・俺(無私の精神)

 本が売れない、雑誌が売れない。時代はいよいよ変わった。ネット連動だ、ケータイ向けコンテンツだ、クロスメディアだ、二次販売を見据えて、云々。
 俺は、こういう物言いを、まったく信用していない。

 俺が信用していようがいまいが、どうでもいいことだろう。そも、その「俺」って誰よということだろう。ただ、その俺は、そういう風潮が強くなればなるほど、「ならば、“本だけ”の力で売ってみせようじゃないか」と奮い立つ(逆に本だけの力でとか言われれば、クロスメディアだと奮い立つがな!)。

 時代に敏感に反応している人間というのは、すべてとは言わないが、えてして、実は自分では何も考えていない人間だ。考えている人間をうまく使うことを考えている人間だ。きゃつらは、時代の流れに柔軟に、局面局面で臨機応変に対応している風に一見見えて、実はウロウロしているだけだ。様々なる意匠をとっかえひっかえしているに過ぎない。右に傾いたり左で悦に入ったり、その時そのときの趨勢に従って右往左往忙しい。平和論を戦わせた末、殴り合いのケンカをする類いの人間だ。
 たとえば、ネットで成功している奴というのは、時代に敏感に反応をした奴ではない。鞍替えした奴ではない。ネットが普及する前からじっとネットを見据えていた奴なのだろう。
人は様々な可能性を抱いてこの世に生れて来る。彼は科学者にもなれたろう、軍人にもなれたろう、小説家にもなれたろう、然し彼は彼以外のものにはなれなかった。これは驚く可き事実である。

 この事実に驚いているかどうか。てめえの宿命の主調低音を聴くこと。大事なのは、自分の個性と戦うことだけだ。

by ichiro_ishikawa | 2007-10-31 01:23 | 文学と音楽 | Comments(0)  

古典礼賛

 日々、明日へ、新しいものへ向い、何かを「創造」せんとする人より、過去へ、とにかく古いものへ遡り、古典を「研究」したがる人の方に魅力を感じる。もう、俺は終わっているのか。どうか。

 80年代をティーンネイジャーとして過ごした36歳のあたしは、20代においては、60〜70年代が、掘り下げるべき古典であった。古くてもビートルズ、ストーンズ、そしてジョン・レノン絡みでエルヴィス。せいぜいベスト盤でのボ・ディドリー、リトル・リチャード、チャック・ベリー、バディ・ホリーどまりだった。
 80〜90年代前半は、かろうじてロックやブラックミュージックがまだ光り輝いていたから、同時代を追いながら、同時に古典もひも解くという塩梅で、せわしなかったが、1997年からロックもブラックミュージックも全くつまらなくなってしまったので、その頃から、もっぱら過去を愛でるだけの日々になり、現在に至っている。
 
 文学とは違って、ポップ・ミュージックの世界は19世紀後半〜20世紀初めが、その幕開けで、レコードということでいえば20年代からしか音としては聴けないから、掘り下げるのもそんなに気が遠くなる話ではない、というのが良い。
 最古のものはアメリカのソング(小唄)やバラッド(物語唄)、ゴスペルやクラシック・ブルーズであり、そこからカントリー・ブルーズ、スウィング・ジャズ、ジャンプ、ジャグ、シティ・ブルーズ、ビ・バップ、初期リズム&ブルーズと大黄金期に突入する。それは30〜45年頃である。ここら辺がやはり一番面白い。
 45年以降、いわゆる戦後(第2次世界大戦というのは本当にどでかい節目である)は、アーバン・ブルーズ、リズム&ブルーズ、ハード・バップなど、より洗練されていって50年代にロックンロールが爆発するわけだが、この辺りもまだまだ刺激的だ。
 60年代、特にブリティシュ・インベイジョン以降は、ロック黄金期、ブラック・ミュージックにおいてもソウルが花開き、その辺りはポピュラーミュージックが世界をひっくり返す力を持った時期で、大変スリリングなのだが、ちょっと聴き飽きた感があり、食傷気味、ということで、今は、「20年代〜50年代がすごいことになっている」わけであった。

 20代までは、とにかく新しいものを求めていた。「ブルーズをこよなく愛し、デブでハゲのくせに、長髪でヒッピーまがいの恰好をして、てめえの青春時代のノスタルジアに浸っているオッサン」、というのが、とりあえず嫌悪の対象であった。そういう輩はいつの時代にもいるようで、今なら、「LEON」「OCEAN」「Z」「BRIO」「ROLLING STONE日本版」を愛読してしまう人間がそれにあたるのだろう。
 てめえがオッサンになったいま、我が身を振り返るとどうか。そういうスタイル優先、結局てめえが可愛いだけのオッサンとは一線を画しているか。どうか。
 
 今は、「万葉集」「平家物語」「徒然草」あたりがジャストで、カントリー・ブルーズとビ・バップを研究中だ。今起こっていること、これから起こりうることにはほとんど興味が湧かず。新聞とテレビはここ10年見ていないし、流行語も知らぬ。でも、そんなの関係ねえ。過去を積極的に「思い出す」ことで日々充実している。だが、こんなことをしている場合ではない。

by ichiro_ishikawa | 2007-10-29 01:30 | 文学と音楽 | Comments(2)  

ボブ・ディラン自伝

 ティーンエイジャーの頃は、実はディランはそんなに好きではなかった。巨人とされているので取り合えずレコードは買ったものの、一度聞いたきり棚にしまい込んで取り出さないでいる時期がけっこう長く続いた。とはいえ下取りに出さなかったのは、後で良さが分かる時が来るやもしれぬと感じていたからではある。
 20代も半分折り返しかかった頃、その時はやってきた。新たに魅力を発見したわけではなく、あのダミ声、単調で淡々としたメロディー、極めて文学的な詩といったディランをディランたらしめていてそれがゆえに嫌いだった要素が、そのまま好きな要素に転じた。

 ボブ・ディランの自伝が出た、アメリカでは50万部を超えたというニュースが最近気になってはいたが、即買い、とはならなかった。あの膨大な作品群でディランのことは重々分かっていると思っていたし、楽曲において詩才というか文学の才が見えるからといって、自伝が面白いとは限らない(正確には、詩を超えられないので相対的につまらなく思えてしまう)ということは往々にしてある。
 ところが、週刊新潮で、福田“意外と分かってる”和也が、誉めてた。福田は批判するにせよ賞賛するにせよ、説得力があるし、何より文章が面白い(もっとも大事なことだ)ので信用しているのだけれど、それで買うことにした。よく見たら値段も1800円とボリュームの割に安価だし、ソフトバンク・パブリッシングというソフトバンクの出版手腕がどんなものかも知りたかった、などなど下らない理由も作用し、購入に至った。容易く購入するといろいろなところが図に乗るからなるべく慎重に動くようにしている。やっぱり下らない本は売れてほしくない。微力とは知りつつも、出版界正常化・常識化を目指し尽力している。
 
 この自伝は、ディランが思いつくまま、まさに筆に随せて綴った随筆風なので、必ずしも時系列で物事が語られるのではないが、やはりディランが音楽を始めたころの話が中心に書かれている。
 てめえがどんなミュージシャンや作家、画家といった人々に憧れ、敬意を払ってきたかといった己のルーツ探訪と、音楽界の20世紀旗手として祭り上げられることへの違和感、この2つを中心に独白している。自伝学(?)的には後者が重要で、心理学や社会学を好む向きには興味深いかもしれないが、自分としては“音楽好きボブ・ディラン”はどのように形成され、どんな音楽的邂逅を経てきたのか、という前者の部分が刺激的だった。
 ディラン自身の祖国アメリカに憧れて音楽を始めたビートルズやストーンズなどイギリスのミュージシャンへの的確な批評、自分とシーンは違えど当時のメインストリームを席巻していたブリル・ビルディング職人たちへの称賛、RUN-DMCやパブリック・エナミーが築いたヒップホップという新しい形態に対しての先見の明など、他者や世界に毒づくのではなく、基本的に「すげえすげえ」と感嘆しているボブ・ディランの姿というのが実に感動的だ。ケルアックやバルザック、ディケンズなど文学への物言いも、音楽家ならではの視点で、とても瑞々しい描写がなされている。そうした一連の「批評」からは、やはり嗅覚の鋭さ、詩の才覚はもちろん、ボブ・ディランという人間的な深みが感じられる。
 また、己とその背景を語ることで結果的に、音楽をメインの切り口とした「20世紀アメリカ史」となっていることも素晴らしい。ピーター・バラカンのようなイギリス人から見たアメリカ物語や、研究者による分析も面白いけれど、40年代から今までをリアルに生きた当事者によるアメリカ物語というのはまた、ストレートに生々しく、アメリカというものを感じるに十分である。
 いずれにせよ、とても面白い本だ。

 本書には、人名や楽曲など固有名詞がズラズラと登場する。音楽に不案内な人には逆にこの部分が退屈かも知れない。それらを説明的にいろいろ語ることは多くないからだ。ただ、いいとだけ言う。だが、ある程度それらの固有名詞に接点がある者ならば、無駄口を叩かないそのシンプルさに、グッと心に重くのしかかる目方がかかっていることを直覚するはずだ。
 U2のボノがディランの自宅にやってきて、いろいろとアメリカン・ミュージックについて語り合うくだりがある。ボノはこの頃、名盤『ジョシュア・トゥリー』を発表した頃で、アメリカン・ルーツ・ミュージックに深く傾倒していたボノが、実際に作品においても生活においても、伝統的アメリカン・ミュージックをストレートに追い求めていた時期だ。ボノは、アメリカ巡礼の旅を行っており、ディラン邸訪問もその一環だったのだろう。このとき、ボノはディランから、最初のアメリカ人がいた地の話など、アメリカについていろいろ面白い話を聞き出す。さらに、この会合でボノはディランにプロデューサーとしてのダニエル・ラノアを紹介し、89年にリリースされるアルバム『オー・マーシー』への制作に結びつく長い逸話が、その後に細かく描かれることになる。

 訳者後書きによれば、版元とは3部作の契約ということで、次作以降のリリース時期は未定だが、着々と進行はしているようだ。次作のタイトルは「ブリンギン・イット・バック・ホーム」というから、ヤバい。いよいよ、あの黄金期が第2部で詳らかにならんとしている。

 というわけで、すげえディラン、ベスト5

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『The Freewheelin'』(1963)
2作目。なんと言ってもディランの代名詞とも言える不滅の名曲「Blowin' In The Wind (風に吹かれて)」がいい。当時のアメリカでは、フォーク・ソングが公民権運動や反戦運動と結びついていて社会的なプロテスト・ソングが流行し、ディランのこの曲はそのアンセムのように語られることが多いが、そんなことはどこ吹く風(←うまい)、ただ純粋に音楽として自立している。自伝の中でディランはそうした動きのプリンスとして祭り上げられることに閉口している。最高のジャケットの女性はディランの当時の恋人スーズ・ロトロ。自伝にも当然登場する。




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『Bringing It Back Home』(1965)
5枚目。「Subterranean Homesick Blues」が最高。この曲のビデオにはアレン・ギンズバーグも登場する。また、ザ・バーズの出世作「Mr. Tambourine Man」は、これがオリジナル。明らかにビートルズの影響が。伝統的なフォーク・ミュージックのスタイルがロック色を強めた名盤。「It's All Over Now, Baby Blue」も名曲。




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『Highway 61 Reviseted』(1965)
6作目。マイク・ブルームフィールド(g)、アル・クーパー(org,p)参加のロックの金字塔。必殺「Like A Rolling Stone」のオルガンは、アル・クーパーが、突然録音スタジオに呼ばれ即興で弾いたと言われる。Cから順番に上がっていくだけのコードでこんだけとんでもなくなるというロックンロールの魔法がここに。




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『Blonde On Blonde』(1966)
ロックンローラー・ディランの最高傑作の7枚目。ロビー・ロバートソン(g)、アル・クーパーなどのミュージシャンが参加。「Rainy Day Women」「I Want You」「I Want You」が素晴らしい。ジャケの髪型、すげえいい。












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『The Bootleg Series Vol.4 BOB DYLAN LIVE 1966 The "Royal Albert Hall" Concert』(1998)
社会派フォークシンガーからシュールなエレクトリック派詩人への跳躍を遂げた瞬間を記録。後にザ・バンドと改名するホークスを従えての、1966年のライヴ。長く海賊盤で出回っていたが、98年にオフィシャル・ブートとしてリリースされた。エレキギターで登場したディランに対し、ある熱心なフォークファンが観客席から「ユダめ!」と叫ぶと、他の客も野次を飛ばしはじめる。怒ったディランは「僕は君らを信じない。君らは大うそつきだ」とやり返す。そして「Like a Rolling Stone」のイントロが流れ始めると、「デカい音で!」とかけ声をかける。この記録だけでも一聴の価値あり。




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『Blood On The Tracks(血の轍)』(1975)
アコースティック・サウンドの金字塔。「Tangled Up In Blue(ブルーにこんがらがって)」はヤバイ。詩がとんでもない。




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『Desire』(1976)
アメリカ建国200年を迎え、ディランは1975年秋から約半年かけて、ビジネス志向が強くなってきたロックミュージックへのアンチテーゼとして「ローリング・サンダー・レヴュー」なる流動的で自由な雰囲気のツアーを決行。それと平行して制作されたアルバムだ。とにかく「Hurricane」がいい。ボーカル、ギター、素晴らしい。スカーレット・リヴェラのバイオリンがいい。



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『Hard Rain』(1976)
「ローリング・サンダー・レヴュー」の一環として行われたコロラドとテキサスのライブ演奏を収録。ラフな演奏がが心地いい。これぞパンクの神髄。




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『The Bootleg Series Vol.5 BOB DYLAN LIVE 1975  The Rolling Thunder Revue』(2002)
70年代ボブ・ディランの最高潮。75年11月と12月に行われた「ローリング・サンダー・レビュー」の4回の公演から選りすぐったライヴ盤。これがあれば『『Desire』と『Hard Rain』は実はいらないがそれは結果論。デヴィッド・ボウイのバンドの元ギタリストだったミック・ロンソンも効いている。


by ichiro_ishikawa | 2005-08-30 18:19 | 文学と音楽 | Comments(4)